裏3話
酔っ払った状態でアンネリーゼに告白したことは伏せたまま、父上に彼女との結婚の許しを求めた。父上はなかなか頷いてくださらなかった。
それでも引き下がらず、毎日、父上の前でアンネリーゼへの想いを語った。
そのうちに父上は私の顔を見ただけでうんざりした表情を浮かべるようになった。
もういっそのこと、既成事実があることにしてしまうか。きつく叱られるだろうが、結婚は認めてもらえるはずだ。
そう考えはじめた頃、父上から呼び出された。
「そなたはきちんと理解しているのか? アンネリーゼと結婚するためには王太子の位どころか王族の立場も手放さねばならないのだぞ」
「アンネリーゼと一緒にいられるなら、何を引き換えにしても惜しくはありません」
「王子として生まれ育ちながら、無責任だとは思わぬのか?」
「幸い、この国にはエーリックがいます。エーリックが私などより余程有能であることは父上もお気づきでしょう。それに、ハイデマリーはエーリックとのほうが相性が良いように見えますから、きっとエーリックをよく支えてくれるはずです。もちろん、私は臣下として全力で父上とエーリックを補佐し、この国のために尽くします」
力が入るあまり、いつの間にか胸の前で拳を握っていた。
「ユリウス様は王太子でなくなってもご立派ですね」と笑うアンネリーゼの顔がまぶたの裏に浮かんだ。
父上は深く息を吐き出した。
「そなたの決意が固いのはわかったから、あとは行動で示せ」
「行動とは?」
「自分自身でアンネリーゼに気持ちを伝え、それが受け入れられたらここに連れて来い。マイヤーにアンネリーゼとの婚約を解消させることと、キルシュ伯爵に結婚の許可を得ることも忘れるなよ」
「ありがとうございます。では、すぐにでも……」
「待て。まだ話は終わっておらん」
父上に引き止められて聞かされたのはキルシュ家の後継問題だった。
てっきりハンス・マイヤーが婿入りするものだと思っていた私はキルシュ伯爵たちに腹を立てた。
アンネリーゼがキルシュ家を出て嫁げるというなら、私の長年の苦悩は何だったのか。
同時に、これまでアンネリーゼとの結婚を望む私を煩わしそうにあしらっていた父上が、その裏ですでに様々なことを考えてくださっていたらしいことに気づき、ありがたく思った。
そうして、私はまずマイヤー家に向かった。
初めて会ったハンス・マイヤーは確かにオスカーなどより余程強力な恋敵に見えた。
人懐こそうな笑みを浮かべながらも油断なく視線を光らせているといった感じで、自分に会いに来たのが王太子だと知っても臆することなく挨拶をした。
「アンネリーゼ・キルシュとの婚約を解消してもらいたい」
しかし、私が単刀直入にそう切り出して頭を下げると、ハンスは目を瞠った。
私が商売の話でもしに来たと思っていたのだろうか。
「アンネリーゼ嬢の恋人は王太子殿下だったのですか?」
息が止まるかと思った。
恋人。私はアンネリーゼの恋人。愛人よりずっと良い響きだ。
「そうだ」
「どおりで、決して相手の名前を明かさなかったはずですね」
「アンネリーゼから私とのことを聞いていたのか?」
ハンスは何かを伺うように私の顔をしばらく見つめてから、口を開いた。
「他の方の子を身籠ったので、私のほうから婚約を破棄してほしいと言われました」
私は耳を疑った。
アンネリーゼが身籠った。つまり、あの夜のことはすべて夢ではなかったのか。
「それで、どうしたのだ?」
「その方とは結婚できないということだったので、このまま私と結婚しませんかと言ったのですが、断られました。でも諦めきれなくて、アンネリーゼ嬢の意思を無視して推し進めてしまうつもりで、父にはまだ何も話していません」
結婚できないとはどういうことだ。なぜ私に何も言ってくれなかったのだ。まさか子どもの父親は別の男なのか。いや、アンネリーゼに限ってそんなはずはない。だが、万が一そうだとしても構うものか。諦めの悪さならハンスより私のほうが上だ。
「ですが、こうして彼女の恋人が私の前に現れて頭を下げられてしまっては、潔く身を引いたほうが良さそうですね。王太子殿下に貸しを作れる機会なんてそうそうないでしょうし」
ハンスはわざとらしくニヤッと笑った。
「ああ。いつか必ず返す」
もうすぐ王太子でなくなることは、とりあえず黙っておくことにした。
ハンスは父親に頼んでキルシュ家への婚約破棄通知を書いてもらい、それを私に託してくれた。
「急いだほうが良いかもしれません。アンネリーゼ嬢は家を出るつもりのようでしたから」
そう言われて慌ててキルシュ家に向かったおかげで、私はギリギリ間に合った。
キルシュ伯爵に乱暴に玄関から押し出されたアンネリーゼは、再び私の腕の中に戻ってきた。
今度こそ逃すまいという気持ちで彼女を抱き上げて馬車まで運んだ。
彼女の腹の中に私の子がいるのだと思うと何とも不思議で温かい気分になった。
アンネリーゼを馬車の座席に下ろしてから再び外に出て、キルシュ伯爵にマイヤー家で預かってきた婚約破棄通知を手渡した。
「なぜ、殿下が?」
伯爵の疑問に私が応える前に、夫人が割り込んだ。
「また婚約を破棄されるなんて、どうしようもない娘でお恥ずかしいですわ」
「ああ見えて、姉は男遊びが激しくて」
私の前でもアンネリーゼを侮辱する母子を殴りたくなるのをどうにか堪え、キルシュ伯爵だけを視界に入れた。
「私です」
「は?」
「アンネリーゼの腹の子の父親は私です。だから、彼女と結婚するのも私です。認めてもらえますね、キルシュ伯爵?」
「殿下は姉に騙されているのですわ」
「王太子妃には是非、ビアンカを」
「伯爵、どうなのです?」
「も、もちろん構いません」
「感謝します」
微笑して軽く頭を下げ、すぐに顔をあげると三人を睥睨した。
「アンネリーゼは私の子を身籠っており、数日中には正式に私の婚約者に、そして近いうち私の妻になります。もし彼女の心身を傷つける者があれば私は決して容赦しない。……では、詳しいことは後ほど知らせます」
私はアンネリーゼの待つ馬車に乗り込んだ。
この期に及んで何も話してくれないアンネリーゼに腹が立って、馬車の中では私も何も知らないふりをした。
これからのことも肝心なところは抜かして話した。
それでもハイデマリーとは婚約を解消すること、王太子位はエーリックに譲ること、二人が想い合っていることは伝えたのだから、アンネリーゼも私と結婚できるとわかって安心したはずだと思っていた。
王宮に戻ると、ちょうど週に一度の家族での茶会の時間になっていた。
私はアンネリーゼを連れて茶会に向かい、彼女との結婚を宣言した。
アンネリーゼは訳がわからないというようにポカンとしていた。
そんな顔も可愛いからといって、見惚れてはいられなかった。
私とアンネリーゼには互いに勘違いや思い込みがあった。だがそれらを取り払い、改めて気持ちを確認し合えた。
アンネリーゼは身籠っておらず、あれはやはり夢だった。
少しだけガッカリしたものの、彼女との初めてを酔っていたせいで忘れてしまったわけではなかったことに安堵した。
念のため、初夜を迎える時は決して酒は口にしないと心の中で誓った。
あの夜のことを知られたので父上と母上にはたっぷり叱られた。
アンネリーゼは結婚までは王宮で暮らすことになった。
キルシュ家には「アンネリーゼの体調を考慮したうえで結婚に向けた教育を行うため」と伝えた。
嘘ではない。私と結婚すればアンネリーゼは王族に準じる立場になるのだから、それなりの教育は受けてもらわねばならない。
彼女には貴族令嬢としての基本的な素養は備わっているから、それほど苦労することはないだろうが。
私の部屋からそう遠くない場所にアンネリーゼの部屋が用意されたが、私は父上から出入り禁止を言い渡された。アンネリーゼを私の部屋に入れることも。
「これからは毎日、ユリウス様のおそばにいられるのですね」
アンネリーゼがそう言って頬を染めつつ笑顔を向けてくれたので、私の気分はたちまち上昇した。
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