捜索と喧嘩
約束通りの日、約束通りの放課後に、綾は頼まれたものを持ってきて小守に手渡した。
「習い事スケジューリング表、落とした可能性がある地点を記した紙。それから、落としたその日の、白河さんの足取りをペンでなぞった地図――これで完璧ですね。どうもありがとうございます」
いつもの、自分専用の椅子に座ったまま小守は会釈をした。
「あ、いいえ、私の方こそこんな依頼をしてしまってすいません」
小守の目の前に立ち、綾は深々と頭を下げた。その綾は今日もバイオリンの習い事で忙しいらしい。そそくさと部室から退散した。小守はふぅとため息をついて受け取った情報を眺め始めた。
「昨日、ふと寝る前に考えたんですけどね、いまどきクマのぬいぐるみをプレゼントにする人ってなかなかいないと思うんですよ。いくらお金が足りないからって、これはちょっと弟さんに同情しますね。私ならもっといいものをプレゼントしますよ。例えばこれみたくお菓子とか」
小守の目前には、昨日もらったナボーナをむしゃむしゃと食べる夏美の姿があった。テストが近いため、陸上部の活動が徐々に減っているらしく、今日はずっと小守と一緒にこの部室にいる。
夏美はまだナボーナが何十個も入っている大きな箱を抱きしめるようにして持ち、一心不乱に咀嚼していた。さすがの小守も我慢の限界を迎え、一バックだけ貰い受けて口に運んでみた。すると、濃厚でクリーミーななんともいえぬ美味しさが体中に広がった。
「って、こんなことしてる場合じゃない!」
お菓子の国にでも行ってしまったかのような浮遊感から脱却して、小守は半分になったナボーナをぱくりと一口で食べ切った。
「どうかしたんですか? まだまだありますから先輩もどーぞ」
「いらん! それより俺はそろそろ行くからな!」
手元にある数枚の資料を一つのファイルに入れた小守は、鞄を持って扉に向かって歩き出した。
「せ、先輩!? どこ行くんですか私も行きます!」
慌てて箱を紙袋に放り込んだ夏美は、取りあえず自分の鞄だけ引っ張り上げ、口についたクリームを舌で舐めながら先輩の背中を追いかけて行った。
電車を利用して一時間強。綾が通うピアノ教室があるという『羨望駅』で二人が下車したとき、既に日は沈み街灯の明かりがありがたく感じられる薄暗い夜になっていた。都会ではあるはずだが比較的閑静な住宅街らしい。駅前にはレストランが点在し、夜道を歩く人々の食欲をそそっていた。「ちょっと夕食一緒に食べません?」と、ブレザーの裾を引っ張り笑顔で誘ってきた夏美を横目に、小守は住宅街へと足を進めた。そしてずっと片手にしていたファイルから一枚の地図を取り出す。まずは始発点であるピアノ教室へと向かった。
「クマのぬいぐるみ屋さんから行かなくていいんですか?」
「あの店は白河さんいわく、ピアノ教室帰りの九時以降でも開いてた店だ。わざわざ急いで見つけに行く必要もないだろ」
そう述べた小守は、より一層足を速めてピアノ教室に向かった。
三十分後、二人は目的のピアノ教室を見つけたが、外から見る限り明かりも付いておらず営業していない様子だった。そのピアノ教室は平屋で、誰かが住んでいてもおかしくない風貌だった。教室の前の塀には、一枚のポスターが貼りつけてあり、『生徒大募集!』という文字が躍っている。曜日や時間帯に関係なく募集をかけているようだ。住宅街にひっそりと隠れたコアな教室だから、人数が不足しているのだろうか。残念ながら、そのポスターに連絡先までは明記されていなかった。
「せっかくここまで来たのに誰もいませんね」
「今日は元々やってないのかもしれないな」
小守は辺りを見渡した。人気のない道なので小声でもかなり響いて聞こえる。だいぶ住宅街の奥まで来ていたので街灯もまばらだった。
「あれっ? でも、ここから探すのって意味ないんじゃないですか? だってクマのぬいぐるみを買ったのは、ここから最後にたどり着くお店なんじゃ?」
「この地図をよく見てみろ」
小守は一枚の地図を手渡した。そこには確かに、出発点のピアノ教室から赤線が引いてあったが、その赤線は、クマのぬいぐるみを買った店からもう一度このピアノ教室まで戻ってきている。
「わざわざ駅とは逆方面の店まで足を運んだみたいだな。店に着いて買ったはいいが、帰り道がわからなくなって、今来た道を逆戻りしてここまできたってことだろう」
夏美はきちんと理解してその続きを述べた。
「あ、それでこのピアノ教室から、駅方面に向かったってことですね?」
小守はうなずいた。夏美にしては幾分いい解釈をしてくれた。
「せっかくだから夏美、お前も手伝ってくれ」
「はいっ」
しばらくその言葉がこだましてどこかに消えていった。小守は自分の持っている紙と、夏美の紙を交換した。
「俺が地図を見て道を進んでいくから、夏美はその紙書かれたポイントを逐一確認してってくれ」
夏美が持っているのは、綾が箇条書きで記した、落とした可能性があるポイントだった。もちろん、綾は落とした記憶がないと言っているので、毎週のようにピアノ教室に通い詰める中で思いつく、気になる箇所を出来る限り書いてもらっただけのことだ。
「じゃ、行くぞ」
かつかつと革靴を響かせながら歩き出した小守を、ふと、夏美が呼びとめた。
「あの先輩、一つ聞いてもいいですか?」
「なんだよ?」
小守が歩みをとめる。
「こんなことして、本当にぬいぐるみなんか見つかるんですか? 私にはどうも無意味なことにしか思えません。失くして一週間してやっと相談に来て、しかも失くしたときの記憶がないなんて絶対おかしいです。もしかして私たち、白河綾に誑かされてるんじゃないですか?」
夏美は紙を握りしめてそう訴えた。
「面倒くさいならはっきりとそう言えよ」
「そうじゃありません」
「それと、お前が『誑かす』って単語を知ってるなんて、驚いた」
あからさまに話をそらす小守。
「なんでこんな相談受け持ったんですか? なんか、先輩らしくないです」
「別に、お前に勉強教えるよりも楽だし」
「ちゃんと答えてください! 私は真面目に聞いてるんです!」
その詰問口調にようやく振り返った小守は、衝撃の告白をした。
「じゃあ真面目に答えるぞ。あの人はな、俺のタイプだ」
「え……」
夏美は言葉を失った。たった今、目の前にいるこの先輩を好いているのだから当然だ。
「昨日言ったろ? 白河さんみたいなお姉さんがいたらなぁって。あれは俺の本心だ。望めるのならなんとかこの件を利用して、恋仲になれないか模索中だ」
「そ、そんなっ……!」
夏美の手から、はらりと紙が滑り落ちた。
「お前、成績悪い上に鈍感なんだな。言わなくても分かるように振る舞ってたのに、気づかなかったのか?」
もう言葉が出なくて放心状態の夏美に、小守がとどめを刺した。
「言い忘れたけどな、白河綾ってのは白坂高校三年で学年二位の生徒、つまり、俺に次いで頭のいいやつだ。俺はそういうのが好みなんだよ。夏美、お前じゃなくてな」
夏美は先輩に背中を見せてとぼとぼと歩きだした。
「おい、どこ行くんだ?」
「……かえる」
か細い言葉が小守の耳に届いていた。だんだん小さくなっていく後ろ姿を黙ってしばらく見つめたあと、落とされた紙を拾い上げた小守は一人で捜索を開始した。




