第26話 蕎麦仙は六十枚
(もう動けねぇ)
大川(隅田川)に架かる永代橋の左岸寄りで、五郎吉は欄干に背もたれて座り込んだ。
江戸相撲で前頭を務める同郷の力士、出羽ノ海運右エ門より内弟子に誘われた五郎吉は、出羽国は田川郡温海村(現在の山形県鶴岡市)より遠路はるばる江戸に出てきたものの、古河宿あたりで路銀を使い果たし、空腹でふらふらになりながら出羽ノ海の待つ友綱部屋を目指していたが、道に迷って辿り着けず、とうとう力尽きてしまったのだ。
道を尋ねようにも、江戸の言葉は早口に過ぎて聞き取れない。
五郎吉の庄内言葉も江戸の人達に通じない。
途方に暮れているところに人影を感じて見上げると、町人風な姿形に武家の髷という奇妙な風体の若者が立っていた。彼が喋る言葉はやはり聞き取れないが、身振り手振りでとにかく腹が減って動けないことを伝えると、その若者に手を引かれ、近くの蕎麦屋へ連れ込まれてしまった。
無一文なのにと困惑したまま店に入ると、店の中ほどの卓を囲むように人集りができていた。
卓には蕎麦を食べ終えたのであろう蒸籠が塔のように積み上げられ、その横で行商の姿形をした男が脂汗を垂らしながら蕎麦を手繰っていた。いや、手繰ろうとしてはいるが、口に入らない様子だ。それを大勢の客が囲んで囃し立てている。
「仙吉さん、もうよしたがいいよ。いくら”蕎麦仙”でも六十枚は無謀ってもんよ。」
「へ、へへ、高々…あと五枚じゃ…ねえか。この蕎麦仙…、蕎麦賭けで…負けたこたぁ…ねえんだ。」
蕎麦賭けとは、蕎麦を何枚食えるか食えないかで成立する賭けのこと。
酒を飲み比べる”飲みっくら”と双璧を為す、元禄の頃より始まって天明の現在では定着している江戸庶民の遊びである。
人集りの中で交わされる言葉はやはり聞き取れなかった五郎吉だが、五郎吉の実家である温泉宿・新玉屋でも、客同士による蕎麦賭けや飲みっくらがよく行われていたので、蕎麦賭けをやってることは分かった。
宿側が蕎麦賭けや飲みっくらを挑まれたときには鯨飲馬食の五郎吉が受けて立ち、全てを退けたものだ。
江戸に出てきたのも、故郷に錦を飾った際の出羽ノ海が新玉屋に逗留し、蕎麦賭けや飲みっくらでの五郎吉の無双ぶりを見て
「これだけの大食ならば身体も太く強くなるだろう。江戸に出て相撲取りにならないか。」
と、五郎吉を内弟子に誘ったからである。
天明8年(1788年)
遠山 金四郎 (24)
斉藤 五郎吉 (21)




