詳細と報酬
あくる日の朝だった。
生徒たちがまだ誰一人として登校していない早朝から校門に近づいてきたのは、学校一の天才と謳われている小守悠介だった。優等生らしく読書をしながら体一つ分だけ開いている校門をするりと抜けていく。校庭から見える職員室にはまばらに先生がいるが、彼の存在に気づかないことも多い。読書日和の晴天だなと彼は一人心躍る気持ちで四階の部室へと足を運んだ。
ゆっくりと扉を押し開けると、なぜか既に先客がいた。
「小守先輩、おはようございます」
普段から小守が座っている席に腰をおろしていた生徒はさっと立ち上がり、恭しくお辞儀をした。しかも誰がどう見てもあの氷川夏美だった。
「早いな。どうかしたのか?」
「やだなぁ先輩~。昨日約束したじゃないですか~。数学を教えてくれるって」
「ああ」
小守の目線は終始本に向けられていたが、それもお構いなしに夏美は席から離れて、先輩の指定席でもある椅子まで誘導した。
彼はひとはだに暖められた椅子に腰を下ろす。
「こんな朝早くからすまないが、勉強を教えるのはもう少し待ってほしい」
「どうしてですか?」と夏美は言いながら先輩の向かいに席を構えて座わった。
「勉強よりも優先すべき人間が来るからだよ」
そのとき、まるで打ち合わせでもしたように部室の扉が動いた。次第に見えてきたのは、昨日相談に来ていた、あの白河綾だった。
「お、おはようございます」
部室に入って来たはいいが居場所がない綾に、小守が立てかけてあるパイプ椅子を持ってきて座るように促した。
「ちょっと先輩、どうしてあの女が?」
「昨日は時間がなくて相談に乗れなかったからな。今日の朝になったんだ」
「そんなこと、私一言も聞いてないんですけど」
多少なりと不満を交えた視線を送る夏美の隣に、綾が座った。
「すいません、お時間とらせてしまって」
そう後輩の夏美にも敬語を使う綾に、小守は「気にしないで」と微笑んで見せた。その笑顔が乗り移ったかのように綾も少し微笑んでいた。
「先輩の相談事は私の相談事です。私もここにいますからね」
夏美は頑としてその場から動こうとしないので小守は諦めて相談内容に移ることにした。
「じゃあ早速。確か、クマのぬいぐるみを探してほしい、でしたよね?」
「はい。ちょっとこのままだとまずいので……」
綾は自信がなさそうな顔をしてゆっくりと話しだした。
「私、実のところ勉強する暇もないほど忙しい生活をしてるんです。あっ、習い事が多いって意味です。水泳から始まって、歌の練習、英語塾、ピアノ、バイオリンと息つく暇もないほどです。母が私にいろんな知識を詰め込もうとしてるんですよ。おかげで高校受験の際、有利になったりしたんですけど、そんなある日にクマのぬいぐるみを失くしてしまいました」
「それはいつごろ?」と小守が質問を挟み入れた。
「えっと、先週の月曜日だから……だいたい一週間前です。ピアノ教室から家に帰る途中で落としてしまったらしいんです」
小守はルーズリーフにメモを取りながら耳を傾けている。
「もうすぐ弟の誕生日でして。中学三年生なんですけど、なにかプレゼントをと思ってピアノ教室の帰りに近くのお店をはしごしたんです。でもあいにく夜の九時を過ぎていたのでほとんどのお店が閉まってて、どうしようかなと焦っていた矢先、見えた一軒のお店が目に止まって、そこでプレゼントするクマのぬいぐるみを買ったんです」
記憶を思い返すようにして語る綾に、小守がまた質問した。
「失くした場所に心当たりは?」
「それが、よく分からないんです。ふと家の前に着いたとき失くなってることに気づいて……ピアノ教室は月曜日だけで、週に一回しか行きません。電車も使うので距離もあります。もし、また一人で探しに行くとなると、一週間後になってしまいます。それにもう、私には今月のお小遣いがないので本当に困ってるんです」
昨日は自分で捜索したらしいが、見つからなかったという。そんな綾に、非情にも夏美が追い打ちを掛ける。
「お金くらい友達に借りればいいのに。別に高いプレゼントじゃないんでしょ?」
綾が寂しそうに答えていく。
「それはそうなんですけど、どうしてなくなったのか気になりますし。それに、できれば私は自分のお金で買ったプレゼントを、弟に渡したいんです」
どうせ自分で稼いだお金でもなかろうにと、夏美は内心、鼻であしらっていた。
「あんたまさか、お酒でも飲んでたんじゃない?」
「そ、そんなことはしてません! 法律違反じゃないですか!」
嘲笑うような夏美の声に重ねるようにして、綾がきっぱりと否定した。
「冗談なんだけど?」
「えっ、あっ、す、すいません……」
綾はすぐに謝った。
「わっかりました。やりましょう、ぬいぐるみ探し」
「えっ?」
そんな承諾に驚いて声を漏らしたのは依頼主の綾だ。
「大事なものは自分で手に入れる。弟さんを大切に思う白河さんの気持ちに感激しました。俺にもこんな優しいお姉さんがいたらなぁと願うばかりです」
「は、はぁ」
何気ない口説き文句のように小守はつらつらと喋る。
「弟さんの誕生日は?」
「五月二十七日です。テスト前になっちゃうんですが」
「なるほど。あと二週間もないってわけか」
画鋲で壁に吊るされているカレンダーを見ながら小守は思案顔になった。
「見つかるでしょうか……?」
綾は小守に問いかけたつもりだったが、なぜか夏美が偉そうに水を差してくる。
「そんなもの見つかるわけないでしょうに」そしてさらに連ねる。「だいたいね、落とした記憶すらないっていうのはどういうことよ? すっごく大事なプレゼントだったんじゃないの? ねぇ?」
綾は、立て続けに文句を言われて黙り込んでしまった。さらなる追撃を阻止すべく小守が片手をかざして夏美を制した。
「まぁ、情報が少ないのでまだなんともね。とりあえず明日までにこれらを用意して下さい」
小守が滑らせた二枚目のルーズリーフの上には、箇条書きされた数個の項目が載っていた。
「明日までですか?」とルーズリーフを手にとって、綾が不安そうに言った。
「白河さんのためを思うと、習い事で忙しいのを差し引いてでも早く情報を持ってきてもらいたいので」
しばらくうーんと呻っていた綾がついに決心した。
「わかりました。明日の放課後に必ず渡しに来ます。それと……」
まだなにかあるのかよと眉をひそめた夏美だったが、綾が鞄から取り出した大きめの箱を見てすぐに目の色を変えてしまった。
「これ、よかったら食べて下さい」
「うわああああ! ナボーナだ!」
綾が取り出したのは、お菓子の六冠王で有名なナボーナだった。しかも一番多く入っている三十二個入りのものだ。
「あの、相談受けるとき毎回言ってるんですけど、報酬みたいのはいいです。それにそれ結構高いんじゃ――」
小守がまだ断っている最中に、夏美がナボーナの箱をぶんどってびりびりと包装紙を破り始めた。
「おい夏美!」
夏美の暴走をとめようと身を乗り出す小守だったが、あえなく包装紙だけを掴み取った。
「堅いこと言わないでくださいよ。うちの朝ごはんはチープなんですぐにお腹がすいてしまうんです。いただきます!」
夏美は箱を膝に乗せて一個目のナボーナを口に運んだ。うまみが口の中から溢れんばかりに滲み出て、顔をほころばせる。こうなったらもう、小守は貰うしかなかった。
「これ、家にあったお菓子です。勝手に持ってきちゃったし、食べてもらえると嬉しいです」
証拠隠滅ということだろう。口をクリームで汚している夏美を見て、自然と笑顔になっていた綾が、小守の目の前にいた。




