第24話 佐伯キャピタル
本日より第3部スタートです!
ついに日本を飛び出して、世界が相手です。
資産の桁も、ここから大きく変わっていきます。
2006年、五月。
佐伯キャピタルの登記が、正式に終わった。
新しいオフィスは、丸の内のビルの二十二階。六本木の雑居ビルとは比べものにならない広さだった。窓の外には皇居の緑が広がり、その向こうに霞が関のビル群が見える。
「……広すぎないか」
がらんとしたフロアの真ん中で、俺はつぶやいた。机は、まだ四つしかない。
「すぐに埋まります」
レイコさんは、手にした書類の束をめくりながら言った。
「来月までに、アナリストを三人、事務方を二人採用します。夏には、海外の取引に強い人間も必要になります」
レイコさんの名刺は、新しくなっていた。
『株式会社佐伯キャピタル 取締役 最高執行責任者 桐谷レイコ』
「肩書きが長いな」
「長いほうが、海外では信用されるそうです」
レイコさんは、少しだけ得意そうに眼鏡を押し上げた。
◇
窓際の丸テーブルに、二人で向かい合った。
テーブルの上には、英語の資料が山のように積まれていた。アメリカの住宅市場に関する報告書。住宅ローンの統計。金融商品の説明書。
「佐伯さん。そろそろ、本題を聞かせてください」
レイコさんは、ペンを持って俺を見た。
「アメリカの住宅に、どう賭けるんですか」
俺は、資料の一枚を引き寄せた。
「今、アメリカでは、誰もが家を買ってる。収入の少ない人にも、銀行は気前よく金を貸してる。家の値段が上がり続ける限り、借りた人は家を売れば返せる。だから、誰も困らない」
「上がり続ける限り、ですね」
「そう。でも、家の値段は、あと一年くらいで下がり始める。そうなると、借金を返せない人が一気に増える」
レイコさんは、資料の数字を指でなぞった。
「延滞率は、確かに少しずつ上がっています。でも、まだ誤差の範囲です」
「今はな」
俺は、別の資料を開いた。
「銀行は、貸した住宅ローンを何千件も束ねて、一つの金融商品にして売ってる。世界中の銀行や投資家が、安全な商品だと思って、それを買ってる」
「格付けも、最高ランクがついていますね」
「その束が、紙くずになる」
レイコさんのペンが、止まった。
「……全部、ですか」
「全部じゃない。でも、安全だと思われてた部分まで、まとめて崩れる」
◇
「どうやって、それに賭けるんですか。株なら空売りができますが、住宅ローンの束は」
「保険を買う」
レイコさんが、眉を寄せた。
「その金融商品が値下がりしたら、お金が支払われる契約がある。火災保険みたいなもんだ。家が燃えたら、保険金が出る。この束が燃えたら、契約した金額が支払われる」
「保険料は」
「毎年払う。束が燃えなければ、払い損だ」
「燃えたら」
「払った保険料の、何十倍にもなって返ってくる」
レイコさんは、黙って計算を始めた。電卓を叩く指が、少しずつ速くなっていく。
しばらくして、顔を上げた。
「仮に、資産の三割を保険料に回すとします。二年間、何も起きなければ、それは全部消えます。その間、会社の資産は減り続けます」
「分かってる」
「世間から見れば、佐伯さんは『ネクストリームを当てた天才が、アメリカで大損している』ように見えます」
「それも、分かってる」
「……それでも、やるんですね」
「やる」
レイコさんは、電卓を置いた。
それから、いつものように規定の紙を取り出して、何かを書き込んだ。
「では、上限を決めましょう。保険料に回すのは、年に資産の一割まで。それを超えるときは、私の承認が必要です」
「一割か」
「三割と言いたいところでしょうが、だめです。佐伯さんの記憶がもし外れたら、会社が残りません」
俺は、思わずレイコさんの顔を見た。
「……記憶?」
レイコさんは、表情を変えずに言った。
「佐伯さんの言う『勘』のことです。私は、そう呼ぶことにしています」
◇
翌週から、採用の面接が始まった。
最初の候補者は、大手証券会社を辞めたばかりの三十代の男性だった。経歴は申し分ない。分析の腕も確かだと、紹介者は言っていた。
「御社の運用方針を、お聞かせいただけますか」
面接の途中で、男性が聞いた。
「アメリカの住宅市場が崩れることに、賭けます」
男性は、手に持っていたボールペンを、ぽとりと机に落とした。
「……失礼ですが、本気ですか。今、どこの証券会社も、アメリカの住宅ローン証券を売りまくっていますよ」
「だから、です」
男性は、困ったようにレイコさんの方を見た。レイコさんは、表情一つ変えずに言った。
「当社の代表は、本気です。そして、私も本気です」
その日の面接は、五人。そのうち三人が、運用方針を聞いた途端に辞退した。
残った二人のうち一人は、元銀行員の女性アナリストだった。
「面白そうですね。みんなが右を向いているときに、左を向く会社。そういうところで働いてみたかったんです」
レイコさんは、その場で採用を決めた。
「辞退した三人は、正しい判断をしました。普通は、そう考えます」
面接のあと、レイコさんは言った。
「残った人だけが、この会社に合う人です。人数は少なくていい」
◇
その夜、ミサキがオフィスに来た。
「わあ、すごい。皇居が見える!」
ミサキは、窓に額をくっつけるようにして、夜景を見下ろした。
「六本木の、高速道路が見えるオフィスも好きだったけどな」
「あっちは探偵事務所。こっちは、ドラマの社長室だね」
ミサキは振り返って、俺の机の上の英語の資料を覗き込んだ。
「全部英語……ショウゴくん、英語読めたっけ」
「勉強中」
一周目の俺は、仕事で英語の仕様書を何年も読まされた。読むだけなら、それなりにできる。話すのは、まだまだだった。
「来月、ニューヨークに行く」
「えっ、ニューヨーク?」
「アメリカの銀行の人たちに、会いに行く。二週間くらい」
ミサキは、少しだけ寂しそうな顔をした。それから、ぱっと明るい顔に戻った。
「じゃあ、お土産よろしくね。自由の女神の置物とか」
「そういうのでいいのか」
「そういうのがいいの。ショウゴくん、高いものばっかり買ってくるから、たまには安いやつがいい」
ミサキは笑って、俺の手を握った。
「気をつけて行ってきてね。一番最初の人は、ちゃんと待ってるから」
◇
六月。成田空港。
出発ロビーには、レイコさんとカオルさんが見送りに来てくれた。ミサキは、仕事で来られなかった。
「これ、向こうで会う人のリストです」
レイコさんが、分厚いファイルを差し出した。銀行の担当者、ファンドの運用者、業界の会議の日程。全部、英語と日本語の両方で書いてあった。
「いつの間に、こんなに」
「COOですから」
カオルさんは、小さな紙袋を差し出した。
「お守りよ。それと、ニューヨークの日本料理屋の名前。大使館の人に教えてもらったの。疲れたら行きなさい」
「ありがとうございます」
「向こうにはね、日本の噂は届かないわ。だから、あなたは自分の目で見るしかない」
カオルさんは、俺の目をまっすぐ見た。
「何を見たか、帰ってきたら聞かせてね」
搭乗口へ向かいながら、俺は一度だけ振り返った。
二人が、並んで手を振っていた。
一周目の俺は、海外出張に行ったことがなかった。誰かに見送られたことも、なかった。
現在資産:31,000,000,000円
お読みいただき、ありがとうございます!
毎日22時に更新しています!
続きが気になると思っていただけたら、
ブックマークや、下の【☆☆☆☆☆】から評価をいただけると、
とても励みになります。
感想も、一言から大歓迎です。
よろしくお願いします!




