彼女の過去 その5
「みなさん初めまして! ウルスの初ライブにおっ……」
ギターをぶら下げ、マイクを持ってステージ上に飛び出してきたのは、綾がテレビで見たこともない一人の男性だった。長身で金髪で、なによりキラキラとした服装が目立つ。これはもしや、ビジュアル系というジャンルの人間だろうか。それにしても、言葉遣いがやたら一般人臭くて、ビジュアル系を好む人間には相手にされないようにも思える。
「よっ! ヨシキ来てやったぞ!」
「あっ、マリア……」
そんなやり取りの中、ステージの袖からまた二人出てきた。ギターを手にしているのが一人、ドラムの席に座ったのが一人。計三人のバンドだった。九条いわく、この三人は高校時代の仲間らしい。三人共、音楽の道に進もうとしているのだという。
「その、隣の人は?」
「ん、ああ、近所の知り合いでさ。せっかくだから連れて来てやったんだよ。最近、バンドってのに興味があるんだってよ」
「そ、そう」
マイクをスタンドにセットするも、それを力なく持ち、下を向くヨシキ。
「おいなにやってんだ。さっさと演奏しろよ」
「……」
嫌な空気が漂っていた。ステージ上にいる三人のビジュアル系バンドは全員、生気を失くしたようにして俯いている。
「あ、あの、九条さん」
「んだよ綾! 邪魔すんな!」
「観客が二人だけじゃ、そりゃ演奏する気もなくなりますよ」
「んなことはわかってる! おいヨシキ!」
呼ばれたことに気付き、スタンドマイクから手を離したヨシキが九条を見た。
「お前があたしを呼んだんだろ? 金も払ってんだからさっさと演奏しろよ!」
異常なまでに声を散らす九条。ライブハウスなので反響音が半端じゃない。その隣にいる綾は怖気づいて声を出せない。
「せっかくここまでやってきたんだろ! 久しぶりに連絡くれたと思ったらなんだこのザマは! さっさと音楽プロデューサーにめぇつけられて、アーティストとしてやっていくのがお前の夢なんじゃねぇのかよ!」
その通りらしく、ヨシキは言葉も出ないようで、暗い顔になっていた。
「でもこれだけ頑張って、初ライブはたった二人。しかもその一人は昔の知り合い。何年もやって来たのにこんなんじゃ、僕らはもうダメだよ」
奥の二人も微かにうなずいていた。
「ふざけんな! あたしが今日をどんだけ楽しみにしてたかお前、わかってんのか!?」
「えっ」
ヨシキはまた、九条に目線をやった。
「お前らのファン一号はあたしだって、昔言ってやっただろ! なにがあってもあたしだけは応援してやるって、じゃあ僕は絶対に夢を叶えるからって、約束しただろ! ファンを大事にするのが僕らのモットーなんだって、お前が昔、散々言ってたことじゃねぇかよ!」
カッと目を見開いてヨシキがそれに反論する。
「ぼ、僕らだって頑張ったんだ! その結果がマリアの言う通りこのザマだ! こんなんじゃ音楽やっていけないって最近、気づいたんだよ! もしこの初ライブで満足のいく人数を得られなかったらもう解散しようって、三人で約束したんだ!」
こんな居心地の悪いライブハウスは初めてだった。いや、綾はコンサートの類に参加したことがないのでわからなかったが、ともかく、ライブハウスで喧嘩が始まるなんてことが、尋常じゃない出来事だってことくらいは認知できた。
「あたしとの約束は、破るってのか?」
「すまないと思ってる。せめてじゃあ、一曲くらい聞いて――」
「ふざけんな!」
九条が唾を飛ばす。
「そんなの、あたしが認めると思うか? お前らがよくてもこっちは願い下げだ!」
言って、九条の意識は突如として綾に移った。
「おい、綾」
「な、なんですか?」
「こいつらの音楽を、一曲だけ聞いてってくれねぇか?」
「構いませんけど、でも」
「野暮は承知だ。あたしはそうやって生きてきた。でもこいつらには、ちゃんとした才能があると思うんだ。音楽をやって一世を風靡するような才能がな」
九条は、綾にもう一つお願いをした。
「こいつらの演奏を一曲聞いて、いいと思ったらここに残ってくれ。悪いと思ったなら、もうこのまま自分の家に帰れ」
「えっ、そんなっ!」
「あたしたちがいくら文句を言いあっても結局は仲間内だ。正確な判断なんかできやしない。だから第三者のお前が判断しろ。こいつらは音楽の才能を持っているのか。それともただの下だらねぇお遊びバンドなのか、お前が決めてくれ」
「でも私、音楽プロデューサーでもなんでもないですし……」
「あたしだってそうだ。でも音楽の良さを決めるのはプロデューサーじゃない、観客だ。お前の感性でいい。良いか悪いか決めてくれ。ただし、遠慮なんかしたらぶっとばすからな」
九条の顔は本気を表現していた。これを断ったら、ここにいる四人はもっと仲が悪くなる。そんな真似が綾にできるはずもなく、
「わ、わかりました。じゃあ一曲だけでも」
彼女は思い切って承諾した。
「おいヨシキ、わかったか?」
「ああ、わかった」それからヨシキは綾に言った。「本当に、無理しなくていいから」
三人は定位置につき、お互いに顔を見合わせてうなずいた。
音楽を聞くことが少ない綾は正直焦っていた。良いか悪いかの判断はどこで決めればいいのか。そもそも良いってなに? 悪いってなに? なにをどう考慮してどのように結果を出せばいいの? わからない、わからない。勉強なんかよりもずっと難しい。設問の意図はわかっても、解答欄は空欄のままだ。どうしよう、どうしよう。
人知れず綾が葛藤していたそのとき、ドラムの人が棒で合図を始め、イントロがスタートした。
「曲名は、レインズ」
ヨシキが一言呟いたあと歌詞パートに突入した。
思い描いていたイメージとは、遥かにかけ離れていた。ビジュアル系バンドって見た目だけのバンドじゃあなかったんだ。音楽についてはよくわからないけど、さっきまでの三人とは違う、熱気をまとった曲目。勇気をくれるような躍動感あふれる曲調にパフォーマンス。必死にドラムをたたき倒したり、それにギターの旋律が新鮮だ。なにより、ボーカルのヨシキは、花形であるギターの人よりも、より一層目立っていた。
「果てない夢へと進む。雨の中を駆ける俺たちが――」
歌詞と激動する曲がマッチする。なによりヨシキの声が優しくてきれいで、心を洗ってくれるようだった。綾は口を開いたまま曲を聞き続けていた。次第に体が揺れ始めて、自然にサビだけは口ずさんでしまう。観客をも巻き込んでくれる、熱い曲と悲しい歌詞が上手く混ざり合って、絶妙なハーモニーを奏でていた。
そして最後にはサビが三連続し、三人は声を揃えて言い放った。
『レインズ!』
綾の耳元に残るのは、反響音が作る余韻。それはたった一言で表現できた。
(楽しい――)
勉強ばかりしてきて、なにが楽しいのかなんてこと、自分には全然わからなかったけど、綾はこのとき、はっきりと、くっきりと感じた。
きっとこれが、私にとって『遊ぶ』ってことに値するんだ。今までやってきたすべてのことが頭から離れて、今の数分間だけはこの曲、この場の空気だけに馴染めた気がする。どこか異国の地に足を踏み入れたような、完全に今までとは違う熱い自分を体験していた。
「ど、どうだったかな?」
ボーカルのヨシキは、息を切らしながら訊いた。
それに応えるのが綾の役目だ。
「すごく、いいと思いました」
淡々とそう言ってさらに、
「すごくすごく、カッコよかったです」
付け加えた。
綾の本心だった。本音だった。
「じゃあお前、今日からウルスのファンになれ」
「えっ?」
九条が真っ先にそう命令した。「好きだったら、ファンになれるよな?」
「はい! ほかの曲も聞いてみたいんですが、ダメでしょうか?」
ステージ上の三人は、驚いた顔をして顔を見合わせた。それからすぐに、客席にいる二人に向かって、こう言った。
「じゃあ、お言葉に甘えてもう一曲やります!」
「だからヨシキ! もっとビジュアル系らしい言葉遣いしろっての! そんなんじゃ頂点目指せねぇぞ!」
ヨシキは少し怪訝な表情をしてから、それを打ち消す笑顔を作り、
「おいてめぇら! 俺らと一緒にハジけねぇか!?」
らしく口調を変貌させて、たった二人のためのライブが続行された。
激しさを増す会場内で綾は思った。
(きっとこの人は、九条さんは、ヨシキさんのこと――)
自ら首を振って考えを振りはらう綾。
(私だって!)
綾はステージに向かって声を飛ばす。
隣にいる九条に決して負けないように、腹の底から、一生懸命に声を飛ばした。




