氷川夏美の包囲網! その2
「えっと、次は――CDショップに行けと!?」
記載されている文字を見て夏美は仰天した。どうやら綾は、ふらふらとこの夜道をを彷徨いながらCDショップに寄っていたらしい。弟の大事なプレゼントを買うためとかなんとか言っていたくせに、自分の趣味を優先している気がぷんぷんした。
そのCDショップはまだ営業していた。最近はどんな店でも二十四時間営業しているから別に珍しいことではない。でも駅からだいぶ離れた場所にあるし、大通りに面してはいるが人が少ないからか、夜の十時で営業は終了するようだ。敷地面積も、とても都会のものとは思えない小さな規模だった。
眩しさに目を細めながら夏美は入店した。いらっしゃいませ、と低い声の店員さんの声が聞こえてきたが、有線放送から流れているラップ調の音楽にかき消されてしまった。
あの女はここでなにをしたのだろう。そう思って先輩が書いた紙を読み進めていくと、その答えが見えてきた。
『奥の方にある邦楽の棚から、弟が欲しがっていた『ウルス』というバンド名のベストアルバムを手に取った』
先輩の筆跡をなぞるように読み終えてから、夏美は店の奥の方へ進んでいった。
目が眩むほど明るい店内には数人しかいなかった。夏美はがらがらの店内をするすると進んでいく。ものの数秒で、一番奥にある邦楽の棚にたどり着いた。頭文字が『う』と書かれた欄を見つけ出し、その中からウルスというバンド名を捜し当てた。
夏美も音楽はよく聞くし、ウルスというバンド名にも聞き覚えがあった。確か、三人組のビジュアル系バンドだった気がする。既に十枚以上もシングルを出し、アルバムだって数枚、この世に送り出している。見た目だけのビジュアル系バンドだと初めは避けていた時期もあったが、友達の風見ゆいかの勧めで実際に聞いてみると、躍動感を体現したような、実際に演奏している模様が目に浮かぶような熱い曲目に惹かれてしまい、CDも数枚買ってしまった。普段はあまり持ち歩くことはないけどプレーヤーにだって数曲移してある。夏美は久々な感覚を思い出しながら、ウルスの欄から一番太いCDを手に取った。
ウルス・ザ・ベスト、とわかりやすく銘打っているベストアルバムだった。そのジャケットの中央には、左手でカッコよくスタンドマイクを持った、金髪で長髪のまさにビジュアル系と思しきボーカルの姿があった。ボーカルの人だけは名前を聞いたことがある。えっと確か――……いや、なんだっけ、忘れた。まあいいか。その両隣りでは、ちょっと遠目に撮影された二人の仲間たちがギターを肩から掛けてかっこよく決め込んでいた。
「もしかしてあの女、これ買った?」
夏美は、さっきの文章の続きを読み始めた。そこには「買った」ではなく、「手にとってしばらく眺めていた」と表現されていた。買おうにもお金がなくて、その場でずっと立ちすくんでいたということだろう。たった三千五百円の貯金すらないのか。でもなんともまぁ、子供っぽい行動をとる女だな。
しかし夏美もそこで五分ほど停止していた。それから勝手に決断する。
(よし、これ買おう!)
あの女、私が買ったこと知ったら悔しがるだろうな――
夏美はウルス・ザ・ベストを片手に、足早にレジへと向かった。
さっきおばあさんが言っていた、名前のない店までは意外と遠かった。地図の赤線はくねくねと蛇行していて、最短距離で目的地の店まで行けないのだ。その間、いくつかのゴミ収集場所を覗いてみたり、誰もいない小さな公園内を探してみたり、コンビニで綾が買ったらしいお菓子を買ってみたり――と、普段はしない行動をしてきて精神的に参っていた。陸上部なので体力には自信があったが、面白くないことばかりしているのでそんなこととは関係なく疲れてしまった。CDショップとコンビニでは既に昨日、小守先輩が聞き込みしてくれたらしい。どちらの店員さんも落し物は特にないと言っていたようだ。ならば自分って無駄足なんじゃないかと思ったが、同時に、余計な手間が省けてよかった気もした。
そしてついに、夏美は名前のない店の前に到着した。時刻はちょうど七時。
その外観は店と言うよりも、普通の一軒家と等しく感じられた。敷地は小さく、高さで稼いでいるような建物。店の名前が書かれていたと思われるプレートが掲げてあるが、ペンキがはげてしまってまったく見えない。この店はだいぶ古い建物らしく、薄っぺらい木の板でできているようだったので、今にも崩れそうに見えた。
一階と二階、どちらの電気もついていた。中に人はいるようだ。
扉はガラス戸だった。ここが本当に店なのかどうか怪しい気もする。しかし、地図と照らし合わせてみてもここしかありえないので、夏美は息をのんでから扉を開いた。
「こ、こんばんは~」
蚊の鳴くような声で挨拶をした彼女は、店内を見渡した。
店内の両壁には、天井まで続く棚が設置されていて、その全ての場所にクマをテーマにしたものがディスプレイされていた。キーホルダーのように小さなものから、抱き枕になりそうな大きなものまで沢山あった。いくつか骨董品がまざっているところが、おじいさんらしい趣味だと思えた。
ただ、どの商品にも値札のようなものは付属されておらず、趣味の範疇にも思えた。しかしここまでクマを愛している店はそうそうないし、ここが目的の店で間違いなさそうだ。あの女が買ったぬいぐるみはどれだろうと、夏美がぬいぐるみが置かれている棚を眺めていると、お店の奥から声が飛んできた。
「マリおばさん? なんだい忘れものかい?」
店の奥には部屋があるらしいが、床まで届きそうな長い暖簾で見えないようにしてあった。その暖簾をくぐるようにして顔を出してきたのは、もう既に髪の毛がほとんどない、丸坊主のおじいさんだった。
「突然すいません、クマのぬいぐるみの噂を聞きまして」
夏美はお爺さんに向き直って頭を下げた。するとおじいさんはサンダルを履きながら、「そうでしたか。またここも繁盛の兆しかね」と言ってぎこちなく笑った。
「あの、もしかして、最近女の子が来たんですか?」
「来ましたよ。なにやらおどおどした感じの子だったね。その子から聞いたのかい?」
まぁちょっと違うけど、間違いではないので夏美は一応うなずいておいた。
「どれを買っていったんですか?」
「これこれ、この店で一番人気のぬいぐるみね」
おじいさんは意外にしっかりとした足取りで近づいてきて、夏美のそばにあった棚から一つを取った。それは高さ五十センチほどのぬいぐるみだった。癒しグッズとしてベッドの隣に置いても、邪魔にならないくらいの大きさだ。ちなみに値段は千円ぽっきり。
「これを買いにきたのかい?」
「えっと、そうじゃなくて――」
夏美はここでなにをすればいいか忘れていた。先輩が渡してくれた紙を見たが、どこまで読んだのかすら忘れていたので急いで探した。
――そこの店のおじいさんと、仲良くなれ――
えっ? どうしてそんなことを?
「どうかしたのかい?」とおじいさんが紙を覗き込んでくるので、夏美はとっさに背中に隠した。
「いえなんでも、あははは」
ゆがんだ顔で笑う彼女は、その隙にどうしようか悩んだ。
(な、仲良くなってどうするのよ先輩! そこから先を知りたいのにっ!)
つられたようにして笑うおじいさんが一つ提案した。
「なんでもいいさ。こんな店に来てくれただけでもわしは嬉しいね。もしよかったら、一緒に夕食でもどう?」
おじいさんは、手のひらで店の奥を指さした。そこは和室らしいが、さっき暖簾の隙間から見た限りでは、かなり汚れている様子だった。そもそも初対面の人間をいきなり夕食に誘う神経におののいた夏美は、「ま、また来ます!」と声を残して店を飛び出した。
呆気にとられていたおじいさんはむなしそうに呟いた。
「いきなりはまずかったか。そういえば、昨日の男の子にも、断られたのう」




