2話
これからどうするか、しばらく悩んだ末、ハンス様に会いに行った。
身籠ったと話して、向こうから婚約を破棄してくださるようお願いした。
「お相手の方と結婚なさるのですか?」
「いいえ。このことを知らせるつもりもありません」
「でしたら、このまま私と結婚しませんか? もちろん、その子は私たちの子ということにして」
やはりハンス様は良い人だ。
でも、私の決意は揺らがなかった。
「あなたにそのようなご迷惑をおかけするわけにはまいりません」
「それなら、これからどうするつもりなのです? 失礼ながら、あなたのお父様がこんなことを許すとは思えないのですが」
「おそらく家を追い出されると思いますが、構いません」
「そうですか。もし何かあったら遠慮なく私を頼ってくださいね」
それだけはしてはいけないと自分に言い聞かせつつ、心からのお礼を伝えた。
私は屋敷を出る準備を整えてその時を待った。修道院に入るつもりで、目ぼしい場所について調べておいた。
けれども、すぐに届くだろうと思っていたマイヤー家からの婚約破棄通知はなかなか来なかった。
きっとこれもハンス様の心遣いだろう。
私は自らお父様に告げた。
お父様は激昂し、とんでもないことを命じてきた。
「今すぐマイヤーの息子と寝てこい」
「ハンス様にはすでにお話してきましたから無駄です」
「勝手なことばかりして、この役立たずが」
「わかっていたことではありませんか。この娘には家族のために犠牲になろうという気持ちがまったくないのですわ」
何だか可笑しくなった。お継母様に家族扱いされるなんて。
「父親は誰なんだ?」
お父様に険しい顔で問われたが、私は口を噤んだ。
「まさか、わからないの? とんでもない阿婆擦れね」
「我が家の恥だわ。父親のわからない子を産んで、私まで白い目で見られたらどうするのよ」
それなら、まだ私と婚約中だったオスカー様と異母妹がしたことだって恥ずかしいはずだ。
「そんな子どもをこの屋敷で産ませるつもりはない」
お父様に腕を掴まれ、玄関へと引きずっていかれた。
準備しておいた荷物は持って出られなそうだ。
懐に少しのお金とお母様の形見を忍ばせておいて正解だった。
大きな音を立てて玄関扉が開け放たれた。
「出て行け。二度と顔を見せるな」
後ろ向きに押し出された私の身体は、倒れることなく何かに力強く受け止められた。
驚いて振り向けば、こんな場所にいらっしゃるはずのない方の顔がすぐ間近に見えた。
「大丈夫か?」
「は、い。ありがとうございます」
「お、王太子殿下、なぜ我が家に……」
お父様の声も動揺していた。
「訊きたいのは私のほうです。なぜ彼女にこのような乱暴なことを?」
「それは、色々と理由がありまして」
「その理由を事細かに問いたいところですが、今は時間がない」
そう言ったかと思うと、王太子殿下は私を抱き上げた。
私は小さく悲鳴をあげて殿下の服を掴みかけ、急いで手を引いた。
「良いから、しっかり掴まれ」
私が恐る恐るその肩に手を置くと、殿下は踵を返して歩き出した。
門の近くに王家の馬車が停まっているのが見えた。
「殿下、娘をいったいどちらに?」
お父様たちが殿下の後を追ってきた。
「王宮に決まっているでしょう」
「殿下、姉などより私をお連れください」
異母妹はオスカー様に対するより甘ったるい声を出し、お継母様も猫撫で声で続いた。
「殿下、是非そうしてくださいませ」
「私に必要なのは彼女です」
思わず見上げると、殿下がフッと笑みを浮かべた。
「一緒に来てくれるね?」
そう問いかけられて、考える前に頷いていた。
殿下は私を馬車の中の座席にそっと下ろしてくださると再び馬車を降りた。
扉が閉められたので、外の会話がよく聞こえなくなった。
しばらくしてまた扉が開き、殿下が私の隣に座られた。
扉が閉まり、馬車が走り出す。
窓からお父様たちの呆然とした顔が一瞬だけ見えた。
「久しぶりだな」
殿下の顔には相変わらず笑みが浮かんでいるのに、声には棘が感じられた。
戸惑いつつ、口を開いた。
「お久しぶりにございます。……殿下、いったいどうなさったのですか?」
殿下は黙ったままジッと私を見下ろしてきた。何でも見透かしてしまいそうな視線に身が竦む。
本当に、どうして殿下が家になんていらっしゃったのだろう。
お父様たちは「我が家の恥」を殿下に伝えたりしていないわよね。
もちろん聞いたとしても父親が誰かなんて殿下にもわからないはずだけれど、この方にまで誤解されるのは嫌だ。
しばらくして、ようやく応えが返ってきた。
「とりあえず、君に協力してほしいことがある」
「私にできることでしたら」
「君にしかできないことだ」
そう言えば、殿下は先ほども私が必要だと仰っていたような。
「今から婚約を解消する」
「婚約解消? どなたのですか?」
「もちろん私だ」
「まさかシュナイヒ侯爵令嬢と?」
殿下の婚約者シュナイヒ侯爵令嬢は可憐な見た目ながら、将来の王太子妃に相応しい気品と知性を兼ね備えていて、私より一つ歳下だけど尊敬できる方だ。
殿下とシュナイヒ侯爵令嬢が並んだ姿はとてもお似合いで、仲も良さそうだったのに。
「彼女にも別に好きな男がいるんだ。エーリックなんだが」
思わぬ理由に、私は目を見開いた。
エーリック様は第二王子殿下、つまり王太子殿下の三歳下の弟君だ。
「エーリックも彼女を好いている。だから二人を添わせる」
「殿下はそれでよろしいのですか? シュナイヒ侯爵令嬢ほど王太子妃殿下に相応しい方はいらっしゃらないのでは?」
殿下だってシュナイヒ侯爵令嬢を愛しているのではないか。
そう思って尋ねたのに、殿下の応えはさらに私を驚かせるものだった。
「だから、代わるのは王太子のほうだ」
つまり、殿下は王太子位をも弟君に譲るおつもりなのだ。
「そんな、殿下はずっと努力されてきたのに」
第二王子殿下は有能な方だと聞くけれど、殿下が立派な王太子でいらっしゃることも誰もが認めているはず。
「私が努力していたのは将来国王になるためではなく、ただ褒められたいがためだ。エーリックのほうが相応しいよ」
殿下が自嘲するような笑みを浮かべた。
褒められたかった相手は、やはりシュナイヒ侯爵令嬢なのではないだろうか。胸が痛む。
でも、どなたが王太子になるべきかなんて私が口を出すことではない。
それに、殿下が愛する方のためにと決心されているなら、私は殿下のために協力してさしあげたい。こんな機会は最初で最後だろうから。
「私は何をすればよろしいのですか?」
「これから陛下に婚約解消を願い出るから一緒に来てくれ。その後のことは追い追い話そう」
なぜ私が、と口にしかけて気がついた。私の役割は殿下の恋人だ。偽の。
殿下は想い合う二人のために自分が悪役になろうとしているのだろう。
婚約解消の理由として手っ取り早いのは、「真に愛する人ができた」といった類のもの。私の最初の婚約者のように。
だけど、そんなことが簡単に認められるほど貴族社会は甘くない。殿下は王族だからなおさら厳しいはず。
オスカー様は相手が私の異母妹だったから許された例外だ。
殿下と「真に愛する人」との関係が陛下に認められることはない。
そればかりか、相手の女性は殿下を誑かしたとして後ろ指をさされ、社交界で居場所を失いかねない。
おそらく殿下はそうならないよう策を講じてくださるおつもりなのだろうけれど、私にはもはやそんな必要はないから、殿下のお手を煩わせる前に姿を消してしまえばいい。
重要なのは、殿下がそんな役割を任せられるほどに私を信頼してくださっているということ。
「承知いたしました。殿下のお望みのままに」
殿下は満足そうに頷いた。




