第34話 雷電為右エ門
寛政七年一月、古今無双の名力士にして実質的な初代横綱であった谷風が力士として現役のまま急逝した。享年44歳。
「俺が倒れているところを見たいなら、俺が風邪をひいたときに来い。」
とは、最盛期の谷風による大言壮語であり、その年に流行った流感が『谷風』と呼ばれたものだったが、その谷風が『御猪狩風』と呼ばれる流感に倒れるや帰らぬ人となってしまったのだ。
ちなみに『御猪狩風』とは、将軍家斉が小金牧(下総国)で鹿狩りを催した際、山の主と思しき大猪を狩った直後に流行したことからそう呼ばれた。なんでも、亡くなった患者には鹿や猪の毛が付いていたとか。
幕府は世間を誑かす流言飛語として躍起になって話の出元を探るのを、金四郎らの暗躍による撹乱で空振りに終えさせたのはまた別の話。
谷風の急逝に伴い一つ空いた大関の地位には雷電が昇進したのだが、その雷電は悩んでいた。
大関に昇進して初めて谷風の偉大さが理解った気がする。流感の大流行により通常の半分の日程で興行中止となった三月場所、圧倒的な強さで全勝したが、観客は谷風が勝ったときのような湧き方をしないのだ。
谷風はアンコ型の体形を利した四つ相撲で、右でも左でも四つに組むと、相手を好きに暴れさせた末に腰を落として寄り切るという、現代で言うところの横綱相撲の典型にして元祖であり、神格化されるほどの域に達していた。
対して雷電は巨躯と長い手足を利した突っ張りが主戦であり、それを掻い潜る少数の力士に見せる寄りの技芸も谷風に勝るとも劣らないのだが、大半の相撲は相手が吹っ飛んで一瞬のうちに終わるので、素人目には面白味に欠けるのだった。
人気が谷風より劣るのは仕方ない。しかし、谷風と雷電のどちらが強いという話になると、江戸っ子のほとんどが『谷風の方が強い』とする。そんな世間の風潮が、雷電の矜持を傷付けていた。
谷風の内弟子である雷電は、谷風との対戦機会を得られなかった。
引退興行で取組が組まれる企画も勧進元より提案されていたのだが、谷風が現役中に急逝したことによって幻となり、直接対決による谷風超えの機会は永遠に来ないことになった。
(師匠を、谷風関を超えたい。しかし、どうすればそれを証明できるのか。)
とある料亭で雷電は酔い潰れた。
谷風が急逝して以降、出先で酔い潰れることの多くなった雷電だが、その巨躯は付け人の取的も運ぶことが出来ないので、布団を敷いてそこに転がされる。
「じゃ、明朝にお迎えに上がりますんで、宜しくお願いします。」
付け人の取的は料亭の主に声掛けして帰っていった。
その同じ料亭の隣の部屋で、金四郎は相模屋の芳、密偵の久作らと共に、つい先日に急逝した長谷川平蔵に献杯を捧げていた。
長谷川平蔵、八年もの長期に渡り務めた火付盗賊改方長官を辞してわずか三か月の急逝だった。
「銕さまは無理をなさり過ぎた。」
誰ともなく呟くも言葉が続かず、早々に散会しようとしたところ、隣室から泥酔した雷電の鼾が聞こえてきた。
金四郎らは隣室の襖をスッと開け、中の様子を窺う。
「大関、悩まれてるねぇ。」
と久作が溢し、
「銕さまを失った私らと同じく、大関も谷風関を急に失って戸惑ってるのでしょう。」
との芳の見立てに金四郎が応える。
「谷風の記憶は消せまいが、谷風の記録は超えられる。大関雷電は記録で谷風を超しゃ良いのさ。」
すると雷電の鼾が止まり、その双眸がカッと開かれるや雷電がバッと跳ね起きた。
驚く金四郎らに深く一礼するや、雷電は足音を響かせて料亭を掛け出ていった。
「これは…、五郎ちゃんに悪いことしたかもなぁ。」
頭を掻く金四郎を、久作と芳が小突いた。
寛政7年(1795年)
遠山 金四郎 (31)




