第13話 小寺兵衛
「先生、なにかお気に障ることでもありやしたかぃ?」
先生と呼ばれるこの男、名を小寺兵衛という。
道場の師範代を務める程に剣の技量がありながら身を持ち崩し、金に困っているところを徳次郎に買われ、いまだ神稲一家に馴染めずにいるが、盗賊稼業に手を染めて早や三年近くになる。
徳次郎の酌を受けるも、兵衛は無言のまま茶碗酒をグビリと煽る。
「ひょっとして、浜松町から芝に入るあたりまで追尾てきたお武家様のことですかぃ。」
兵衛は茶碗酒を傾ける手を止め、その重い口を開いた。
「頭、あれは只者ではないぞ。久しぶりに骨のある相手と斬り合うことになるかもしれぬと身構えておったが、ふと気配が逸れて姿を消した。それがどうにも解せぬ。」
網代笠に武家姿の男が追尾ていたのは浜松町から芝までの短い道程だったが、それに気付いて徳次郎に報告してきた配下はいなかった。そのことに不満を覚えていた徳次郎は、自分と同じかそれ以上に気配察知のできる兵衛が配下にいることを嬉しく感じた。
「実は追尾返してね、あのお武家様の面は割ってあるのだよ。聞いて驚きなさんなよ。」
兵衛に小声で耳打ちする徳次郎。
(十日ばかり前に着任したばかりの火盗改方長官、長谷川平蔵よ)
「なに!」
思わず気色ばむ兵衛にシーっと人差し指を口に当て制する徳次郎。
何事かと二人に目を向ける配下達に
「なんでもねぇよ、どうも今日の先生は虫の居所がお悪いらしい、お前らは気にすんな。さぁ飲め飲め。」
そう酒宴の再開を促すと兵衛に向き直った。
「彼奴は芝から浜に出ると海沿いにのんびり歩き出した。着いた先は品川宿。公議御用達の鎌屋ではなく相模屋に入ったかと思えば、まだ陽があるってのに綺麗処を三人も呼んで賑やかしてやがったよ。」
徳次郎は兵衛に茶碗半分ほど残った酒を干すよう促すと、兵衛が空けた茶碗になみなみと酒を注いだ。
「しばらく張っていたが、幇間が合流してさらに賑やかに遊び始めやがった。張ってるのが馬鹿馬鹿しくなって早々に引き上げたさ。」
珍しく兵衛が酌を返すの受けた徳次郎はその酒をグイと干す。
「ま、俺らを少しでも追尾たあたり、勘は良いのかもしれんが…、あの様子では気にもしてないね。あれが火盗の頭であるうちは俺の盗賊稼業も安泰ってもんだ。」
そう嗤って徳次郎は配下達の酒宴の輪の中に戻り、兵衛は視線を盃に落とした。
(長谷川の家督を継いで出世はしたが、中身は”本所の鬼銕”のままか。ま、俺も他人のことは言えぬわ。)
心の内でそう呟くと、寂し気に自嘲った。
天明7年(1787年)
長谷川 平蔵 (42)
遠山 金四郎 (23)




