第05話 内定辞退
六月。
二度目のミニロト1等が来た。
指定の支店は同じ。担当も、同じだった。
「……佐伯様」
個室に入ってきた桐谷さんが、書類を見て一瞬固まった。
「一か月で、二度目のご当選ですね」
「運がいいみたいで」
今回は、少しだけ手を震わせてみせた。我ながら下手な演技だった。
「ミニロト1等の当選確率は、約十七万分の一です」
「詳しいですね」
「仕事ですから」
それきり、桐谷さんは事務的な説明に戻った。でも、書類に判を押す手が、さっきより少しだけゆっくりだった。
帰り際、ドアの前で彼女が言った。
「佐伯様。差し出がましいようですが」
「はい」
「高額当選者の方の中には、数年で全部使い果たしてしまう方も少なくありません。もし資産の管理でお困りのことがあれば、当行にもご相談窓口がございますので」
それは、行員としての定型文だったのかもしれない。
でも俺には、彼女が本気で心配してくれているように聞こえた。
「ありがとうございます。そのときは、桐谷さんに相談しますよ」
「私は窓口の担当ですので……」
言いかけて、桐谷さんは口をつぐんだ。
「……いえ。お待ちしております」
七月。三度目の1等。
今度は、別の支店を指定した。さすがに三回目は、彼女に疑われるだけでは済まないかもしれない。
別の支店の担当は、定年間近らしい男性行員だった。手続きは丁寧で、何の問題もなかった。むしろ、問題がなさすぎた。
個室を出るとき、ふと、あの眼鏡の奥の目を思い出した。面白そうに細められた、あの目。
――わざわざ別の支店にしたのは、俺のほうなのにな。
自分で自分に苦笑する。四十八歳にもなって、何を気にしているんだか。
通帳の数字は、いつの間にか八桁の後半になっていた。三千四百万円。一周目の俺の生涯貯金を、もう九倍も超えている。
それでも、ノートの記録には、まだ一億円の行がない。本番はこの秋だ。
◇
七月の終わり、一通の封書が届いた。
『内定のご通知 株式会社東和システムズ』
手が止まった。
東和システムズ。一周目の俺が二十六年間勤め、最後は駅のホームから落ちる原因を作った会社だ。
そうか。二周目でも、ちゃんと受かっていたのか。春先に受けた最終面接の結果が、今ごろ届いたらしい。
封筒の中には、内定者懇親会の案内も入っていた。
懇親会の会場は、本社ビルの大会議室だった。
見覚えのある廊下。見覚えのある自販機。一周目の俺は、ここで缶コーヒーを毎日三本飲んでいた。
「佐伯くん、だよね? 人事の堀です」
名乗った人事担当者の顔を見て、俺は笑いそうになった。
堀部長。一周目の最後に、俺に炎上案件を丸投げした張本人だ。まだ三十代前半で、髪もふさふさしている。
「うちはね、若いうちからどんどん現場に出てもらうから。成長できるよ。そのぶん大変だけど、大変なのは最初の数年だけだから」
嘘だ。二十六年、ずっと大変だった。
周りの内定者たちは、目を輝かせて堀の話を聞いていた。そのうちの何人かの顔を、俺は覚えていた。一人は三年目で心を壊して辞めた。一人は四十歳で過労で倒れた。
懇親会が終わって、俺は堀を呼び止めた。
「堀さん。申し訳ありません。内定を辞退させてください」
堀の笑顔が固まった。
「え……ああ、他社さんに決まったのかな?」
「いえ。どこにも就職しません」
「は?」
「自分で、やってみたいことがあるので」
堀は何か言いかけて、やめた。それから、少し呆れたように笑った。
「若いねえ。まあ、後悔しないようにね」
「はい。後悔は、一回分で十分なので」
堀はきょとんとしていた。
本社ビルを出ると、夏の夕方の空が広がっていた。
ビルを見上げる。十二階。一周目の俺の席は、あの窓の向こうにあった。
二十六年分の残業。二十六年分の謝罪。二十六年分の「いつか」。
全部、ここに置いていく。
「じゃあな」
声に出したら、思ったより晴れやかに響いた。
◇
その夜、実家の母から電話がかかってきた。
『ショウゴ、あんた内定断ったって本当なの!?』
「なんで知ってんの」
『会社から確認の電話があったのよ! あんた、就職しないでどうするつもり!』
「大丈夫だよ。ちゃんと食べていけるから」
『何を根拠に――』
「今度の週末、帰るよ。ちゃんと説明する」
『……本当に帰ってくるのね?』
一周目の俺は、そう言っていつも帰らなかった。母の声には、半分あきらめが混じっていた。
「帰る。約束する」
◇
週末。
俺は新幹線と在来線を乗り継いで、地方の小さな町に帰った。駅前の商店街は、二十六年後にはシャッター街になる。今はまだ、八百屋の威勢のいい声が響いていた。
実家の駐車場には、あの白いセダンが停まっていた。塗装が色あせて、バンパーに小さなへこみがある。
「ショウゴ!」
玄関から母が飛び出してきた。若い。五十代前半の母は、俺の記憶の中の母より二十歳も若かった。
居間では、父が新聞を広げていた。こっちも若い。白髪が、まだほとんどない。
「……おう。帰ったか」
不器用な父の声を聞いた瞬間、鼻の奥がつんとした。
一周目の最後の数年、俺は父とほとんど話していなかった。電話をしても「元気か」「元気だ」で終わる。父が入院したときも、仕事を理由に見舞いを一日延ばしにした。
「父さん、母さん。話がある」
俺は宝くじが当たったことを話した。何度も、運良く当たったことにした。金額は、ミニロト一回分だけ。全部話せば、腰を抜かすだろうから。
両親は、しばらく口をきかなかった。
「だから、就職はしない。この金を元手に、自分でやってみる。もちろん、うまくいかなかったら頭を下げて働くよ」
父は新聞をたたみ、じっと俺の顔を見た。
「……お前、なんだか急に大人になったな」
「そうかな」
「ああ。前は、俺の顔もまともに見なかった」
それから俺は、二人を車屋に連れ出した。
「ショウゴ、ちょっと、何するつもり」
「親父の車、買い替えよう。俺が出す」
展示場の真新しいセダンの前で、父は長いこと黙っていた。値札には、三百万円とあった。
「……馬鹿野郎。そんな金は、自分のために使え」
「自分のためだよ」
本当だった。
一周目の俺は、両親に何もしてやれなかった。結婚もせず、孫の顔も見せず、仕事が忙しいと正月にも帰らなかった。最後に父の車に乗ったのがいつだったかも、思い出せない。
「今度は、ちゃんと親孝行させてくれ」
父は何も言わなかった。ただ、俺の肩を一度だけ、強く叩いた。
その夜は、母の作った肉じゃがを三杯おかわりした。父は新しい車のカタログを、寝るまで何度もめくっていた。
「色は、銀がいいかね」
「白でいいだろ。前と同じで」
「前と同じじゃつまらんだろうが」
そんな言い合いを聞きながら、俺は台所で皿を洗った。一周目では、一度もしなかったことだ。
帰りの電車の窓に、自分の顔が映っていた。少しだけ、泣いた跡があった。
稼いで、使う。自分のためにも、大事な人のためにも。
そのために、二周目があるんだ。
現在資産:31,107,600円
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