第29話 出羽ノ海
五郎吉の食いっぷりに皆が呆然としているところ、暖簾の仕舞われた蕎麦屋の入口がガラガラっと開けられ、見上げるような大男が入ってきた。
「わ、出羽ノ海関だ。」
蕎麦賭けをしている間に、金四郎が伝手を遣って友綱部屋の出羽ノ海に繋ぎを入れたのだった。
まず、まだ細いが大きな身体、いかにも遠国から出てきましたと言わんばかりの訛りから(角力に入門するために江戸に出てきたな)と金四郎は見当を付けた。
その上で、喋る言葉がおそらくは出羽国の庄内あたりのものとしたとき、同郷の親方、または二枚鑑札の力士は誰が該当するか。
そう考えれば、友綱部屋の出羽ノ海しか心当たりが浮かばない。繋ぎを入れた結果、どうやら見事的中したらしい。
「金ちゃん、面倒を掛けたね。繋ぎを入れてくれて助かったよ、ありがとう。」
好角家の金四郎、角界にも顔が効く。
もっとも、先方は旗本崩れの遊び人という認識ではあるが、それゆえに気を許しての付き合いを深めていた。
「こいつは俺が故郷の出羽国は田川郡から呼び寄せた新弟子でね、五郎吉ってんだ。部屋は両国橋を渡ってすぐだと伝えてあったんだが、間違って一本下の永代橋でウロウロしてたんだろうさ。」
ホッとした顔の出羽ノ海と目が合った五郎吉、大きな身体を小さくし、気不味い顔で会釈する。
「おや、この蒸籠の山積みは蕎麦賭けだね。五郎吉の食いっぷり、さぞ見物だろうさ。どれ、ひのふのみ……七十ってとこかい。俺も見物するとしようか。俺に構わず続けてくんな。」
「や、関取、七十で終いでさぁ。今さっき俺らが負けたとこ。」
「おいおい、それじゃあ話にならんよ。俺は庄内温海の温泉宿で、五郎吉が百枚の蕎麦をやっつけたのを見て弟子に誘ったんだ。故郷の蒸籠は一回り大きいから…そうさなぁ、百と二十で良い勝負じゃねえか。」
これを聞いた源三、黙ってられない。
「やい金坊、諮りやがったな!」
「ややや、俺も食うだろうと当りは付けてたが、そこまでとは思わなかったよ源三さん、本当だ。五郎吉さんとは永代橋で会ったばかりさ。名前すらも関取が来るまで知らなかった。したが、関取の話を聞いちゃあお金は頂けねぇな。賭けはご破算としようや。」
「ってやんでぇべらぼうめ、飲まれたお金を返せなんてこたぁ言わねぇよ。金坊、とっとと持ってきな!」
「こうなると源三さんは頑固で困るんだよなぁ。」
そこを出羽ノ海が仲裁に入った。
「じゃあ、こうしよう。源三さん達の賭け金二両は半分の一両を返そうよ。蕎麦仙への賭け金は一両だったのだろうから、これで払い戻しになるだろうさ。」
「お、おう、関取がそう言うなら受けてやってもいいや。」
源三、内心でホッとしながら了承。
蕎麦賭けで素寒貧になって帰ろうものなら、嬶に家を叩き出されてしまう。
「で、金ちゃん、儲けの一両だけどね、五郎吉が迷惑をかけた詫びとして俺が一両足して、二両に戻そう。その二両でこの店にいる皆とパッと飲るってのはどうだい。」
「関取、なかなかの名裁きだね。享保の大岡様みたいだ。やるねぇ。」
「金ちゃんよ、大岡裁きなら三方一両損だ。お前さんも一両乗せるかぇ。」
「おっと、この二両で席を作ってくらぁ。皆、門前仲町のゑびす屋な、先ィ行くぜ。」
金四郎、二両を懐に入れるや脱兎の如く、蕎麦屋を出てピューっと駆け出した。
皆の大きな笑い声に蕎麦屋が揺れる中、蕎麦仙だけが苦し気に呻いている。
なお、蕎麦の代金は、皆が門前仲町へ出てしばらくしてから漸く回復した蕎麦仙が払った。
(蕎麦屋の親父め、蕎麦のお代が二分たぁ、ぼったくりやがる。一分が相場だろうよ。)
蕎麦っ食いの仙吉、五郎吉の七十枚を見ていないので知らない。
知らぬままの仙吉が五郎吉と”蕎麦っくら”をして一敗地にまみれ、蕎麦仙の名を捨てることになるのは後日の余談。
天明8年(1788年)
遠山 金四郎 (24)
斉藤 五郎吉 (21)




