第31話 友綱部屋
早朝の友綱部屋、出羽ノ海は常山こと五郎吉を相手に胸を出していた。
延々と続くぶつかり稽古で部屋の稽古場に熱気が籠る。
(また朝帰りしやがって。金ちゃんとつるませたのは失敗だったか。)
苦々しい思いで朝稽古を始めた出羽ノ海だったが、四股、鉄砲、すり足と、普段は形だけやって中身の伴わない五郎吉なのに、今朝は妙に気合が入っている。そして今、五郎吉のぶつかりを胸を受けた出羽ノ海は、その力強さに驚かされていた。
(何があったか知らねえが、どうやら一皮も二皮も剥けそうだ。)
内弟子の五郎吉が新入幕を果たし、幕内上位に定着した後、現役を引退して部屋持ちになろうという長年の計画が漸くにして現実味を帯びてきたことに、出羽ノ海は嬉しく思った。
充実の稽古を終え、水を付けた後に稽古場の神棚への拍手と拝礼を済ませた頃になって、稽古廻しを付けた金四郎が稽古場に現れた。
(ん、金ちゃんが廻しを付けている…だと。なんのつもりだ。)
訝しむ出羽ノ海だったが、五郎吉と金四郎の間に緊迫した気配が膨れ上がったのを感じ、何も言わずに浴衣を羽織ると稽古場の見所に腰を下ろした。
稽古場の土俵の中で対峙する五郎吉と金四郎。
五郎吉の五尺八寸(約176cm)二十八貫(約105kg)に対し、金四郎は五尺(約151cm)十五貫(約56kg)。この時代の男性の平均的な体躯ではあるが、相撲取りと比べてしまえば見劣りは否めない。
(どうやら相撲を取るつもりらしいが、勝負にならんだろう。それにしては殺気と緊張感が異常に高い。まさか金ちゃん、暗器を仕込んでないだろうな。喧嘩は構わんが、本場所前にケガだけはさせんでくれよ。)
不穏な雰囲気に思わず祈った出羽ノ海だったが、不安と同時に興味も湧いてきた。
五郎吉が先に腰を下ろすも、金四郎は立ったままで五郎吉を見下ろす。
(金さんの眼が…怖い。普段あんなに温厚な金さん、どんな修羅場を潜ってきたらあんな眼になるのか。)
自然、五郎吉は金四郎の視線から目を逸らし、金四郎の胸あたりに視点を置き直す。五郎吉が視点を動かしたその刹那、金四郎はスッと腰を下ろすや両拳を地に付け、さぁ来い!と言わんばかりの立合姿勢を先に作った。
金四郎の身の程知らずとも言える特攻姿勢に五郎吉は一瞬カッとなったが(変化だけは気を付けよう)と慎重姿勢を取り戻し、まず左拳を地に降ろす。
金四郎を凝視し、変化の兆候が無いと見た五郎吉、残る右拳でトンと地を突いて立合の機を作るや、左から踏み込みつつ金四郎の動きを見定めながら左を固めてかち上げを狙った。
見所から見ていた出羽ノ海が、金四郎の動きに思わず「あ!」と声を上げる。
かち上げに左足から踏み込んだ五郎吉に対し、金四郎は当たらずに引いて間合を得るや左腰に帯刀姿勢を作り抜刀の構えを見せるや、シュゥゥゥゥゥゥゥっと息吹くなり右手で抜刀するや横薙ぎ一閃!……したかのように錯覚した。
その殺気に当てられて一瞬だけ動きを止めた五郎吉の顔前に金四郎はペトっと左掌を置いて視界を妨げるや右に展開、五郎吉の左脚を取って抱き込むところ、金四郎の意図を察した出羽ノ海が見所から叫んだ。
「金ちゃんやめろ!それはいかん!」
金四郎は抱き込んだ五郎吉の左脚を軸にして自分の身体ごと駒のように回転した。金四郎、ご丁寧に五郎吉の左ヒザを固めている。五郎吉がこれを堪えれば左脚の股関節を脱臼するだろう。
戦仕様の組討ち体術であり、昨年より岡山藩のお抱え力士となっていた出羽ノ海はこの体術を見知っていた。
「だぁぁぁぁぁぁっ!」
五郎吉は身の危険を感じて咆哮しつつも、鋭く反応して自ら同じ方向に回転することで難を逃れた。その結果、金四郎は五郎吉の左脚に潰されるようにして背中から落ちた。
「無茶すんじゃねえよ金ちゃん、寿命が縮まったぜ。」
ふーっと息を吐いて、出羽ノ海は安堵する。
「五郎吉よ、相撲はお前さんの勝ちだが、勝負は金ちゃんの勝ち。そうだろ。」
五郎吉と金四郎は土俵の上で仰向けに転がったまま。胸を上下させての息が荒い。
雷電と常山が大人と子どもなら、五郎吉と金四郎も大人と子ども。
五郎吉と金四郎の相撲で、相撲は素人の金四郎がこれだけの勝負を成立させたのだ。常山だって雷電に一矢報いなければならない。星の白黒は相撲を終えてからでよろしく、まずは全知全能を懸けて雷電に勝たんとすることが肝要。
五郎吉は金四郎が身をもって示した教導を確かに受け取った。金四郎はその手応えを確かに感じた。
息が整って胸の上下が収まった頃、両雄の顔は満足気に笑っていた。
寛政5年(1793年)
遠山 金四郎 (29)
常山 五郎吉 (26)




