『夢操の檻』 第三部:剥がれ落ちる福音
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どうぞ物語をお楽しみください
1. 楽園の残響
リナとの「約束」を交わした翌日から、アキトの見る世界は、さらに鮮やかな色彩を帯びたように見えた。
朝、市民寮の窓を開ければ、ホログラムの小鳥が完璧なピッチで歌い、街路樹は常に最も美しい緑を湛えている。
リナが用意してくれる朝食は温かく、彼女の「おはよう、アキト」という声は、かつて荒野で凍え死にかけていた自分の魂を、一滴ずつ蘇らせていく聖水のようだった。
「アキト、今日は西区の広場へ行きましょう。新しい移住者が来たから、その人たちの『夢』を記録するの」
リナに促され、アキトは調査記録用のタブレットを手に取った。
仕事は単調だったが、アキトにとってはリナの横顔を眺めるための正当な口実だった。
西区の広場には、アキトと同じように荒野を彷徨っていたところを救出されたばかりの、痩せこけた人々が集まっていた。
彼らは一様に、泥を落とし、清潔な服を与えられ、呆然とした表情で街のビル群を見上げている。
「お名前は?」
リナが優しく、聖母のような笑みを浮かべて一人の中年男性に問いかける。
「……カイル。カイルだ。ここは……天国なのか?」
「いいえ、カイルさん。ここはあなたの『夢』を育てる場所よ。あなたの、一番の願いを教えてくれる?」
カイルと呼ばれた男は、濁った瞳を泳がせ、やがて絞り出すように言った。
「……娘に。死んだ娘に、もう一度だけ会いたい。あの子が笑っている顔が見たいんだ」
アキトの胸が締め付けられた。
それはあまりに切実で、人間らしい「夢」だった。
しかし、その瞬間のリナの指の動きを、アキトは見逃さなかった。
彼女はタブレットの画面を数回、無機質にタップした。
そこには「エラー:過去への過度な執着。修正推奨」という文字が、一瞬だけ踊ったような気がした。
「素敵な夢ね、カイルさん」
リナは顔を上げ、先ほどと一分たりとも変わらない角度の笑顔で言った。
「でもね、過去を振り返るよりも、これからは『街の未来』のために、新しい娘さんを育てるような気持ちで働くのはどうかしら? その方が、きっとあなたも幸せになれるわ」
カイルは数秒間、虚空を見つめていた。その瞳の奥で、何かが死に、何かが新しく芽生えるような、奇妙な静寂が流れた。
「……ああ。そうだな。街の未来。それが、俺の夢だ」
「じゃあ少し治療があるから地下の医療所へ行ってね」
カイルの声から、先ほどの熱が消えていた。まるで、誰か別の人間が喋っているような、平坦な響き。
カイルは衛兵に連れられフラフラと地下へと降りていった。
アキトは背筋に、微かな冷気を覚えていた。
1. 真夜中のノイズ
その夜。
アキトは深い眠りの中にいたが、耳元で響く「キィィィィン」という高い金属音で目を覚ました。
耳鳴りではない。
壁の向こう側、あるいはこの街の深部から響いてくるような、不快な電子音。
隣のベッドを見れば、リナが横たわっている。
寮の個室が足りないという理由で、二人はこの数日、同じ部屋で夜を過ごしていた。
アキトは彼女の寝顔を確認しようと、暗闇の中で顔を寄せた。
「……リナ?」
返事はない。だが、リナの様子がおかしかった。
彼女のまぶたが、痙攣するように細かく震えている。
そして、その薄い皮膚の下で、瞳が異常な速度で左右に動いていた。
「……更新……。セクター7……同調率、九十八パーセント……。夢操……安定……」
彼女の唇から零れたのは、愛を囁く昨夜の言葉ではなかった。
それは、意味を持たない記号の羅列。
アキトは恐る恐る、彼女の手を握った。
「冷たい……」
昨夜、あれほど温かかった彼女の手は、まるで深海の底に沈んでいた石のように冷え切っていた。
その時、リナの瞳がカッと見開かれた。
焦点は合っていない。瞳孔は最大まで開かれ、その奥に、微かな青い光の点が点滅している。
――あの色。
アキトの脳裏に、昼間見上げたニューシティーの天井がよぎった。
巨大なドームスクリーンに映し出される、完璧で、どこか不自然な「蒼い空」。
本物の空を知らない人たちですら、一目でつくられた偽物だと悟ってしまうような、冷たく澄み切ったあの人工の色彩。
それと同じ異物感が、目の前で横たわる彼女の瞳の奥で明滅している。
人間の肉体から発せられるはずのないその光彩に、アキトは生理的な悪寒を覚えた。
「アキト……? どうしたの……? こんな時間に……」
リナの声が、一瞬で「彼女」のものに戻る。
瞳の光は消え、握った手にも、急速に熱が戻っていく。
まるで今見たものがすべて見誤りだったかのように、完璧な「人間」の顔に戻った彼女。
追いつかない思考と、急速に高鳴る鼓動。
問い詰めるべきか?
いや、もし聞き捨てならない事実を口にされたら、この穏やかな時間が壊れてしまうのではないか――アキトの心は激しく揺れ動いた。
「……嫌な夢でも見た?」
彼女は心配そうにアキトの頬を撫でた。
その指先は、今はもう、アキトが恋したあの柔らかい温もりに満ちている。
自分を愛おしそうに見つめるこの眼差しも、温かい指先も、すべて真実に見える。
だが、先ほど聞いた機械的な呟きと、暗闇に明滅した冷たい光は、昼間のドームスクリーンのように「作られた偽物」の影を纏っていた。
疑いたくないという願望と、目の当たりにした異物感の間で、アキトの葛藤は深まっていく。
「いや……なんでもない。リナ、君こそ大丈夫か?」
「ええ。とっても幸せな夢を見ていたわ。あなたと、ずっとこの街で暮らしている夢。……おやすみなさい、アキト」
彼女は再び目を閉じ、穏やかな呼吸を始めた。
アキトは、自分の心臓が早鐘を打っているのを感じながら、彼女から距離を置いた。
あの青い光。
あの無機質な呟き。 自分が愛しているこの少女は、一体、何なのだ?
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
ついに第3部に突入し、楽園の不気味な裏側が見えてきました……。
アキトのこれからの運命や、リナの正体が少しでも気になった方は、ぜひ画面下の【★】や【ブックマーク】、【ハート】をポチッと押していただけると励みになります!
▼次回予告
次回『3. 深淵への階段』
明日の【9時】頃に更新予定です。お楽しみに!




