第44話 四方連
結局、金四郎が宿替わりにしているゑびす屋の離れで狂歌連が催された。
直次郎が私と金四郎を相手に狂歌の手ほどきをしているうちに盛り上がってしまい、連の参加者も一人また一人と離れに案内され、そんまんま狂歌連開催である。
このところ急に流行りだした狂歌を「教養の浅い町人による戯言」などと見下す者が武家に多い。義母などはその典型だ。
けれども、本歌とする古典の和歌や漢詩の韻や本意を残しつつ改変して滑稽や皮肉を含ませたり、幕政批判さえも含む社会風刺を言質とされない文学的な湾曲表現で詠むのが狂歌である。
小倉(百人一首)は当たり前、少なくとも古今から新古今までの八代集には通じている必要がある上に、幕府人事含む政治情勢から江戸市中の社会風俗までといった幅広い見識が求められるので、教養乏しき者には狂歌を詠むことはおろか良し悪しすらも理解るまい。
狂歌を楽しめるほどに教養のある武家はどれほど居るだろうか。
狂歌を理解した上で忌み嫌うのと、忌み嫌う風潮に同調して忌み嫌うのとでは天地ほどの差がある。義母を含む多くの武家の者が明らかに後者であることを嘆かわしく感じる。
それへの反骨もあるのかもしれないが、私は狂歌を面白がっている。
今宵の狂歌連は、その名を四方連という。主宰の直次郎が号を”四方赤良”としているから。
神田和泉町は四方久兵衛が営む酒屋で売られている赤味噌「四方の赤」に直次郎の赤ら顔を懸けた号であり、そして四方連は「四方暖簾」を韻で踏む。つまりは広告だ。もちろん久兵衛も連に属しており、連への出資者でもあり、直次郎の後援者でもある。
こういった洒落と滑稽が実利と結びつく風情が狂歌ならではの面白さだと思う。
連には多種多様な人達が集まった。
徒士の家の嫡男ながら文人の直次郎が主宰で、武家の私、旗本の倅の金四郎、酒屋の久兵衛、ゑびす屋の主、茶人、噺家、浮世絵師、歌舞伎役者、商家のご隠居、大工の棟梁、紅一点で辰巳芸者などなど。
文芸論を軸にしながらも、異なる立場ならではの得難い情報の共有は知識欲を満たすと同時に自身の仕事への実益をもたらす。そのやり取りの中で狂歌がポンポンと出てきては笑わされたり唸らされたりと、連は大いに盛り上がった。
あなうなぎいづくの山のいもと背を さかれてのちに身をこがすとは(四方赤良)
今宵の特撰の句である。
昨今、料亭で供されるようになった鰻重を皆で食いながら、その歓談の中でヒョイと出てきたこの句は直次郎の作。連の参加者全員による互撰の結果であり主宰の面目躍如、直次郎の赤ら顔が喜びで更に紅潮していた。
ちなみに本歌は藤原定家『来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに 焼くや藻塩の身もこがれつつ』である。
安永3年(1774年)
遠山 金四郎 (10)
山村 賢丸 (15)
四方 赤良/大田 直次郎 (25)




