第43話 お忍び
深川の町中を縫うように歩く。
目当ての場所へ直行するなら四半刻(約30分)もかからないが、こちらは無断外出かつ敵多き身である。敵味方双方の尾行者を撒くため、商店に入って裏から抜けたり、長屋の空き部屋を抜けたり、大工の普請現場を抜けたりとしながら倍以上の時間をかけて着いた先は門前仲町の高級料亭、ゑびす屋である。
暖簾を潜り、玄関にいた女将に(いるかい?)と顔で尋ねれば、女将はクスリと笑いながら頷くので玄関から入らず中庭へ抜けて離れへと向かう。離れでは友が昼寝していた。が、近付く気配を察したのか跳ね起きた。
「誰かと思えば賢さまじゃないですか。」
「よっ、金坊、ご無沙汰ご無沙汰。」
辰丸兄上の手の者による襲撃から金四郎に助けてもらった日より約半年が経過。
何度となく屋敷を抜け出してはゑびす屋に金四郎を訪ね、金四郎の案内で彼方此方に遊び歩くを重ねているうち、ごく自然に「金坊」「賢さま」と呼び合う仲になっていた。
「どうせまたお屋敷を抜け出してきたんでしょ。作左衛門様や小十郎様に叱られるのは賢さまお一人でお願いしますよ。」
「まぁそう言わずに一緒に叱られておくれよ。作左も金坊には甘いからさ。」
「……こっちに来てること、尾張藩邸に使いを出しときますからね。」
金四郎の手配で尾張藩邸にいる祖父に使いを出せば、私が祖父の元に滞在していることにして守役の作左衛門に連絡が行くことになっている。ゑびす屋までの抜け道も含め、全ては金四郎の手配によるものだ。
これほどまでに打つ手にぬかりのない金四郎だから、おそらくは私の本当の身の上も知っているだろうし、山村の祖父や、作左や小十郎すらも、金四郎が抱き込んでいるのかもしれない。
しかし、金四郎はそれを気取らせない。いつも一日か長くても二日という短い時間だが、金四郎と遊んでいるときの解放感は何物にも替えられないものになっていた。
「ともあれ賢さま、良い時に来ましたね。今宵はね、このゑびす屋で狂歌連が開かれるのですよ。」
「狂歌連?」
「はい、狂歌を嗜む人達の集まりです。賢さま、狂歌は嗜まれますかぃ?」
「だいぶ前に『寝惚先生文集』という狂詩集は読んだ。面白くて読みふけってたもんだが、『そんな戯言ばかりの書など読むものではありませぬ!』と義母上に叱られた上に捨てられてしまったよ。」
「あれを面白く読めたなら、今宵の狂歌連も楽しめると思いますよ。なんせ主宰が『寝惚先生文集』の作者ですからね。」
「作者はたしか……チンプンカンシカクだったかな。当然、偽名よな。」
そこに茶人のような姿形の青年が母屋と離れを繋ぐ渡り廊下から入ってきた。
「なんか昔なつかしい名前が聞こえたね。私が陳奮翰子角こと大田直次郎だ。お初。」
「随分と早い入りだね、直さん。」
「ま、暇してたんでね。金坊が昨日からゑびす屋に逗留してるって聞いて遊びにきたのさ。初顔のアンタもその口だろ。俺も混ぜてくれや。」
あゝこれこれ、これよ。
この気取るところや裏表の一切無いやり取りが堪らなく刺激的で面白いのだ。これが、金四郎と一緒にいると事欠かないものだから、ゑびす屋通いはやめられない。直次郎もその口なのだろうなぁと思った。
安永3年(1774年)
遠山 金四郎 (10)
山村 賢丸 (15)
大田 直次郎 (25)




