3話
シリアス度が下がります。
偽の恋人役を務めると決めたものの、王宮の中を王太子殿下にエスコートされて歩くのは何とも落ち着かない気分だった。
屋敷にいた時のままの普段着のドレス、それもだいぶ着古したものを纏っている私は、王宮にいるのも殿下の隣にいるのも場違いでしかない。
なのに殿下はすれ違う方々の怪訝そうな目を気にする様子もなく、ゆったりと足を運ばれていった。
そうして殿下が向かった先は、王族方の居住区域にある応接間の一つだった。
その中では、国王陛下と王妃殿下、第二王子殿下、そしてシュナイヒ侯爵令嬢が揃って紅茶を飲んでいらっしゃった。
私を連れて現れた殿下に、陛下が眉を顰められた。
「遅い」
「申し訳ありません。彼女を迎えに行っておりましたもので」
私は皆様の注目を浴びて逃げ出したくなったけれど、どうにか踏みとどまった。
「その令嬢は……?」
陛下に応えられたのは王妃殿下だった。
「キルシュ伯爵家のアンネリーゼですわ」
「やはりそうか」
なぜか国王陛下をはじめとしてどなたにも私の登場を訝しむ様子は見られなかった。
ただ一人戸惑いながら、私は皆様に礼を取った。
姿勢を戻した瞬間、殿下が私の肩をしっかり抱き寄せたかと思うと、どこか誇らしげに宣言なさった。
「私はハイデマリーとの婚約を解消し、真に愛するアンネリーゼを妻にします」
「改めて訊くが、廃嫡になっても構わぬのだな?」
「はい」
「仕方あるまい。認めよう」
嘆息混じりに陛下が仰った。
予想と異なりあっさり認められてしまったことに私は「どうして」と呟いたが、声にならなかった。
殿下はにこやかに陛下に頭を下げた。
「ありがとうございます、父上。ほら、アンネリーゼ、そこに座って」
優しく促されるままソファに腰を下ろすと、殿下も私に寄り添うように隣に座った。
「そういうことだ。エーリック、そなたを王太子とし、ハイデマリーはエーリックの婚約者とする」
名を呼ばれたお二人が、それぞれ陛下に礼をとった。
「後は頼むぞ、エーリック」
「まさか本当にこうなるとは」
「おまえたちだって、内心では大喜びしているんだろ」
「そ、それは……」
エーリック殿下は顔を赤らめつつ、やはり恥じらう表情のシュナイヒ侯爵令嬢と目を合わせた。
「私に感謝しろよ」
「私たちのことはついででしょうに」
そう言って私に視線を移したシュナイヒ侯爵令嬢の可憐な顔に嘲笑が浮かんだ。
「彼女は状況を理解できていないようですわよ。きちんと説明なさったほうがよろしいのではなくて、ユリウス殿下?」
その言葉で私を見下ろした殿下はうぐっと呻くような声を漏らし、みるみるうちに顔を顰めた。
「アンネリーゼ、なぜそんな驚いた顔をしているんだ」
「そう言われましても、逆になぜ皆様は私のことを当然のように受け入れていらっしゃるのですか?」
「私が以前から愛するアンネリーゼと結婚したいと言っていたからだ」
「あ、い……? 殿下が私を?」
殿下の顔がますます顰められた。
「王宮の夜会の時に告げて、君も応えてくれただろう」
「あれは、人違いでは……?」
「人違い? アンネリーゼ、君はいったい私を誰と間違えたというのだ?」
殿下は今までに見たことがない怖い顔で、私のお腹に手を当てた。
「この子の父親もその男だと言うつもりか?」
私は思わず息を呑んだ。
やはり、屋敷で誰かが話してしまったのだ。それにしても、殿下は今まで知らない顔をしていたのに皆様のいる場で明かしてしまうなんて。
とにかく否定しなければと口を開きかけた時、部屋に「馬鹿者が」と陛下の怒声が轟いた。
ほぼ同時にバシッという音と「痛っ」という殿下の声がした。見れば、殿下が頭をさすっていて、その向こうでは王妃殿下が眦を吊り上げていらっしゃった。
「アンネリーゼを妻にしたいなら自分で伝えてここに連れて来いとは言ったが、そこまでしろとは言っておらんわ」
「アンネリーゼのことは大切にするだろうと思っていたのに、そんなことをしてあまつさえ今日まで放っておくなんて、なんて無責任なの」
陛下と王妃殿下に口々に叱られ、第二王子殿下とシュナイヒ侯爵令嬢からは白い目で見られている殿下に、申し訳なさで身が縮んだ。
「あの、違うのです」
思いきって声をあげると、殿下に睨まれた。
「アンネリーゼ、君が愛し合ったのは他の誰でもなく私だ」
「いえ、そうではなくて、私は身籠ってなどいないのです」
「……は?」
殿下が眉を寄せた。
「それならば、私はマイヤーに担がれたのか?」
「ハンス様にお会いになったのですか?」
「アンネリーゼを私の妻にするためにはマイヤーに婚約を解消してもらう必要があったからな。そんなことより、本当に身籠っていないのか?」
「そもそも、殿下と私は子ができるようなことまではしていないではありませんか」
殿下が目を見開いた。
「そうなのか?」
「どういうことなの、ユリウス?」
「そう言えば、あの日はずいぶんワインを召されていましたね」
「まさか、アンネリーゼと間違えて別の令嬢を……?」
「ありえません」
殿下が焦った顔で叫んだ。
「あの夜は確かに少し酔っていましたが、私が追いかけてこの腕に抱いたのは間違いなくアンネリーゼです。その後、私は彼女を連れて休憩室に行き、ベッドの上で口づけ、愛を告白し、身体を重ねました」
今度は私が焦った。
「ですから、身体は重ねていません。その前に殿下が眠ってしまわれたのです」
「やはりそうだったのか」
殿下が複雑そうな表情で嘆息した。
「途中からの記憶が曖昧でどこまで現でどこから夢なのか判然としなくてな。さすがにあれは夢だろうと思っていたが、マイヤーからアンネリーゼが身籠っていると聞かされ、現だったのかと驚いて慌ててキルシュ家に向かったのだ」
そこで殿下がハッとなった。
「キルシュ伯爵は身籠っていることを理由に君を追い出そうとしていたのではないのか?」
「実は、ハンス様と父たちには身籠ったと嘘を吐きました」
「どうしてそんなことを?」
「あの夜から、殿下への想いを抱えたまま他の方と結婚する覚悟がすっかり崩れてしまって。だから、ハンス様には婚約を破棄してもらうために、父たちには家から追い出してもらうために嘘を吐いたのです」
もっと正確に言えば、月のものが遅れていることを指摘されて意味もなく焦ったためにヘラに怪しまれ、想う方がいることと、あの夜にその方との間にあったことを告白してしまってから、だ。
お母様が亡くなってから誰にも話せなかったことをヘラに聞いてもらえたことで、私は殿下以外の方には添いたくないという自分の正直な気持ちに気づけた。
もちろん殿下に添えるはずはないと思っていたから、修道院に入ろうと決めたのだけれど。
「そんなことをしなくても、すぐに私を頼ってくれれば良かっただろう」
「あなたが不甲斐ないから頼れなかったのでしょう」
「互いに別の婚約者がいるうちに手を出そうとするような男が信じられるか」
再び責められた殿下は拗ねたような表情になって私を見つめた。
「あれほど繰り返し『アンネリーゼ、愛している』と伝えたのに、君は私の想いを信じられなかったのか?」
「殿下が『愛している』と仰ってくださったのは一度だけでしたし、私の名は一度もお呼びになりませんでしたが」
「本当か? では、あれも夢か」
殿下はがっくりと肩を落としてしまった。
「あの、申し訳ありませんでした」
「いえ、悪いのは兄上でしょう」
「そのとおりですわ。アンネリーゼ様、引き返すなら今ですよ」
「それ以前に、ユリウスはアンネリーゼにきちんと求婚することなく、ここに無理矢理連れて来たのではないの?」
「何だと。だったら、結婚の許可は無効だな」
「そんな、ちょっとお待ちください」
殿下は焦った様子で立ち上がったかと思うと、くるりとこちらを振り向いて跪いた。その両手が私の両手をぎゅっと包み込んだ。
「アンネリーゼ、愛している。どうか私を君の夫にしてほしい」
頭の中がふわふわして、言葉が何も出てこなかった。これこそ夢ではないだろうか。
殿下に目元をそっと拭われて、自分が涙を流していることに気づいた。
「アンネリーゼ?」
私だけを映した殿下の瞳が不安げに揺れていた。
「はい、喜んで」
次の瞬間、私の身体は殿下の腕の中にあった。痛いくらいに強く抱きしめられて、これは現だと実感した。
「ああ、アンネリーゼ。アンネリーゼ」
感極まったような声で殿下に繰り返し名を呼ばれて、また涙が溢れた。




