第47話 電子の黄金
2017年、秋。
世の中が、ある言葉で浮かれ始めていた。
仮想通貨。
七年前、俺がピザ二枚分の値段で買った、あのインターネット上の通貨だ。
テレビのワイドショーが、毎日のように特集を組んでいた。「仮想通貨で億万長者になった若者」「主婦が始めた仮想通貨投資」。電車の中吊り広告には、仮想通貨の取引所の宣伝が並んでいた。
一枚の値段は、春には三十万円だった。夏には五十万円。秋には八十万円。
そして、十一月には、百万円を超えた。
◇
日曜日の朝。
俺は、銀行の貸金庫から、三枚の紙を取り出していた。
七年前、仮想通貨を取り出すための暗号の鍵を、三枚に分けて書いた紙だ。少しだけ黄ばんでいたが、文字ははっきりと読めた。
マンションの書斎で、パソコンを立ち上げた。慎重に、一文字ずつ、鍵を打ち込んでいく。
画面に、数字が表示された。
四十万枚。
七年前と、一枚も変わらずに、そこにあった。
今の値段で、一枚百二十万円。
四千八百億円。
三百万円が、四千八百億円になっていた。
十六万倍。
「……本当に、なったな」
俺は、画面の前で、しばらく動けなかった。
宝くじで二百円が百万円になった朝、俺は六畳間で新聞を抱えたまま、しばらく動けなかった。
あの朝と、同じ感覚だった。
◇
月曜日。丸の内のオフィス。
レイコさんに、パソコンの画面を見せた。
レイコさんは、画面の数字を見て、しばらく黙っていた。
それから、手帳を開いて、七年前のページを探した。
「……2010年5月。佐伯さん、初めての『根拠のない投資』。三百万円」
レイコさんは、そのページを指でなぞった。
「根拠のない投資が、十六万倍になりました」
「根拠は、なかったな」
「ありませんでした。今も、ありません」
レイコさんは、眼鏡を押し上げた。
「この通貨には、裏付けになる資産も、利益を生む事業も、何もありません。みんなが価値があると信じている間だけ、価値がある。七年前に私が言ったことは、今でも正しいと思います」
「俺も、そう思う」
「……それで、どうするんですか」
「売る」
レイコさんが、顔を上げた。
「全部ですか」
「半分。来月の半ばまでに」
「理由は」
「この値段は、来月の半ばに、天井をつける。一枚二百万円を超えたところで、一気に崩れる。来年の春には、三分の一以下になる」
レイコさんは、黙って手帳に書き込んだ。
「……勘、ですね」
「勘だ」
「残りの半分は」
「持っておく。崩れたあと、何年かかけて、また上がる。もっと高く」
レイコさんは、小さく溜息をついた。
「七年前の私が聞いたら、卒倒する話です」
◇
十二月。
仮想通貨の値段は、狂ったように上がり続けた。
一枚百五十万円。百八十万円。
テレビは、毎日のように「仮想通貨バブル」を報じていた。職場で、学校で、家庭で、誰もが仮想通貨の話をしていた。
十二月の半ば。
一枚が、二百万円を超えた。
その朝、俺は、持っている四十万枚のうち、二十万枚を売った。
アリサがニューヨークで、取引所を分散させて、目立たないように売り注文を出してくれた。
一枚あたり、平均で百九十万円。
二十万枚で、三千八百億円。
「売却、完了しました」
アリサから、電話がかかってきた。
『あなたの勘、本当に怖いわ。今日が、たぶん天井よ。もう、上がる力が残ってない』
「アリサのランチ代は、どうなった」
『……ああ、あれ』
アリサは、少しだけ照れくさそうに笑った。
『七年前に、ポケットマネーで買った分。売ったら、マンハッタンのマンションが一部屋買えたわ。父と母に、プレゼントしようと思ってる。三十年ローンの家の、ローンの残りを、全部払ってあげるの』
「いい使い道だ」
『あなたのおかげよ』
アリサの声は、少しだけ湿っていた。
◇
十二月の終わり。
仮想通貨の値段は、崩れ始めた。
一枚二百万円を超えた値段は、わずか二週間で百四十万円まで下がった。年が明けると、さらに下がり続けた。
2018年の春には、一枚七十万円を割り込んだ。
テレビのワイドショーは、今度は「仮想通貨で全財産を失った人たち」の特集を組んでいた。
◇
仮想通貨を売った週の金曜日。
俺は、ユイと二人で、宮城の港町にいた。
六年前、映画の撮影をした町だ。港の岸壁はすっかり修復され、新しい魚市場が建っていた。仮設住宅は、ほとんどが取り壊されて、高台に新しい住宅地ができていた。
白い灯台は、変わらずに岸壁の先に立っていた。
「この町の子どもたちのための、奨学金を作りたい」
灯台の下で、俺はユイに言った。
「仮想通貨で、思いがけない金が入った。根拠のない投資で手に入れた金だ。だから、根拠のあることに使いたい」
ユイは、灯台を見上げたまま、しばらく黙っていた。
「……私の町にも、作ってくれますか。岩手の、灯台が流された町にも」
「もちろん」
「じゃあ、私も出します。女優で稼いだお金、少しだけど」
ユイは、振り返って、俺の顔を見た。
「名前、どうしますか。奨学金の」
「ユイが決めてくれ」
ユイは、少し考えてから、言った。
「『灯台基金』。……どうですか」
「いい名前だ」
翌年の春。
『灯台基金』の最初の奨学生が、宮城と岩手の沿岸の町から、二十人選ばれた。
その年の夏、奨学生の一人から、ユイ宛てに手紙が届いた。中学生の女の子だった。
――ユイさんの映画を見て、女優になりたいと思いました。でも、まずは、町の役に立つ人になりたいです。
ユイは、その手紙を、楽屋の鏡の横に貼っているという。
◇
年末。
ミサキと二人で、マンションで年越しをした。
紅白歌合戦を見ながら、ミサキが作った年越しそばをすする。十七年間、毎年変わらない年越しだった。
ふと、ミサキが箸を止めた。
「ねえ、ショウゴくん」
「ん?」
「2010年の六月。ピザ二枚の話」
心臓が、どきりと鳴った。
ミサキは、鞄から古い手帳を取り出した。ページをめくって、ある一行を指さした。
『2010年6月。ピザ二枚。10年後に聞くこと』
「十年後には、あと三年早いけど。最近、ニュースで仮想通貨の話ばっかりでしょ。あのとき、ショウゴくんが買ったのって、もしかして」
俺は、少し考えてから、答えた。
「……そう。仮想通貨だった」
「やっぱり!」
ミサキは、目を輝かせた。
「で、いくらになったの」
「聞かないほうがいいと思う」
「それ、引っ越しのときも、沖縄のときも、箱根のときも言ってた」
ミサキは、呆れたように笑った。
それから、手帳の一行の横に、青い万年筆で、小さく書き足した。
『2017年12月。答え合わせ。聞かないほうがいい額だった』
「十年後の約束、ちょっとだけ早く果たしてもらったね」
ミサキは、満足そうに手帳を閉じた。
テレビの中で、除夜の鐘が鳴り始めた。
ミサキは、そっと俺の手を握った。毎年、鐘が鳴り始めると、そうするのが二人の習慣だった。
現在資産:5,200,000,000,000円
お読みいただき、ありがとうございます!
毎日22時に更新しています!
続きが気になると思っていただけたら、
ブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると、
とても励みになります。
感想も、一言から大歓迎です。
よろしくお願いします!




