彼女の過去 その4
翌日の朝九時に綾は起こされた。リビングのソファで一夜を過ごした彼女は、この部屋にいる理由をしばしば忘れていたが、起こしてくれたすっぴんの女性を目にした途端、すべての記憶をよみがえらせた。
「まさか制服のまま寝るとはな。着替えは勝手に使えって、ああ、言ってなかったな」
それから二人は朝食をとった。パンと野菜の盛り合わせというシンプルな食事を振る舞われて、綾は、ぼけっとしながら口に運んでいた。テレビが付いていたのでぼんやりと見ていたが、大企業社長の娘が失踪したというニュースは流れてこなかった。
「じゃあそろそろ、遊びに行くか!」
身支度を終えて、九条は薄着になった。綾も歯ブラシやらなんやらを借りて支度し、玄関に走って行った。着ている服は、やっぱり制服だった。
「お化粧はいいんですか?」
「今日はしねぇよ。休みだし」
「じゃあ、どこいくんですか?」
そう尋ねると、九条は「そうだなぁ」といって、天井を見つめた。
「あたしが常に遊びだと思っていることを片っ端からやってみるか!」
二人は、春の日差し存分に落ちてくる気持ちのいい空間を通って、マンションから駅へと向かった。
まるで子供のような九条は、なんでもかんでも遊びと思っている人間らしい。
ショッピングや映画鑑賞、ボウリングに漫画喫茶、ほかにも大道芸人にお金を投げたり、公園で迷子になっていた女の子を保護して親を探したりと、連れ回された綾は大忙しだった。楽しい時間というよりも、苦しくて仕方のない時間がぐるぐると廻っていく。二時になり三時になり、そして四時に五時に――めまぐるしく時計の針が回転している。一応、綾はごく普通の中学生だし、通学で普段から足を使ってはいるものの、一万歩以上も歩くとなるとさすがに足が悲鳴を上げて、ふくらはぎが痛くなってきた。
「だらしねぇ奴だな。遊ぶ体力すらねぇってか?」
そう言いながら、九条は少し笑っていた。怒られてると思ったのに、九条は笑った。
「おっと、もう六時か。そろそろメインイベントと行くか!」
両手に持った大荷物を手にして、九条は駅方面に歩き出した。
「どこいくんですか?」
「あたしが今、いっちばん楽しいと思える場所に連れてってやるよ」
ショッピングを切り上げて九条は人込みをものともせずに進んでいく。なぜか綾も服を買ってもらっていたので、両手は袋で塞がっていた。そんな綾は、いろいろな人にぶつかりながら九条のあとに続いていく。ろくでもないところに連れて行かれる予感がしたが、反面、少しの期待を胸にして、いささか妙なキャバ嬢の背中を追った。
連れてこられた場所は、あのネオン街のはずれだった。
満月が夜空に浮かび、また大人たちの時間がやってくる。二人は、すべての荷物を駅のコインロッカーに預けた。てっきり、ネオン街のどこかに行くと予想していた綾だったが、九条は駅を降りた途端にネオン街とは逆方向に足を運んでいった。ようやくその隣に追いついて並んで歩き出した綾は、ふと九条に尋ねた。
「どこに連れてってくれるんですか?」
「お前は運がいいぞ。未来のスターに会えるんだからな」
それ以上のことは教えてくれなかった。この人はなんだか、私を連れ回すことを楽しんでいる気がする。だから、再度答えを乞うような真似はしないことにした。
ある場所に、九条がするっと入っていった。突然方向転換されて慌てた綾は、店名を見ずにその建物に駆けこんだ。
「いらっしゃいませ。チケットはお持ちですか?」
「いや、ない。でもあいてるだろ? ここで払う。二人分だ」
駅の小さな待合室のようなロビーだった。綾はわけもわからず二人のやり取りを見ながら、そんな感想を抱いた。
「開演はもうすぐ、七時からとなります。お楽しみください」
受付の人がそう言って、九条と綾に頭を下げた。
それから九条がロビーの奥にある細い階段を上っていったので、綾は取りあえずついていくことにした。
九条が映画館にあるような重い扉をゆっくり引いていくと、そこにはがらんとした空間があった。薄暗く、ほとんど電気がついていないので室内がよく見えない。
「なんですか、ここ?」
その質問に、九条は前方を指さして答えた。
九条が指さす先には数段の階段があって、その上に小さなステージがあった。幕がもう開いているのでステージ上が窺える。ドラムやキーボード、それにマイクスタンドやギターが鎮座していた。それを見て、さすがの綾も気づいた。
「ここって、ライブハウスですか?」
九条がうなずいた。
「もうすぐ始まるぞ、スタンディングのライブだから、イスはねぇんだ」
彼女は一人、ステージの前を陣取って開演を待っていた。
「ちょっと待ってください、もうすぐ七時じゃないですか。ライブってでもこれは――」
すると突然、ステージの袖から大きなギターの音が響いた。九条は、「待ってましたぁ!」と精一杯の拍手を送る。
どういうことなんだろう。ここにいるのは九条と私だけだ。たった二人のためにライブを行うというのか。どうせ質問しても答えてくれないんだろうと、綾は諦めて、はしゃぐ九条の隣で立ち止まった。
そして、ミラーボールで反射させているかのような、カラフルな光が天井から落ちてきた。




