第15話 時代の寵児
2004年。
世の中が、急に浮かれ始めた。
テレビをつければ、「主婦が自宅のパソコンで株を売買し、一億円を稼いだ」という特集。書店に行けば、「誰でもできるデイトレード」という本が平積みになっている。電車の中では、大学生らしき若者が、携帯電話で株価をチェックしていた。
新興企業の株が、軒並み値上がりしていた。
ネット、携帯、ゲーム。名前に「ネット」や「ドットコム」がつくだけで、株価が跳ね上がる。
「熱いですね」
オフィスのモニターを見ながら、レイコさんが言った。熱いと言いながら、その声はいつもどおり冷静だった。
「アストラリンク、買値の十二倍です」
「十二倍か」
「最初に入れた十億が、百二十億になっている計算です。途中で一部売却していますので、実際の評価額はもう少し少ないですが」
一周目の俺の年収が七百万。十二倍の株価は、その一千七百年分。
もう、比べる意味もなかった。
◇
「一部、利益を確定させましょう」
レイコさんが、注文の一覧を差し出した。
「資産のうち、一つの銘柄の比率が高くなりすぎています。規定では、二割を超えたら一部売却することになっています」
「半分だけ売ろう」
「全部ではなく?」
「まだ早い。この熱は、あと一年半は続く」
レイコさんは、少しだけ首をかしげた。
「一年半、という数字の根拠は」
「……勘」
「勘は根拠になりません」
「言うと思った」
結局、俺は決算書と業界の成長予測を並べて、三十分かけてレイコさんを説得した。
最後にレイコさんはうなずいて、注文を出した。
「佐伯さんの説明、だんだん上手になってきましたね」
「誰かさんに鍛えられてるからな」
◇
五月の終わり。
一通の招待状が、オフィスに届いた。
『新世代経営者交流会 ご招待』
新興企業の経営者や投資家が集まるパーティーらしい。アストラリンクの大株主として、俺の名前が知られるようになっていたのだ。
「行くべきだと思います」
レイコさんは、招待状を読んで言った。
「新興企業の経営者たちの顔ぶれを、直接見ておく価値があります。数字だけでは分からないこともあるので」
「レイコさんも来る?」
「私は、ああいう場所が苦手です」
「俺も苦手だよ」
「佐伯さんは、苦手でも行くべき立場です」
◇
会場は、六本木の高層ビルの最上階だった。
床から天井まである窓の向こうに、東京の夜景が広がっている。シャンパンタワーが立ち、生演奏のジャズが流れ、ブランドのスーツやドレスに身を包んだ人たちが、グラスを片手に笑い合っていた。
一周目の俺は、こういう場所に一度も来たことがなかった。来たとしても、壁際で料理をつまんで、誰とも話さずに帰っていただろう。
「佐伯さん、ですよね。アストラリンクの」
声をかけてきたのは、どこかの会社の社長だった。名刺を交換し、当たりさわりのない話をする。そんなやり取りが、何度も続いた。
みんな、俺の若さに驚いていた。そして、驚いたあとに、少しだけ見下すような目をした。
――運のいい若造。
その目は、そう言っていた。
◇
会場の中央が、急に騒がしくなった。
人垣ができている。その真ん中に、一人の男が立っていた。
三十歳前後。Tシャツの上に、高そうなジャケットを羽織っている。日に焼けた顔に、白い歯。テレビで何度も見た顔だった。
黒田サトル。
新興IT企業「ネクストリーム」の社長。毎日のようにテレビに出て、「時代の寵児」と呼ばれている男だ。
「金で買えないものはない。俺はそれを証明するために、会社をやってるんです」
黒田は、取り巻きたちに向かって、大きな声で語っていた。
「古い会社は、古いやり方にしがみついている。だから負ける。俺たちは、ルールの隙間を見つけて、そこを全力で走る。それだけです」
取り巻きたちが、感心したようにうなずく。
その目が、ふと、俺のほうを向いた。
「あれ、君。アストラリンクの佐伯くんだろ?」
黒田は、人垣をかき分けて、俺の前まで来た。
「噂は聞いてるよ。二十代で、何十億も動かしてるんだってな」
「どうも」
「でも、元手は宝くじなんだって?」
周りの人間が、くすりと笑った。
黒田は、悪びれもせずに続けた。
「宝くじで当てた金で株を買って、たまたま当たった。運だけの子だな」
会場の空気が、少しだけ冷たくなった。
俺は、グラスを持ったまま、黒田の顔を見た。
「運も、実力のうちですよ」
「へえ」
「黒田さんだって、今の地位は、時代の運が半分でしょう。十年早く生まれていたら、ネットなんてなかった」
黒田の笑顔が、一瞬だけ引きつった。
ほんの一瞬だった。すぐに、元の白い歯を見せた笑顔に戻った。
「……面白い。気に入ったよ。今度、飯でも行こう」
黒田は、俺の肩を叩いて、また人垣の中へ戻っていった。
◇
パーティーの帰り道。
タクシーの窓から、六本木の夜景を眺めながら、俺は記憶の引き出しを開けていた。
ネクストリーム。黒田サトル。
一周目の俺は、この名前を覚えている。
この会社は、これから二年間、日本中の注目を集め続ける。株価は何倍にも膨らみ、黒田はテレビに出続け、派手な買収を次々に仕掛けて、世間を騒がせる。
そして、2006年の一月。
ネクストリームの本社に、検察の強制捜査が入る。
株価は崩れ落ち、黒田は表舞台から姿を消す。
「……あと一年半か」
タクシーの後部座席で、俺は小さくつぶやいた。
黒田の言うとおりだ。金で買えないものはない。
なら、あの男が作る熱狂で、稼げるだけ稼がせてもらおう。
そして、崩れる前日に、全部売る。
◇
翌朝、オフィスに着くと、レイコさんの机の上に、ネクストリームの決算書が三期分、並べて置いてあった。
「昨日、黒田社長に会ったと聞いたので」
「早いな」
「パーティーの写真が、もう業界紙のサイトに出ていましたから。佐伯さん、黒田社長に肩を叩かれていましたね」
レイコさんは、決算書の一部を指さした。
「この会社、売上は確かに伸びています。でも、利益の伸び方が、売上の伸び方と合っていません。何か、本業以外のところで利益を作っている可能性があります」
「どういうこと?」
「まだ分かりません。ただ、数字が少しだけ、不自然です」
俺は、レイコさんの横顔を見た。
一周目では、誰も気づかなかった。いや、気づいていた人はいたのかもしれないが、世間の熱狂の前に、その声はかき消された。
この人は、もう気づき始めている。
「レイコさん。この会社の株、少しずつ買おうと思う」
レイコさんは、眼鏡の奥で目を見開いた。
「数字が不自然だと、今言ったばかりですが」
「だから、買う。不自然な数字は、いつか必ず正体がばれる。それまでは、みんなが熱狂して、株価は上がり続ける」
「……ばれる日が来る前に、売る、ということですか」
「そう」
レイコさんは、しばらく黙って決算書を見ていた。
「危ない橋です」
「分かってる。だから、一つの銘柄に入れる上限は、規定どおり守る。今回は、例外はなしだ」
「……その言葉、記録しておきます」
レイコさんは、手帳に小さく書き込んだ。
現在資産:9,500,000,000円
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