尾行
休みが明けて月曜日。
小守が鋭いまなざしでノートに目をやり、勉強をしているところに割って入る夏美の声があった。
「昨日はついに、あの店の内部に侵入することができました!」
「おう、よくやったな」
そこまで話して、夏美は笑顔を見せた。
壁一面を覆い尽くすようなガラス張りの窓からは、テニスコートや運動場が見え、絶えず汗を流して練習する部員の声が届いている。テスト前だからと言って、放課後すべての部活がなくなるわけではないらしい。
「えーと、あのおじいさんなんですけど、理由は聞けませんでしたがお孫さんのこと相当嫌ってましたね。逆に、おじいさんは家族や親戚からのけ者扱いされてるようです。強情な気質みたいで」
「まあ、あの態度じゃバレバレだな」
小守の俊敏なペン先がノートの上を舞う。
「そういえば、例の家にお孫さんが来てたみたいですよ」
「孫? どんな人だ?」
「背の高くてすらっとした人でした。頭もよさそうでした」
自分が発見した成果を報告して、夏美は大満足だった。先輩の知りえない情報を伝えることに喜びを感じていた。
「どうですか? 少しは私を見直しましたか?」
「いや」
小守はペンを置いて夏美を見た。
「高梨って人のことだろ?」
「あれ、なんで知ってるんですか?」
「お前最初、捜索を放棄して帰っただろ? 俺はあのとき、一人であの店まで行ってその高梨って人に会ったんだ。なにやらおじさんと口論してたみたいだったぞ」
「口論?」夏美は顔を傾けた。「どんな口論だったんですか?」
「店の外からだったからよく聞き取れなかったがな、察するに、高梨って人はあのおじいさんをどこか別の場所に移住させようとしているらしい。それに怒ったおじいさんが抵抗して怒ってた。あのおじいさんは長年付き合った妻を失くして一人暮らししてたそうだから、おおよそ、心配した孫がやって来て、自分の家におじいさんを連れていこうとしてるんだろうな」
「ああ、それで――」夏美は、おじいさんが孫の話を嫌う理由を悟った。小守は夏美が漏らした声を気にすることもなく、またペンを持って教科書と向き合った。
「え、先輩はもしかして、たった一日でそこまで調べ上げたんですか?」
「まぁな。孫の高梨って人と会えたのは自分でも幸運だと思う」先輩はペンで記述式の解答欄に文字を書きこみながら続けた。「夏美は会うのに数日かかったわけだからな」
それを耳にして夏美は落胆した。
「じゃあ、私がやったことはまったくの無意味だったってことですか?」
「そうでもないぞ。話を聞く限り高梨は今、あの家に住んでいるってわけじゃなさそうだな。仕事終わりに通ってるとか、そんなとこか。それがどうしたって思うかもしれないけどな」
夏美は先輩が言った通りのことを思っていた。クマのぬいぐるみを置いている店と、白河綾との関係性が見えてこない以上、あの店をいくら調べても意味がないんじゃないだろうか。
「先輩」
「なんだ?」
「先輩はなにか掴んでるんですよね? あの店を調べる必要があるって思うなにかを」
小守は、文字を書く速度を緩めて答えた。
「あの店になにかあるんじゃないか、くらいには思ってる。でもそのなにかをはっきりさせるためには毎日行って探りを入れるしかない。今日は俺も一緒に行くから、支度してくれ」
小守は解答途中のノートと教科書を鞄に放り込んで、学校を出る準備を始めた。
「え、先輩も行くんですか?」
「勉強したいが仕方がない。高梨って人に会うには毎日行くしかなさそうだからな。今日からは俺も付き合うよ」
「やややや、やったぁ!」
夏美は喚起した。先輩とデートできるっ! なんにも苦しいことなんてないっ! やったぁ! と心の中で叫んでいた彼女の感情を、あの女が、あの女の声が、嫌な感じの色に上塗りした。
「す、すいません……?」
扉から顔だけ入れて中を覗き込んでいるのは、白河綾だった。
夏美はその姿に向かいびしっと指さす。同時に叫ぶ。
「まだ見つかってないから帰りなさい!」
そんな訴えを聞いて、「そうじゃないんです!」と嘆くように言って綾は入ってきた。
「今日はピアノ教室があるので、私が直接探しに行くので、大丈夫です」
申し訳なさそうに言う綾に、夏美が抵抗した。
「いいえ! 今日は大事な日だから行きます! どいて!」
もう支度を終えていた夏美は綾を押しのけて廊下に出ようとするが、綾はそれを阻止した。
「き、今日はいいです! 本当にいいですから!」
「よくないよくない! クマのぬいぐるみを早急に探してあげるんだから邪魔しないの!」
夏美は徐々に綾の足を滑らせていく。帰宅部が運動部に敵うはずがないのだ。
すると小守がぽつり。
「わかりました。今日は白河さんにお任せしましょう」
夏美が振り向くと、先輩はまたも教科書とノートを開いて勉強に没頭していた。
「どうしてですか!? さっきまで行く気満々だったじゃないですか!」と、どうしてもデートをしたい夏美はやむを得ず反発する。
「別に明日でも問題ないだろ?」
小守はそう言って笑った。夏美に向けられたその笑顔は反則的だった。途端に恥ずかしくなった夏美は部屋の隅っこで縮こまり、熱くなっていく体温を冷まそうとした。その足元には、ナボーナの入った袋があった。
「そういうことですので、今日は白河さん、あなたにお任せします」
「あ、はい。なにかあったら、明日の朝にでも報告しに来ますので……」
綾はバタバタとした動きで頭を下げてから廊下を駆けて行った。次第に音が小さくなっていき、部室内には届かなくなる。すると小守は立ち上がり、真後ろの窓から地上を見下ろした。そこには小さくなった綾がいて、先ほどと同じように慌てふためいていた。校門を出たところで見えなくなってしまったので彼はまた席へと戻り、さらに勉強に精を入れた。
それから十分以上が経った。いまだ端っこの方で縮こまっている夏美に、先輩である小守が声をかけた。
「おい夏美、そろそろ行くぞ」
夏美はヘッドホンで音楽を聞くような体勢で小さくなっていた。
「夏美?」
返事が返ってこないので不思議に思った小守は、席を立ち、夏美の元まで足を運んだ。
夏美はほとんど動かないまま、耳を塞いでいて、なにも聞こえていないようだった。
「おい、そろそろ追いかけるぞ。尾行だ」
小守は夏美の耳を塞いでいる手を左右に押しのけた。そこで気づいたのか、夏美はしゃがんだまま先輩の顔をはっとした表情で見上げた。その口にはナボーナが咥えられている。
「なに食ってんだ! いいから白河綾を追いかけるぞ! 支度しろ!」
「んむみまみも~!」
奇怪な日本語を放ちながら、夏美は先輩に言われた通りに急いで身支度をした。そしてようやく二人は尾行を開始した。




