半信半疑の誘導尋問
コンコン。
ここの扉をたたくのは初めてだった。綾は、慎重になっている自分に気づいてしまった。いまさら律儀になったって、なにも変わらないのに。どうしてこんなに、自分は中途半端な人間なのだろうか。情けない。本当に情けなくて、いますぐにでも帰ってしまいたかった。
「どうぞ」
そんな綾を呼び止めるように、中から小守の声が響いた。綾が慎重にと扉を開いていくと、その小守は真正面の指定席のような席につき、さらさらとノートに文字を書き綴っていた。そして、その彼の少し横。部室の隅っこの方には、夏美が椅子に座っていてなにかを食べていた。あっ、私があげたナボーナだ。
「座ってください」
そう促されて、綾は思い出したように機敏に動きだし、机を挟んで小守の前に用意されてあった席についた。そのとき少し慌ててしまい、椅子を少し引きずってしまったので耳障りな音が響いてしまったけれど、小守も夏美も、まったく気にしていない様子だった。
「あの、クマのぬいぐるみは、見つかったんでしょうか……?」
綾は姿勢を低くして、小守の顔を覗き込むように尋ねた。
「見つかりましたよ。夏美、頼む」
指名された夏美は大きな声で「はい!」と宣言した。すると彼女は、ナボーナの箱を仕舞っていたと思われる紙袋の中から、クマのぬいぐるみを掴み取って一度掲げた。それから小守の前の机まで持ってきて、どかっと乗っけた。
「これが、白河さんが探していたぬいぐるみですよね?」
「えっ、は、はい」
部室の隅っこに夏美が戻っていく。それに少し気を取られながら、綾は目の前に置かれたぬいぐるみを手に取った。綿菓子のようにふわふわで愛らしいクマのぬいぐるみだ。茶色い毛並みは何度触っても心地よい。ちょっと見つめあってみると、いまにも飛びついてきてくれそうな、そんな幻覚を見てしまうくらいだ。
でも、どうやってこれを見つけたんだろう。だって私は、クマのぬいぐるみなんて落としてはいないのだから。
「なぜでしょう。念願かなってクマのぬいぐるみが戻ってきたというのに、俺には、白河さんが喜んでいるようには思えません。喜ぶ表情が苦手ならば話は別ですが」
一瞬ひやっとして、よくよく考え直してみると、綾は余計にひやっとした。
「初めから、クマのぬいぐるみなんて落としていない。ですよね?」
小守に優しく声をかけられて、綾はどうすればいいかわからなくなった。でも、この部室に来るまでに心したはずだ。昨日ピアノ教室に行かなかったことがバレている以上、それ以外のものもバレているのだろうと。それに精一杯対抗してみようと。
「い、いえ。これが探してもらいたかったぬいぐるみですよ。見つけていただいて、本当にありがとうございます!」
綾は、クマのぬいぐるみを抱きしめながら立ち上がり、頭が床についてもいいという気持ちでお辞儀した。しかしそこからの行動が思いつかない。どうすれば自然か。どのようにすれば隠し通せるのか、皆目見当もつかない。
しばらくそのままでいると、ふと小守がつぶやいた。
「聞かないんですね。どこに落ちてたのとか、どうやって見つけたとか。白河さん、この前はすごく気にしてたようでしたけど」
なにもしないことで墓穴を掘ってしまったらしい。綾はとっさに小守を見据えて訊いた。
「あっ、喜びすぎて忘れてました。あの、どこでこれを?」
机には、ばら撒かれたルーズリーフとノート、そして教科書が置かれている。そのそばに置いてあるライトスタンドが、ついてもいないのに光っているように見えた。
「昨日もらってきました。このぬいぐるみを売っていたお店のおじいさんにね。俺たち少し、親しい関係になっていたんでそのお礼だそうです」
「えっ」
思わず言葉を失った。頭の中が真っ白けっけで、魂が抜けてしまったかのように動くことができない。
「まだ隠すつもりですか? ここに依頼に来た、本当の目的を」
「……」
どうしようどうしよう。いきなり限界が来てしまったのか。もうダメなのか。
「ああ、失礼しました。取りあえず座ってください。俺は別に、白河さんを追いつめたくて呼んだわけじゃないんです」
片手で座るように指示された綾は、はっとなって席へと腰を下ろす。
「あなたが、本当の目的を隠したがる理由も、わかっているつもりです」
その瞬間に、綾は思った。
この人に、不正なんてものは通用しないんじゃないだろうか。懸命に言い訳をしても、まるで簡単なパズルのように紐解かれてしまい、正解を提示されてしまうのではないか。どれだけ高上な嘘をついてその場を引っかきまわしてみても、元の状態を知っている神様のようにすべては元通りに再構築されるのではないか。妙な熱気。氷川夏美とは少し違う威圧感を、白河綾は肌身で感じていた。
「俺の話を聞いてください。それから、白河さんの意見を下さい」
小守は机に置いてあるものを整理して、すべて鞄に仕舞った。それからじっと綾の顔を射るように見つめながら、彼女の頭の中でも透視するかのごとく話しだした。
「俺が、まず最初におかしいなと思ったのは、白河さんがここで相談内容を語ってくれたときでした。あのときあなたは、非常にわかりやすい嘘をついた。弟のプレゼントを探しているという嘘です。弟さんが本当に誕生日を迎えるかどうかはわかりかねますが、少なくとも、クマのぬいぐるみをプレゼントしようとは思っていない。なぜなら、誕生日のプレゼントを、わざわざその三週間も前の、それもピアノ教室帰りに慌てて探し、用意する必要性なんてどこにもないはずだからです」
綾はだたじっと、机の木目に目線を注いで話を聞いていた。
「クマのぬいぐるみを落とした記憶がないのは当然です。落としていないんですからね。さきほどのあなたの挙動を見る限り、間違いなさそうです」
すると突然、部屋の隅から夏美の声が割って入ってきた。
「それはもう聞いたんでいいんですけど、どうしてこの女はそんな下らない嘘までついて依頼しに来たんですか?」
釈然としない様子の夏美に少し顔を向けてから、小守は続けた。
「夏美、俺が昨日頼んでおいたもの、持って来てくれたか?」
綾は顔を上げて、二人のやり取りを確認した。夏美は「ええまあ」と曖昧な返事をして、足元に置いてあった鞄の中から、小さなケースのようなものを取り出して小守に手渡した。
「これがなにかわかりますよね? おそらくあなたが、この世で一番大事にしているものだと思うのですが」
綾は、小守が両手に持っているものを見て驚愕した。
「いかがですか?」
「別に、そんなんじゃ……」
綾はそのものから目をそむけた。人前で直視することを極端に避けていた。
「これは、あなたが弟にプレゼントしようと偽っていた、ウルス・ザ・ベストというCDです。ビジュアル系バンドのウルスが、インディーズ時代を含めた十年程で、ようやく集大成のアルバムを出したそうです。ああ、昨日インターネットで調べただけですけど」
言って、小守はそのCDを綾の近くに置いた。その綾はまだ、目線をそらし続けている。
「先輩、それがどうかしたんですか?」
夏美は手に残ったクリームをなめながら言った。
「このリーダーのヨシキってやつ、どこかで見たことないか?」
先輩の言葉につられてやってきた夏美が、「ヨシキ?」と言ってCDを持ち上げ、顔の近くでじっと見つめ始めた。しかし三十秒経っても首を捻っているようなので、小守がそれを取り上げた。
「あっ、待ってください。もうちょっとでわかりそうなんですから!」
「嘘をつけ。お前一瞬寝てただろ」
夏美は、あまりにもつまらなかったり理解できないことが脳内に流れ込むと、どんな格好でも居眠りしてしまう。そんな性格を小守は知っていた。
「俺も最初は半信半疑だったけどな、顔や輪郭、背丈も踏まえるとあの人と一致するはずだ」
「誰なんですか? 私はこんな有名人に会った覚えはないんですが」
CDを机に戻した小守は、俯いている綾の顔を一瞥してから告げた。
「これは、クマのぬいぐるみを売っているあの店にいた高梨さんだ。ですよね、白河さん?」
振られた綾は全身に力を込め、必死になにかを耐えていた。
「ちょ、ちょっと待ってください! あの人がこのボーカルのわけないじゃないですか!?」
「夏美、どうしてそう言える? 顔や背丈は間違いなくこのヨシキだったぞ?」
「だだだだってだって! いまだ活動を続けている大人気バンドが、どうしてフリーターなんてやってるんですか? おかしいです!」
「大人気ってのは数年前までの話だ。今はトップサーティにも入れずに奮闘してる三流バンドだ。昨日インターネットで十二分に調べたから間違いない。今は、アルバイトでもしないと食いつないでいけないところまで落ちてるんだよ」
「そんなっ!」立ち上がった夏美が絶望する。「そんな馬鹿なっ!」
「で、でもですよ? あの高梨さんが、どうしてウルスのヨシキさんだって言い切れるんですか? ウルスってバンドは確か、ニックネームしか明かしていなかったはずです。そもそもヨシキというのが本名かどうか判断できませんし、それにいつも化粧してて、全然すっぴんなんかわからないじゃないですか!」
心からの夏美の叫びに、小守が答えをくれてやった。
「昨日、無理にでも聞けばわかっただろうけど、あのおじいさんにお孫さんのフルネームを聞けば一発だろうな。でもそんなことしなくても、フランス語でこの問題は導ける」
「え?」
先輩の言葉に、夏美はきょとんとした。
「昨日、夏美が俺をフランス料理に誘おうとしたときに気づいたんだ。『クマ』をフランス語に直すと『ウルス』になる。ビジュアル系バンドのウルスと、クマ関係ばかりを売っているお店、そしてクマのぬいぐるみを追い求めている白河さん。この三点に気づいたとき、俺思いましたよ。これはどう考えても偶然じゃない。白河さんが意図的に仕組んだものだろう。白河さんの目的は、やっぱりあのお店にあったんだってね」
綾の心臓ははちきれんばかりに血液を全身に廻らせている。
「そして考えました。どうして白河さんはそこまでクマのぬいぐるみにこだわるのか。いえ、もっと正確に言うと、どうしてクマにこだわっているのか。その理由をですね、俺はこう推測します。いうならばあなたと高梨さんは、俺と夏美のような関係にあったのではないかと」
そのとき、夏美がガタっと椅子を動かした。
「なっ……! こ、恋人関係ってことですか!?」
「違う! 一方的な好意ってことだ!」
後輩の高揚感を小守が罵倒し木っ端みじんに破壊した。
「つ、つまりあなたは、ウルスのボーカル、ヨシキさんの熱狂的なファンだったんです」
どくんどくんと、動悸が激しい。綾はもう口を効くことができない。
「あなたは、ウルスのボーカルである、ヨシキさんに密かに想いを寄せて追いかけ続けていたんです。経緯は不明ですが、あなたはヨシキさんのおじいさんの家、つまり、クマのぬいぐるみを商売道具としている名もなき店を突きとめた。でも自分は学業や習い事で忙しい身。会いに行こうかどうか悩んだ末、俺たちに頼みこむことを思いついたんです」
まるで脳内にあるデータを解析されているような感覚を、綾はひしひしと覚えた。
「すいません先輩。さっきから言ってるんですけど、どうしてわざわざ嘘でカムフラージュする必要があったんですか? それにこの女は、二週間くらい前から自分自身で習い事を休んでますよね? それが親へのちょっとした復讐心だとしても、その時点で『忙しい身』ではなくなります。今の先輩の説明だと、全然納得できないんですけど?」
夏美の指摘が鋭い。この女のことならばなんでも知ってるといった言動だ。
「俺も、話の肝の部分は曖昧にしか掴めていない。だからせっかくだし、白河さんから直接聞こうかと思ってな。おそらくは、『主観と客観』の問題じゃないかと」
一度小さく深呼吸をした綾は、すっと顔を上げて小守の顔を瞳に映した。
私は間違っていたのだろう。この部室に住みついている人間、白河高校三年、学年一位のこの人を、初めから敵視する必要なんてなかったんだ。公言してほしくないことをきちんとわきまえて、私に判断をゆだねてくれた。こんな生真面目な人を警戒する理由はどこにある? 誰がこの人を悪く言える? 最近の評判はガタ落ちで、ただ盲目的で暗いやつだって噂されてたりもしたけど、なんてことない普通の人間だったんだ。ただ少し、まわりよりも頭脳明晰で、それでもって知的で、何気なく深読みできて、なおかつ他人への配慮を忘れない。そんなまともな人間だったんだ。
白状しよう。ちゃんと自分の言いたいことを言おう。
ようやく気が楽になった綾は、煮詰まった心中を口にした。
「あとは、私が話してもいいですか?」
突然の開口ものともせず、小守は優しい表情を崩さずにたった一度だけうなずいた。




