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遠山金四郎外伝  作者: 喜多甚
第2章 花頂山五郎吉
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第32話 寛政五年春場所八日目

 御蔵前(おくらまえ)八幡宮に櫓土俵が設けられての相撲興行春場所は八日目。


 場所前の予想通り、東大関の鶴渡を始め、西小結の甲斐嶽、西前頭二枚目の越の戸、西前頭張出の関ノ戸などが相次いで途中休場した余波を受け、西関脇・雷電為右エ門と西幕下筆頭・常山五郎吉の取組が結び前の一番として組まれた。


 ちなみに、五郎吉の師匠である東前頭筆頭・出羽ノ海も途中休場している。


「ったく、ウチの師匠は確実に雷電関を俺に当てたいらしい。」


 西の控えで独り言ちる五郎吉だったが、口元には不敵な笑みが浮かぶ。


(誰も俺が勝つとは思ってねえだろうが、金さん、お前さんだけは期待して見とけよぉ。お前さんが俺にしたこと以上のものを見せてやらぁ。)


 顔を両手で包むようにパンっと張って気合を入れると、花道をゆったりと進んで東の土俵溜まりに控えた。


 五郎吉よりやや遅れて西の花道より雷電が入場し、西の土俵溜まりに腰を下ろす。

 勝って当たり前の取組を前に泰然自若の雷電だが、口元わずかに欠伸を噛み殺したのを五郎吉は見逃さなかった。


(関脇は良い塩梅に油断しているな。楽に勝つつもりだろう。となりゃ、立合は十中八九アレだ。見込みが外れりゃ俺は吹っ飛ぶだろうが、当たれば勝負は五分と五分よ。)


 狙うべき勝機を確認した五郎吉は目を半眼にして黙想、精神集中を図る。


『にぃぃぃいしぃぃ、らぁいぃぃでぇぇぇん~、らぁいぃぃでぇぇぇん~』

『ひがぁぁいしぃぃ、つぅねぇぇやぁぁまぁ~、つぅねぇぇやぁぁまぁ~』


 呼出・小鉄の言上を受けて静かに目を開けた五郎吉、立ち上がるや東から土俵に上がり、西の雷電と相互の立礼。


『かたや、らいでん、らいでん、こなた、つねやま、つねやま』


 白房下に移って式守伊之助の声を背に受けつつ四股を踏む。右手に塩を取って土俵に正対する。貫録を見せ付けるかのように所作に時間を掛ける赤房下の雷電が塩を取るのを待っている。


(役力士とその対戦相手にしか許されない呼出と行司の二声、意外と嬉しく感じるもんだね。)


 自身の緊張が良い具合に解れているのを自覚した五郎吉は勝負への集中を一層高めた。

 漸く雷電が塩を手にして土俵に正対するのを見て塩を散らし、立合の位置へ歩を進める。


(楽に、そして早く勝ちたい関脇だ。最初の仕切りでこちらから仕掛ければ立ってくるだろう。)


 現代の大相撲では定められた時間の中で立つ規則になっており、仕切りを重ねた後に時間いっぱいの仕切りで立つのが定石だが、この時代の相撲では時間制限なしに合気を得るまで何度でも仕切るし、最初の一回の仕切りで立つこともある。


 五郎吉は意志を含めた眼光を鋭く飛ばしつつ、先に腰を沈める。

 それを受けた雷電、五郎吉の狙い通り、この仕切りで立つ意思を眼光で返した。


 雷電ジリっと腰を沈めるや立合の機を示すところ、観客の目には常山が不用意に腰を上げて棒立ちとなったように映った。その両肩目掛けて雷電の強烈な両手突きが放たれる。観客の脳裏には西の土俵下まで吹っ飛ぶ常山の姿が浮かんだ。


 しかし、五郎吉が雷電の両手突きを極限まで引き付けフッと腰を沈めたことで、雷電の諸手突きが五郎吉の両肩を掠めて空を切る。


 その伸び切った雷電の右腕を五郎吉が手繰って一本背負い、雷電腰を落として堪えんとするところ五郎吉は腰を入れ右脚の裏を雷電の右脚に沿わせるや腰と右脚で鋭く跳ね上げて雷電の腰を浮かせ、一本背負いに抱き込んだ雷電の右腕を引き込むと、雷電は宙を舞い、背中から地響きを立てて土俵に叩きつけられた。


 あまりのことに、御蔵前八幡宮の境内が音ひとつ立たない静寂に包まれてしまう。


 ハッとした行司の式守伊之助がサッと東に軍配を上げると、伊之助の勝ち名乗りを圧し潰すような大歓声が沸き起こった。その歓声は両国橋を挟んだ対岸まで届いたという。


 前代未聞の番付格差と相撲内容で大番狂わせを演じた五郎吉であったが、勝ち残りした土俵溜まりから結びの相撲を眺めつつ、戦慄を覚えていた。


 五郎吉の両肩に血が滲んでいる。雷電の両手突きが掠めたことによる擦過傷がジンジンと疼く。雷電の突きは想定以上にとてつもない威力があり、幕下を相手に油断した雷電の踏み込みが若干緩かったから躱せただけのことで、普段通りの踏み込みならば、五郎吉は桟敷まで吹き飛ばされていたであろうこと、五郎吉自身がよく分かっている。


(もう二度と雷電関に策は通じまい。だが、二度と勝てないでは力士として惨めに過ぎる。俺が強くなるしかない。強く、もっと強くなりてぇ。)

寛政5年(1793年)

遠山 金四郎 (29)

常山 五郎吉 (26)

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