3-2
***
その日の晩。僕はリビングで、姉と向かい合っていた。
もちろん、今朝の相談事を話すためだ。
「それで隣の生徒会長が、『旭 ルイ』のガチ恋ファンで……!」
僕は拳を握り、必死に状況を伝える。
隣席のクラスメートがルイのガチ恋だったこと、色々あって彼と友達になったこと、そしてVtuberとしての雑談配信に困っていること……
姉は何かを耐えるように聞いていたが、僕が話し終わってすぐ――缶ビールを勢いよく置いて、家中に響き渡るような笑い声をあげた。
「はっ、あはははは!! クラスメートが、わ、渉のガチ恋ってー!」
「わ、笑いごとじゃないから!」
無神経に爆笑する姉に、むっと唇を尖らせる。
彼女はひぃひぃと肩を上げて、しばらくしてから呼吸を整えた。
「はあ……、まさか渉がVtuberデビューして、こんなことになるとは……。ちなみにその人って、今日のやばい長文コメントの人?」
「う、うん。『ミシロ@旭 ルイくんが生きがい』さん……」
「っはは! うまく距離おけばよかったのに、なんでリアルで仲良くなってんだよー!!」
「い、色々あったんだって!」
――それに、リアルの湊は本当にいい人なんだ!
そう訴えたかったが、本題から逸れてしまう気がする。僕は咳ばらいをして、話を戻した。
「と、とにかく……! 雑談配信はしたいんだけど、エピソードトークがなくて困ってるんだ」
姉は真剣な面持ちの僕を見て、ようやく声を抑えてくれた。ニヤニヤしたまま姿勢を正し、もう一度僕と向かい合う。
「あー、なるほどねえ。たしかにバレたら大変だし……学校の話はできないか。別の友達の話をすれば? って思ったけど、渉ってその子くらいしか友達いないんだっけ」
「うっ」
「他には――……あ、そうだ!」
姉は妙案でも思いついたかのように、前のめりになった。
「あたしと出かけたときの話をすればいいんじゃない!? ほら、よく推し活に付き合ってもらってるでしょ!」
自信満々な姉の顔を見ながら、僕は目を丸くした。
たしかに僕は、昔から姉の買い物や推し活によく付き合わされていた。最近だって、なにかあるたびに荷物持ちやら人数合わせとして使い倒されている。
「た、たしかに……」
「でしょー!? まあこういうときのために、渉を外に連れ出してたところはあるんだけどねー」
――絶対嘘だ。
心の中でツッコんだが、いいアドバイスをくれたので、口に出すのはやめた。
姉はビールの缶を一気に煽り、わずかに呂律の回らなくなった声で続ける。
「あと、これからはむやみに誰と行ったとか、言わないほうがいいからね! 別に一人で行ったことにすればいいんだから」
「えっ、そうなの?」
「当たり前じゃん! あと時間も、リアルタイムで言っちゃだめ! 適当にフェイクを入れないと、それこそ特定されちゃうでしょ!?」
「わ、わかった……」
熱弁する姉の勢いに押され、こくこくと頷く。
これまでの僕は、一切考えたことがなかった。でもルイとして活動するなら、大事なことなのかもしれない。
――早速これで、今日の雑談配信をやってみよう。
僕はそう決意して、どんな話をしようかと頭の中を巡らせていた。
***
姉のアドバイスを実践するようになって、一週間。
外出時のエピソードを語るようにしてみたら、驚くほどスムーズに話を広げられるようになっていた。
『それでさー、この前コラボカフェに行ってきたんだ! みんな見てくれ、この写真!』
画面に映し出されたのは、色鮮やかなクリームソーダと、チョコレートケーキの写真。
これは先週、姉に連れ出されたときに撮影したものだ。
大人気ゲームのコラボカフェということもあり、コメント欄も『美味しそう』『クオリティ高っ!』と湧いている。
姉のアドバイスどおり、具体的な日にちや誰と行ったかは言及していない。写真も姉や自分のことは一切写さないようにしているし、自分でも神経質すぎるかと思うくらいに徹底していた。
きっとみんな、僕が一人で楽しんでいると思っているだろう。
『開催期間で何回かメニューが変わるみたいでさー、そのときはもう一回行こうと思ってる! みんなは行ったことある?』
リスナーさんに問いかけると、『行ったよ!』『気になるー』というコメントがちらほらと流れてくる。やっぱり話題があると、コメントをしやすいのかもしれない。
「……ん?」
けれど、一つだけ違和感を覚えてしまった。
――ミシロさん。
いつも僕の呼びかけには必ずコメントをしてくれるのに、今日は一切反応がない。
そもそも、配信を見てくれているのだろうか。コメントがないとアイコンも表示されないので、どうしても不安になってしまう。
――って、何考えてるんだ。ミシロさんにだって都合はあるし、ただ反応がないだけかもしれないのに。
僕は小さく首を振って、再びルイとしてコメントを拾う。
こんな些細なこと、気にしすぎちゃダメだ。そう自分に言い聞かせて、配信を続けた。
翌朝。現実の世界では、生徒たちがどこか浮ついた雰囲気を纏っていた。
テスト勉強から解放され、休み時間は「夏休みはなにをするか」という話題で持ちきりだ。けれどそんな最中、窓際の席で、ただ黙って下を向いてる生徒を見つけた。
——湊だ。
背中を丸めて、気怠そうに目元を抑えている。
「湊、おはよう。な、なにかあった……?」
「えっ……?」
「あ、あのっ、今日、元気ないなって思って……!」
湊の驚いた顔を見て、焦って言葉を重ねる。彼はしばらく黙り込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
「渉、すごいね。なんでもわかっちゃうんだ……」
――やっぱり悩み事があったんだ……!
彼は長い睫毛に影を落とし、ため息を吐く。
「気がかりなことがあって、全然眠れてないんだ。実は渉にも、相談しようか迷ってて……」
この反応は、相当深い悩みに違いない。
僕がどこまで力になれるかわからないけど、話せば少し楽になるかもしれない。僕は彼の言葉を聞き逃さないよう、身体を近づけた。
「実は――やっぱりルイくんに、恋人がいるみたいなんだ」
一瞬、頭が真っ白になった。
――『旭 ルイ』に、恋人?
恋人がいるんじゃないかという疑惑は、この前解消したはずだ。むしろここ最近の配信では、友達の存在すら匂わせなかったというのに。
唖然とする僕をよそに、湊はおもむろにスマホを取り出した。
「この写真、見てほしいんだ」
彼が見せてきたのは、僕が配信中に映した写真のスクショだ。
コラボメニューだけを写真にとったもの。当然、僕の姿は映っていない。
「この前の雑談配信の写真だよね。これがどうしたの?」
「そう。……でもね、渉。よく見て」
彼は険しい声色で呟くと、人差し指と中指を広げて、じわじわとズームをし始めた。
これ以上拡大ができないところまできて、彼はテーブルの端にあった、メニュー表のあたりを指さした。
「……わかった?」
「い、いや……。メニュー表だなあとしか」
「あ、そっちじゃなくて、見切れてる窓のほうを見て。光の反射で、人のシルエットがうっすら映り込んでるんだよね。……髪も長いし、どう見ても女性だよ」
「――ッ!?」
僕が思わず息をのみ、言葉を失った。
それは、隅々まで拡大しないと見えない、小さな反射だった。そしてそこに映っているのは、間違いなく一緒に行った姉の姿だ。
背中を嫌な汗が伝う。けれど彼は一切止まらず、次々と言葉を紡いだ。
「あと、このコラボカフェって、東京、大阪、名古屋、福岡の主要都市での開催なんだ。それで調べてみたら、このテーブルに施されてる装飾は、東京のコラボカフェ限定のものらしい」
「へ、へえ……」
「それで、東京店はカウンターの一名席と二名以上の席が分かれてるんだけど、この窓際の席って、二名席なんだよね。つまりここに反射してる女性は、ルイくんの正面に座ってる同伴者ってことになるんだ。ここから考えると、さ……」
湊はそこで、一度視線を彷徨わせた。
「――これって、彼女とのデートだよね?」
そう言って顔を上げた湊は、今にも泣きだしそうな表情をしていた。
形のいい口元が歪み、美しい瞳は涙の膜で覆われている。
「これがわかったとき、ショックすぎて……。配信に一つもコメントできなかったんだ」
苦しそうな様子に同情すればいいのか、異様な洞察力に怖がればいいのか――僕の心の中はぐちゃぐちゃだ。
――とりあえず、なんとかフォローしないと!
僕はその一心で声を上げる。
「湊! こ、これだけで彼女と決まったわけじゃないし、妹とかお姉ちゃんとか、あ、あとは女の子の友達ってこともあるんじゃない?」
「そうかなあ……? 家族だったら、普通に配信でも言えばいいんじゃない?」
「い、いやー! 家族のことを言うかどうかは、配信者によるんじゃないかなあ!?」
――あえて隠したことが、完全に裏目に出てる……!
僕は冷や汗をかきながら、言葉を続ける。
「それにルイなら、もし付き合ってる人がいたら、『彼女ができた!』って普通に言うと思うよ!」
「う、うーん……」
「隠し事が得意なタイプじゃなさそうだし、仮に嘘ついてたら動揺しそうだし! そのあたりは、湊が一番わかってるんじゃないかな!?」
湊が一番わかってる——この言葉に、湊がぴくりと反応した。
「た、たしかに……。俺が見た感じだと、嘘ついてる雰囲気はないんだよなあ」
必死の慰めが功を奏したのか、湊の目に光が宿る。彼はようやく落ち着いてきたようで、深いため息を吐いた。
「……はあ。俺また暴走しちゃって、変なところ見せちゃったね」
――納得してくれた……!
僕もほっと胸を撫でおろし、「気にしないで」と微笑んだ。
「今回のことは、いったん忘れるように頑張るよ。でもあの写真のおかげで、ルイくんが意外と近くに住んでそうってことがわかったから……それはそれでよかったかも」
「えっ!? 湊、まさか特定とか……」
「違う違う! 俺はルイくんが嫌がることはしないから! ――……あ、でも」
湊はなにかを思い出したかのように目を見開き、スマホのメール画面を見せてきた。
「ルイくんが東京のコラボカフェに行ったことがわかってから、つい勢いで……コラボカフェのチケットを取っちゃったんだよね」
「……へ?」
「だってルイくんが実際に行ったお店だよ!? しかも前の配信で、『メニュー変わったらもう一回行きたい』って言ってたし!」
特定はしないというわりには、あわよくば会いたいという気持ちが見え隠れしているような……?
僕は苦笑いを浮かべながら、彼のスマホの画面を凝視する。
「それでさ、渉。実はこのコラボカフェ、二名分のチケットが取れたんだ」
「……ん?」
思わず小首を傾げる。
彼は緊張したような面持ちで、おもむろに口を開いた。
「よかったら、一緒に行かない?」
「えっ!?」
僕は大きく目を見張って、声を上げた。
――コラボカフェに、今度は湊と!?
困惑する僕をよそに、湊はずいと身体を近づけてくる。
「お願い! もし俺が一人で行って、ルイくんと恋人が二人でいるところに出くわしたりしたら、自分がなにをしでかすかわからないし……! 渉が隣にいてくれたら、平常心を保てるような気がして」
――いや、そんなことは絶対にない!
というか、「なにをしでかすかわからない」ってなに!?
そう言うわけにもいかず、咄嗟に口を噤む。
僕が迷っていると思ったのか、湊はまっすぐに僕と目を合わせた。
「それに、ルイくんのことだけじゃなくて……。渉と、遊びにいきたいと思ってたんだ」
その瞬間、心臓がどくんと跳ねたのがわかった。
――現実の僕と、出かけたいってこと?
湊はそんな心の声に応えるように、優しく微笑んだ。
「今度の日曜日、空いてる? 休み時間だけじゃ、話し足りなくてさ」
それは僕にとって、これ以上ない甘美な誘い文句だった。
友達と、初めての外出。まともに友達がいたことがない僕にとっては、まさに憧れそのもの。
——こんな機会、もう二度とないかもしれない。
胸の奥から湧き上がる喜びを抑えきれず、自然と頬が緩む。
「ぼ、僕も行きたい……!」
考える前に、首を縦に振っていた。
このときの僕は、高揚感に胸がいっぱいになって——断るという選択肢が、すっぽり頭から抜けてしまっていた。




