第52話 半導体
2021年、春。
半導体が、足りなくなった。
自動車の工場が止まった。ゲーム機が品切れになった。家電の新製品の発売が、次々と延期された。
世界中の人が家にこもってパソコンやスマートフォンを使うようになり、半導体の需要が一気に膨らんだ。それなのに、半導体を作る工場は、すぐには増やせない。一つの工場を建てるのに、何年もかかる。
ニュースは、毎日のように「半導体不足」を伝えていた。
◇
「半導体の会社に、もっと入れる」
丸の内のオフィスの会議室で、俺はレイコさんとアリサに言った。アリサは、半年ぶりにニューヨークから東京に来ていた。
「半導体を設計する会社。半導体を作る工場の会社。半導体を作るための装置を作る会社。材料を作る会社。全部」
アリサが、手元のタブレットで資料をめくった。
「半導体の会社の株は、もう去年から二倍、三倍になってるわよ。今から入るのは、遅くない?」
「遅くない。これは、始まりだ」
俺は、窓の外を見た。
一周目の記憶が、はっきりとよみがえっていた。
2022年の終わり。アメリカの小さな研究所が、人間と自然に会話ができる人工知能を、一般に公開する。世界中が驚く。たった二か月で、一億人が使うようになる。
それから、世界中の会社が、人工知能の開発に、とてつもない金を注ぎ込み始める。
その人工知能を動かすために必要なのが、特別な半導体だ。
ある半導体の設計会社の株価は、2023年から2024年にかけて、十倍以上に跳ね上がる。
「人工知能が、来る」
アリサが、眉をひそめた。
「人工知能? それなら、もう十年以上前から言われてるわ。でも、まだ大したことはできない」
「二年以内に、世界がひっくり返る」
会議室が、静まり返った。
レイコさんが、手帳を開いた。
「……勘ですね」
「勘だ」
「記録しておきます」
レイコさんは、手帳に書き込んだ。それから、顔を上げた。
「規模は」
「総資産の三割。三兆円」
「二割です」
「二割五分」
「二割です。残りは、佐伯さんの勘が当たったと確認できてから」
アリサが、くすくすと笑った。
「このやりとり、何年続けてるの、あなたたち」
「二十年です」
レイコさんが、真顔で答えた。
◇
2022年。
予想どおり、相場は荒れた。
アメリカの中央銀行が、物価の上昇を抑えるために、金利を急激に引き上げ始めた。お金の流れが、一気に逆回転した。
去年まで最高値を更新し続けていた株が、軒並み下がり始めた。半導体の会社の株も、例外ではなかった。高値から、半分近くまで下がった銘柄もあった。
佐伯キャピタルの総資産も、二十兆円を超えていたところから、十五兆円まで減った。
「代表。半導体の株、損切りしなくていいんですか」
若手のアナリストが、心配そうに聞いてきた。
「しない。むしろ、買い増す」
「……下がってるのに、ですか」
「下がってるから、だ」
若手のアナリストは、困ったようにレイコさんの方を見た。
レイコさんは、表情一つ変えずに言った。
「代表は、二十年前から、同じことを言っています。そして、二十年間、一度も外れていません」
レイコさんは、手帳を開いて、若手のアナリストに見せた。
びっしりと書き込まれた、的中の記録。
「……これ、全部、代表の予測ですか」
「全部です。外れたのは、二〇〇一年の年末の宝くじだけです」
若手のアナリストは、手帳を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。
「……桐谷さんは、怖くないんですか」
「怖いですよ」
レイコさんは、あっさりと答えた。
「二十年前から、ずっと怖いです。株が下がるたびに、毎回怖い。でも、怖いと思いながら、数字を数え続けるのが、私の仕事です」
レイコさんは、手帳を閉じた。
「代表の隣で数字を数えるのは、怖いけれど、一番面白いんです」
◇
2022年、十一月の終わり。
アメリカの小さな研究所が、一つの人工知能を、一般に公開した。
人間と、まるで人間同士のように、自然に会話ができる人工知能だった。質問をすれば、答えてくれる。文章を頼めば、書いてくれる。プログラムを頼めば、作ってくれる。
世界中が、驚いた。
公開から五日で、百万人が使った。二か月で、一億人が使った。
テレビも、新聞も、ネットも、人工知能の話題一色になった。
「……本当に、来たわね」
ニューヨークからのテレビ会議で、アリサが呆然とした顔で言った。
『試しに使ってみたの。投資のレポートを書かせてみたら、私の新人時代より、よっぽど上手に書いたわ』
「怖いか」
『怖いわよ。でも、それ以上に、ワクワクする』
アリサは、画面の向こうで、少しだけ笑った。
『あなた、二年以内に世界がひっくり返るって言ったわよね。一年半で、ひっくり返ったわ』
◇
2023年に入ると、波が来た。
世界中の会社が、人工知能の開発に、とてつもない金を注ぎ込み始めた。その人工知能を動かすための半導体が、圧倒的に足りなくなった。
ある半導体の設計会社の株価は、半年で三倍になった。
佐伯キャピタルが二年前から買い集めてきた半導体の会社の株は、軒並み、最高値を更新し続けた。
「総資産、二十二兆円を超えました」
2023年の夏、レイコさんが報告した。
「去年の秋の底から、九か月で、七兆円増えています」
オフィスに、拍手が起きた。
去年の秋に損切りを心配していた若手のアナリストが、一番大きな拍手をしていた。
◇
その夜。
ミサキと二人で、マンションで夕食をとった。
ミサキは、スマートフォンで、例の人工知能と会話をしていた。
「ねえ、ショウゴくん。この人工知能、小説も書けるんだよ」
「へえ」
「試しに、タイムリープもののあらすじを書いてって頼んでみたの。そしたら、すごくそれっぽいのを書いてくれた」
ミサキは、画面を見せてくれた。
――宝くじの当選番号を覚えていた男が、過去に戻って億万長者になる物語。
俺は、また紅茶にむせた。
「ショウゴくん、最近よくむせるね」
「……気のせいだ」
ミサキは、不思議そうに首をかしげた。それから、少しだけ真面目な顔になった。
「でもね、出版社としては、ちょっと複雑なの。人工知能が書いた小説を、そのまま人の作品として出すのは、やっぱり違うと思うから」
ミサキは、スマートフォンを置いた。
「人が書くから、伝わるものがあると思うの。ユイちゃんの灯台の映画だって、作家さんが自分の目で見て、自分の言葉で書いたから、あんなに人の心を動かしたんだもん」
「……そうだな」
「人工知能は、下書きや、資料集めに使うくらいがちょうどいいんじゃないかな。最後は、人の手で書かないと」
ミサキは、そう言って、すり減った青い万年筆を手に取った。
二十年前に贈ったその万年筆は、もう三回も修理に出していた。それでもミサキは、新しいものに替えようとはしなかった。
現在資産:22,000,000,000,000円
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