裏2話
アンネリーゼの母上が亡くなった。
間もなく、キルシュ伯爵は平民の愛人を後妻に据えた。二人の間にはアンネリーゼと二歳しか違わない娘がいた。
後妻とその娘は、伯爵夫人、伯爵令嬢と呼ばれる立場になったのに平民気分が抜けず、貴族らしからぬ振る舞いばかりして社交界で浮いた存在になった。
さらにはそれをアンネリーゼのせいだと思い込んで逆恨みし、彼女を貶める言葉を言いふらしているようだった。
もちろんそんな言葉は誰も信じておらず、母子はますます疎んじられ、アンネリーゼには同情の目が向けられた。
ところが、オスカーがアンネリーゼでなく彼女の異母妹と一緒に過ごすようになり、ついにはアンネリーゼとの婚約を解消して異母妹の婚約者になった。
「アンネリーゼの何があれより劣るというのだ」
アンネリーゼの婚約解消は嬉しいが、納得できなかった。
「何も劣っていませんわ。この婚約解消はユリウス殿下のせいですもの」
「私は何もしていないぞ」
頭の中で色々と考えてはいたが。
「バルト伯爵子息はアンネリーゼ様の婚約者になれたことをこれ幸いとして堂々と距離を詰めればよろしかったのに、ご自分が彼女に釣り合うはずがないとでも思ったのか、最初からそれを放棄してしまいました」
「それは、釣り合うはずないがな」
「そのうえ、社交界デビューしてからも殿下のアンネリーゼ様に対する態度が変わらなかったので、殿下は将来アンネリーゼ様を愛人になさるおつもりで、バルト伯爵子息はそのための踏み台なのだろうと噂されるようになって、ますます卑屈になったのでしょう」
「そんな噂があるのか?」
「ユリウス殿下をよく知らない方々の仰っていることですわ。とにかく、そんな時にあの妹さんから何か甘い言葉でもかけられて、気安く接することのできる相手に逃げた、といったところだと思いますわ」
「それなら、オスカーはアンネリーゼの妹を愛しているわけではないのか」
「妹さんのほうもアンネリーゼ様の婚約者を奪いたかっただけでしょうから、どっちもどっちですけれど」
「まあ、その二人のことはどうでもいい。大事なのは、私とアンネリーゼのことだ。私は父上に君との婚約解消をお願いして、アンネリーゼと結婚するぞ」
「あら、諦めていらっしゃらなかったのですか」
「私がアンネリーゼを愛人にして満足するわけないだろ」
アンネリーゼに立派な王太子だと思ってほしくて一度は諦めかけたが、やはり私は国王になるよりアンネリーゼの夫になりたい。私が彼女を守るのだ。
「ハイデマリーも本当は好いた男の妻になりたいのではないか?」
いつも冷静なハイデマリーの顔色がほんの一瞬だけ変わったように見えた。
「何を仰っているのかわかりかねますわ」
「私がアンネリーゼと結婚するためには王太子を辞める必要がある。となれば当然、次の王太子はエーリックだ。エーリックにはまだ婚約者がいないし、父上と母上はハイデマリーを気に入っているから、君をそのままエーリックの婚約者にするだろう、ということだ」
ハイデマリーは興味ないという顔で聞いていたが、耳がわずかに赤くなっていた。
私には辛辣なくせにエーリックの前ではちょっと可愛くなったりするところ、自覚がないようだ。エーリックも似たようなものだが。
ともかく、ハイデマリーとエーリックのこれがあるから、私が王太子を辞めることに関してはアンネリーゼに納得してもらいやすい気がする。
そうして、私は勇んで父上のもとに談判に向かったのだが、その応えは私を唖然とさせるものだった。
「アンネリーゼなら、すでに新しい婚約が決まったぞ。しかも、相手はあのマイヤー家の長男だ」
マイヤー家と言えば、平民ながら社交界でもその名を知らぬ者がいない富豪だった。
あまりの勢いの良さに嫉妬した者たちが色々な噂を流しているようだが、実際には悪どいことをしているわけではなく、代々の堅実な商売で財を成してきたらしい。
項垂れてハイデマリーに報告すると、彼女は感嘆の声をあげた。
「さすがアンネリーゼ様ですわね。今を時めくマイヤー家のご長男を射止めてしまわれるなんて」
「平民なのだから、妹のほうで良かったんじゃないか?」
「ハンス・マイヤー様は平民とはいえ今や下手な貴族より余程魅力的な婿候補なのですから、狙っていた方も少なくないはずです。その中から選んでもらおうと思ったら、あの妹さんでは完全に役不足ですわ。ああ、でも、キルシュ伯爵夫人などはアンネリーゼ様のお相手が平民というだけで鬼の首を取ったように喜んでいるかもしれませんわね。キルシュ伯爵はそこまで計算していたのかしら」
顔も知らぬハンス・マイヤーが憎かった。
それから間もなく、王宮で夜会が開かれた。
本来ならアンネリーゼをエスコートしていたはずなのにと思いつつ、ハイデマリーをエスコートした。
アンネリーゼは一人だった。この夜会には平民は招かれていないのだ。
マイヤーと並ぶアンネリーゼを見なくて済んだことにホッとするが、彼女の憂いを帯びたような表情が気になった。
まだ婚約者だったオスカーが異母妹をエスコートしていても、あんな顔は見せなかったのに。
アンネリーゼのところに行きたいのに、私に寄って来る者が多くて動くことができなかった。
苛々するあまりワインが進み、ハイデマリーに嗜められた。
ようやく一段落つき、ハイデマリーとは分かれてアンネリーゼのほうに向かった。
ところが、アンネリーゼの姿は先ほどまであった場所から消えていた。
慌てて周囲に視線を走らせるが、やはり見当たらない。
もう帰ってしまったのだろうか。それとも、マイヤーのもとに行ったのか。私を置いて。
目の前が真っ暗になった気がして、慌てて頭を振った。
まだ間に合うはずだ。今から追いかければきっと捉まえられる。
そう思い出口に向かいかけた時、どこからともなく声が聞こえた。
「先ほど、アンネリーゼ嬢はバルコニーに出て行きましたよね」
「お一人でしたが、大丈夫かしら」
私はぐるりと体の向きを変え、急ぎバルコニーへと向かった。
気がつくと、私は休憩室のベッドで一人寝ていた。
庭園で見つけて、二度と離すものかとこの腕に抱きしめたはずのアンネリーゼはまたいなくなっていた。
ワインを飲み過ぎたせいかぼんやりする頭で前夜のことを思い出した。
アンネリーゼと一緒にここに来て、このベッドに彼女を押し倒したはずだ。口づけても拒まれなかったし、頼んだら「ユリウス様」と呼んでくれた。
そして、「愛してる」と伝えたら、「私も愛しています」と返してくれたので、嬉しさのあまり「アンネリーゼ、愛してる」と何度も繰り返しながら最後までしたようなしていないような……。
途中からどうにも記憶が曖昧だが、おそらく最後までいたしたのは夢の中でだろう。
私は多少の乱れはあっても服を着たままだったし、何より、いくら酔っていたからといってアンネリーゼとの初めてをほとんど覚えていないなんて残念なことはありえない。
とにもかくにも、アンネリーゼと想いが通じ合ったことは間違いないはずだ。
アンネリーゼの性格から察するに、恥じらいと優しさから私を起こさぬよう黙って帰ってしまったのだろう。
アンネリーゼを安心させるためにも、今度こそ父上に結婚の許可を得たうえで彼女に会いに行こう。




