消失、喪失への道
小守がふうと深呼吸した。すべてを暴露し終えた彼を見て、綾は椅子を引きずってまで立ち上がった。
「すいませんでした! 本当に本当に、すいませんでした!」
綾は慣れない大声で叫び、必死になって頭を下げた。
「私っ、中途半端な人間なんです。実力はあるだろうって、まわりからはよく言われるんですけど、自分はそんなに自信持てなくて、最後の最後で踏みとどまってしまうんです。言わなきゃいけないことを最後まで引き延ばして、結局言えずに終わるんです。そんな小心者だから、こんな下らない細工までして依頼してしまったんだと思います。本当にごめんなさい!」
白河綾に弟はいるが、誕生日まではまだ何ヶ月もあった。家にある電話機の電話線は確かに引っこ抜いていたものの、それ以前に、習い事を休む旨を先生などに伝えて電話が来るのを未然に防いでいたという。ピアノの先生だけにはそれを伝えなかった理由は、表向きの依頼理由に気づかせるためだと、綾は小守に向かって明言した。
一向に顔を上げずにいる綾に、小守が伝える。
「そういう、恥じらいを持つ女の子らしい性格、俺は嫌いじゃないですよ」
夏美はその発言にむっとなったが、声は出さなかった。
「成績だって、中学の頃からいつも学年二位で、もう少しで一番になれるのに、私って本当に中途半端な人間ですよね……」
「え?」
涙ぐむ綾の思いがけないセリフに、小守の表情が曇った。
「へぇー。つまり先輩がいつまでも学年一位に君臨し続けるからこそ、この女の悲しみは増幅されて、ついにはこんな嘘までついて依頼してしまったということなんですね。へぇへぇ、そういうことだったんですね。嫌なやつですね~、小守先輩って!」
「なあぁぁつうみぃぃ!」
我慢ならなくなった小守は我を失い、机をバァンとたたいて立ち上がった。
「横柄に勉強まで教えてほしいなんて言ったことも謝ります。ごめんなさい」
「あ、勉強ならいつでも教えますよ。あなたのような人なら俺の勉強時間を割いてでも――」
「いえ」と綾は涙を拭って遮った。
「勉強は自分で頑張ります。それよりも、この依頼の続きをお願いしたいです」
そうだ。この依頼はここで終わりじゃない。そう思った小守はコホンと咳払いしてネクタイを正し、椅子に深く座りこんだ。
「そうでした。ここからが白河さんの本当の依頼ですよね。なんとなく想像は付くのですが、どのようなご依頼ですか?」
口調まで優等生になった小守がそう促した。
「そんな難しい話ではないと思うのですが――」
椅子に腰かけた綾は、一度目まばたきをしてから、前にいる小守に訴えた。
「高梨さんとアポイントメントを取ってきてもらいたいんです。一度でいいので」
羞恥心を脱ぎ捨てて、綾はすべてを告白する。
「解散にまでなってしまったことはいた仕方ないと思ってます。でも私は、高梨さんに会えたからこそ、今こうやっていろんなことを勉強できて、頑張っている自分に出会えた。高梨さんはただ音楽の世界に惚れ込んでみんなに伝えようとしてただけかもしれませんけど、私は言いたいんです。勇気や元気を分けてくれて、本当にありがとうって」
綾の発言に、不満を呈したのは部屋の隅にいる夏美だった。
「え? なんでそれだけなの? だってあんた、高梨さんのこと追いかけるほど好きなんでしょ? だったら、正面切って好きだって言いたいってのが、本来の依頼なんじゃないの?」
綾はかぶりを振った。
「それはできません。だって、反則じゃないですか」
「反則?」と夏美がつっかかってきた。「反則ってなによ?」
「私は一ファンでなけらばいけないんです。ほかのファンの人だって、ヨシキさんのことが好きなはずです。そんな中で、たった一人だけ幸せになるなんて反則、絶対に犯してはいけないんです」
好きだけれど告白は避ける。そんな葛藤におぼれる綾に小守が問いかける。
「それは本心ですか?」
「はい」
「俺にはどうも、そうは思えないのですが」
「どうしてですか?」
「あなたの言っていることはもっともらしいですし、一応筋が通っているように思えます。でも、俺は二回ほど高梨さんと会ってるんですよ。それに加えて昨日インターネットでとことん調べました。そこから考えると、どうも納得がいかない。なにかほかの理由で好きという気持ちを無理矢理ねじ伏せて我慢しているような、そんな気がしてなりません」
小守は、綾の意見を退けようとしていた。
「ほかにどんな理由があるって言うんですか?」
握りこぶしを額に当てて、しばらく考えを整理していた小守が、ふと顔を上げ、白河綾の心理を推察した。
「先ほど話してくれた、九条マリアさん絡みですよ。あの人はもう、この世にいないような気がしてならないんですが」
「えっ!」
夏美は思わず声を漏らし、そしてナボーナを床に落とした。
「な、なに言ってるんですか? 変な冗談はやめて下さい」
綾は、なにをバカなことをといった顔つきで物を言い、小守を睨みつける。
「冗談を言っているつもりはありません。俺は本気です」
「なら本気で答えますけどね、私が九条さんになにかしたとでも思ってるんですか? 人の命を奪うようなことでもしたと?」
「あっ、少し言い方が悪かったようですね」
小守はこの場しのぎといった感じの平謝りをした。
「どういうことですか? ちゃんと説明して下さい」
「わかりました、では」
そう言って立ち上がり歩き出した小守は、壁にある蛍光灯のスイッチをぱちっと入れて部屋を明るくした。すっかり太陽が消え去り、暗くなってきていたのだ。それを見た夏美が、一目散に窓へと駆け出し、先輩より早くカーテンを閉めきった。
明るくなった室内で、気合を入れ直した小守が席について語りだした。




