『夢操の檻』カナン編 第1章:通信 ―「三か月後、全同志はカナンに集結せよ」
物語は最終局面へ。ユーリとアキトの夢は交差しぶつかる。
1.島を取り巻く確かな熱気
島を包む朝霧は、どこか湿った沈黙を孕んでいた。 かつて三十八名いたはずの同胞たちは、過酷な逃走劇と潜伏生活の中で、今や二十九名までその数を減らしている。
九名の仲間を喪ったという事実は、残された者たちの胸に、泥のような悔しさを沈殿させていた。
砂浜に突き立てられた九本の木杭が、急造の墓標として朝露に濡れている。
ユーリは一人、その前に立っていた分隊長のころであれば、銀の燭台と大聖堂の鐘の音が彼らを見送っただろう。
だが今、九人の魂を弔うのは、夜明け前の冷たい海風と、仲間の啜り泣きだけだった。
ユーリは震える指先で、彼らの身に着けていた装備を一つずつ撫でる。
「……ごめん」
言葉は形にならず、霧の中に溶けて消えた。
テントに戻ったユーリは、習慣だけに従って煤けた小鍋で湯を沸かす。ここで淹れた合成紅茶からは、ニューシティーで嗅いだような華やかな香りはしなかった。
それでも、熱い蒸気が顔を包む瞬間だけ、彼は「親友を殺した分隊長」でも「味方を見捨てた軽装兵」でもない、ただの傷ついた青年に戻ることができた。
一口含んだ液体の熱が、凍りついた喉の奥をゆっくりと溶かしていく。
(……ああ、あいつもこの苦い茶を、美味いと言って笑っていたな)
脳裏に浮かぶのは、戦火に散った仲間たちの、なんてことのない日常の顔だった。
テントから出て、波打ち際に腰を下ろし、アキトがかつて愛用していたナイフの刃先を眺めていた。アキトとはどのような少年なのか。一つの進展も無いまま、打ち寄せる波の音だけが無情に時が過ぎていることを告げていた。
「……いつまで、ここで待っていればいいんだろうな」
独り言は潮風にかき消される。新政府という巨大な怪物の足音に怯え、息を潜めて生きる日々。
気晴らしと言えば、資源を補給するためにたまに攻める小さなニューシティーでの攻防くらいか?
それすらも親友の死というトラウマを経験した今、避けるようにしている。
その停滞を打ち破る「何か」を、渇望していた。
2.約束の地へ
真昼の昼下がり、キャンプの中央、錆びついた機材が並ぶ広場で、その「何か」は唐突に産声を上げた。
広域無線機――。
旧政府軍の遺物であり、ここ数ヶ月は砂嵐のようなノイズを吐き出すだけの鉄屑に過ぎなかったそれが、突如として明確な意思を持って震え始めたのだ。
ジ、ジジッ、という激しい電気音の後に、スピーカーから溢れ出してきたのは、重厚で、聞いたことのない男の声だった。
「全世界の旧政府同志に次ぐ。――先日、我々の同志の一人が、ついに敵の本拠点『カナン』の位置を特定した。本部は攻略の準備を着々と進めている。」
その場にいた全員の動きが、目に見えない力に縛られたかのように止まった。
薪を割っていたジンの手が止まり、銃の手入れをしていたミナが顔を上げ、ハルとエレナがテントから飛び出してくる。
島にいた二十九名の耳が、一点、スピーカーへと釘付けになった。
「三ヵ月後の今日、我々は総力を挙げ、全方位よりカナンを攻め落とす。同志諸君、その日の前日になったら、ニューソウル跡地にて集結せよ。繰り返す――――」
次の瞬間、島を支配していた停滞感は、爆発的な熱狂によって吹き飛ばされた。
「……カナンを……叩く。あの傲慢な連中の首を掴めるってわけだ!」
ジンの咆哮に似た叫びが響き渡る。
ハルは誇らしげに胸をそらしている。いつの間に本部へカナンの発見を報告したんだ?ユーリの全身を、電撃のような高揚感が駆け抜けた。
カナン――。
そこはアキトが連れ去られたであろう敵の大本営。
そこを叩くということは、仲間を殺した復讐ができる。
そして、アキトを救い出すための唯一にして最大のチャンスが訪れたことを意味していた。
「最高じゃない……。ただの籠城はもう飽き飽きだったのよ」
エレナが不敵な笑みを浮かべ、傍らのハルと強く拳を突き合わせる。これまでの防戦一方だった日々が、一瞬にして「反撃のカウントダウン」へと塗り替えられた。
新政府の本拠地を潰せる。
その事実は、兵士たちの心にこれ以上ない火を灯した。
「ユーリ! 今の聞いた!? 三ヵ月後。あのアキトを、私たちの手で奪い返しに行けるのよ!」
リナが顔を輝かせて駆け寄ってくる。
ユーリもまた、力強く頷いた。胸の奥で、冷えていた血が急速に沸き立っていくのを感じる。あの日、目の前で失った仲間の無念。彼らの墓標に捧げるべきは、哀悼の祈りではなく、復讐の報告であるべきだ。
「……ああ。行こう、みんなで」
「――ウルにて終結せよ。以上だ。全同志よ、健闘を祈る。」
その日の午後から、強大な敵の影におびえ、味方を失った悲しみに打ちひしがれる兵士たちの瞳に夢が灯った。
島は、かつてないほどの活気に満ち溢れている。
ただ生き延びるための訓練ではなく、敵を確実に屠り、友を救い出すための実戦的な鍛錬が始まったのだ。
広場では、ジンが中心となって古い地図を広げ、戦術の再確認が行われている。
訓練場からは、標的を貫く銃声が絶え間なく響き、浜辺では重い装備を背負った兵士たちが砂を蹴って走り込んでいる。
二十九名。数だけで見れば、無謀な少人数かもしれない。
だが、世界には何万もの同志が夢を持ち日々鍛錬している。
その一人一人が背負っているのは、死者の遺志と、奪われた明日を取り戻そうとする強固な決意だ。
ユーリもまた、愛用の銃を手に取り、慣れ親しんだ森へと向かった。
三ヵ月。
それが自分たちに与えられた最後の猶予であり、地獄の門を叩くための準備期間だ。
アキトを助けるため、そしてレオンという裏切りに決着をつけるため。
太陽が水平線へと傾き、島を朱色に染め上げていく。
しかし、その夕陽はもはや終焉の象徴ではなかった。次に昇る朝日は、勝利へと続く道筋を照らす光になる。
「九人の仇も、アキトの救出も、全部僕たちが成し遂げてみせる」
ユーリの誓いは、激しさを増す仲間たちの訓練の声にかき消され、しかし確かに島の大地に刻み込まれた。
三ヵ月後、世界は変わる。
世界の戦士たちは、自らの手で運命を切り拓くために、一歩、また一歩と、決戦の地ニューソウルへの歩みを進め始めた。
『決意の朝と、開戦のノイズ』をご覧いただきありがとうございました!
故郷ニューシティーでの過酷な撤退劇を経て、9名もの仲間と親友を失ったユーリ。
砂浜に並ぶ木杭と、冷えた合成紅茶。自分が侵略の扉を開けてしまった罪悪感とトラウマに苛まれ、ただ停滞する日々に耐えることしかできませんでした。
しかし、広場に置かれた錆びついた無線機から流れたのは、世界を変える一報――。
敵の本拠点「カナン」の特定、そして「3ヶ月後の全軍総力戦」。
復讐か、救出か。壊れかけた心に灯った復讐の火を胸に、29名の生き残りとユーリは再び立ち上がります。
絶望の淵から最終決戦へと物語が大きく動き出す『夢操の檻』。
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