『夢操の檻』 第2章:白い門と黒い影(中編)
お久しぶりです
1. 十五階の沈黙
エレベーターのデジタル表示が、無機質な音とともに数字を刻んでいく。
地下監房の湿った冷気は、階を上がるごとに、高度に管理された無味無臭の空調へと塗り替えられていった。
十五階。
新政府のどのニューシティにおいても、司令塔のこの階には分隊長室が置かれている。
それは、この巨大な秩序を統治するための「一貫性」の象徴でもあった。
扉が開くと、そこには先ほど車の中で出会ったデオの姿があった。
彼は重厚なデスクに腰掛け、窓の外に広がる白い街並みを見下ろしていた。
「……連れてきたか」
デオは不貞腐れたような、どこか居心地の悪そうな顔でアキトを一瞥した。
「座れ、坊主。お前をここに呼んだのは俺じゃない。……もっと『上』の方だ」
デオがデスクの上のスイッチを入れると、壁一面を覆う巨大な漆黒のスクリーンが淡く発光した。映像は映し出されない。ただ、吸い込まれそうなほど純粋な暗黒がそこにあるだけだ。
アキトは身構えた。これから始まるのは洗脳か、それとも屈辱的な尋問か。
だが、スピーカーから流れてきたのは、予想に反して、どこにでもいそうな、驚くほど「普通」の男の声だった。
『――聞こえるかね、アキト君』
声には、野太い迫力も、威圧的な冷たさもなかった。むしろ、放浪中の若者を案じる年長者のような、穏やかな響きさえあった。
……しかし、どこかおかしい。ノイズ一つないその音響には、人間の息遣いも、吐息の湿り気すらも存在しなかった。ただあまりにも滑らかに、完璧な間合いで言葉が紡がれていく。
「……あんたは誰だ」
アキトは乾いた声で応えた。
『俺か。そうだな、ヴァルター。ヴァルター・ヴァンデルだ』
(ヴァンデル……変幻自在、か。)
『俺は君たちの言う「新政府軍総司令」だ。まずは、我が軍の者が君を無礼に扱ったことを詫びよう。君は我々にとって、ただの捕虜ではない。失われるべきではない、稀有な才能の持ち主だ』
「お世辞ならいい。僕をどうするつもりだ。夢を書き換えて、この街の人々みたいにするのか?」
アキトは窓の下、意志を奪われ整然と歩く人々を指差した。
『まさか。強制的に与えられた夢は、所詮は借り物に過ぎない。私は、君自身の意志で、君自身の夢を選び取ってほしいと願っているのだよ。……アキト君、君が命を懸けて守ろうとした「自由」は、あの荒波の上で君に何を与えてくれたかね?』
2. 言葉の楔
アキトの胸の奥が、鋭い痛みとともに疼いた。
ボートの上での渇き。日差し。自分を縛り上げた縄。そして、レオンの裏切り。
『君たちは「檻」を壊せ、「夢」を返せと叫ぶ。だが、檻の外にあるのは「自由」ではない。「混沌」と「死」だ。君が海で死にかけたとき、君を救ったのは君の信じる自由か? 違う。我々の築いた「秩序」だ。我々の哨戒網が、秩序を維持するために動いていたからこそ、君の命は繋がった。……皮肉だとは思わないか?』
「それは……あんたたちが世界を管理してるからだ! あんたたちが何もかも独占して、従わない奴を追い出すから、外は地獄になるんだ!」
『では、管理を止めれば救われるのか? 誰もが奪い合い、弱い者が真っ先に飢え、強い者が暴力で夢を独占する世界に戻れと言うのかね。アキト君、君は夢守の島で何を失った? 仲間か。信頼か。……それとも、信じていたリーダーの背中かな?』
総司令の言葉が、アキトが一番触れられたくない傷口を正確に抉った。
レオン。あの手紙。
『私は新政府に寝返ってはいない』などという、独りよがりな言い訳。
『レオンは賢い男だ。彼は気づいたのだよ。旧政府軍が掲げる「自由」が、いかに空虚で、いかに人を救わないかということにね。だから彼は、自らの夢を捨てて、別の道……そう、新政府への寝返りを選んだ。……君も同じではないか? 君は今、怒っている。自分を捨てたレオンに、自分を死に追いやった旧政府軍の無能さに、そして何より、そんな世界で無力だった自分自身に』
アキトは唇を噛み締めた。否定したかった。だが、反論の言葉が見つからない。
総司令の言うことは、あまりに冷酷で、そしてあまりに正論だった。まるでアキトの心拍数や表情の変化をミリ単位で解析し、最も精神を揺さぶる「最適解」の言葉だけを寸分の狂いもなく打ち込んできているかのように。
『アキト君。君には「力」がある。空気を支配し、世界を形作る力だ。その力を、破壊のために使い、泥を啜りながら死んでいくのか。それとも、この安寧を守るための「盾」となり、望むものすべてが手に入る世界で、新たな夢を見るか。……選ぶのは君だ。我々は強制しない。君が「自由」を望むなら、今すぐこの司令塔から放り出してやってもいい。……あの、水もない海へ、再びね』
3. 堕ちゆく自意識
沈黙が部屋を支配した。
アキトの視界の中で、かつての仲間たちの顔が、霧のように薄れていく。
ジン。ミナ。みんな、自分を救ってはくれなかった。
レオンは自分を裏切り、旧政府軍の理想は自分を漂流者にした。
それに対し、目の前にある「秩序」は、自分に清潔な服を与え、冷たい水を与え、そして「役割」を与えようとしている。
(……僕は、もう疲れているんだ)
心の奥底で、何かが崩れた。
それは「善」や「悪」といった単純な二元論ではなく、生存という圧倒的な現実への屈服だった。
あるいは、レオンへの復讐心という、新たな火種がその隙間に滑り込んだのかもしれない。
「……僕がそっちに行けば、レオンに会えるのか」
『彼もまた、彼なりの方法で我々二人の理想に近づこうとしている。君が相応しい地位を手に入れれば、再会の機会は必ず訪れるだろう』
アキトは深く、長く、息を吐き出した。
その瞬間、身体が奇妙に「軽く」なるのを感じた。漂流中に感じたあの感覚。周囲の空気が、自分の意志に応えようとして蠢いている。
総司令との対話を経て、アキトの心の中にある「迷い」という重石が外れたのだ。
アキトはゆっくりと顔を上げた。
その瞳からは、かつての少年のような柔らかさは消え、冷徹な決意の光が宿っていた。
「……いいだろう。あんたの言う『安寧』とやら、見せてもらうよ」
スクリーンの向こうで、総司令が満足げに微笑んだ――そんな計算された残響音がスピーカーから微かに漏れた。
『賢明な判断だ、アキト君。……いや、アキト特務兵。我々の「夢」を受け取ったことに感謝する。君の新しい人生を歓迎しよう』
プツン、と通信が切れる。
漆黒のスクリーンが暗転し、完全な沈黙が戻った。
デスクの上の通信インジケーターが、まるでタスクを正常終了した機械のように冷ややかに消灯する。
それを背に、デオが立ち上がった。彼は少し意外そうな、どこか諦めを含んだ顔でアキトを見た。
「まさか、本当に落ちるとはな。……総司令の口八丁には、俺も勝てねえよ」
デオは、アキトの肩にずっしりと重い手を置いた。
「ま、決まった以上は仲間だ。精々、期待に応えてくれよ、坊主」
アキトは、デオの手を無造作に振り払った。
そして、かつての自分が最も嫌悪していたはずの、あの「白い門」の向こう側を見据えて、傲然と言い放った。
「これからご指導よろしくお願いします。……“分隊長”殿」
その言葉には、明らかな嘲りと、隠しきれない優越感が混じっていた。
デオを驚かせるほどの変貌。
アキトの中で、かつての「軽装兵アキト」は死んだのだ。
今ここにいるのは、秩序という名の闇に翼を広げ始めた、復讐の戦士の雛だった。
えー
カクヨムの方の自主企画がとてつもなく忙しくて更新を怠っていました……
楽しみにしていた方々、本当にすみません<(_ _)>




