『夢操の檻』 ユーリ編 第6章:砕かれた鏡、泥濘の洗礼 第2話
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1.逆転の正義、崩れる矜持
その日は、あまりにも唐突に、そして決定的な重さを持ってやってきた。
「最寄りのニューシティーから、食料と医療物資を奪取する。陽動部隊が正面の注意を引いている隙に、輸送班を護衛し、物資庫から強行搬出する。――各自、命を賭して役目を全うせよ」
旧政府軍の撤退計画が本格化する中、潜伏地を満たしていたのは、飢えと病による死の気配だった。絶対的に不足している物資を補うため、下された決断は、近隣の小規模なニューシティーへの攻略作戦。
ユーリもまた、重いライフルを肩にかけ、一人の兵士としてその列に加わっていた。
(……皮肉なものだな)
ユーリは自嘲気味に息を吐き出した。
つい一ヶ月前まで、彼はあの白亜の壁の内側から「外敵」を排除する側にいたのだ。無機質なコンクリートと冷徹な法秩序に守られ、壁の外を這い回る人々を「害獣」と見下していた。それが今や、壁の泥を這いずり、仲間の命を繋ぐためにその壁を穿とうとしている。
作戦は、夜陰に乗じて開始された。
ニューシティーの境界線。
そびえ立つ高壁の上からは、幾条ものサーチライトが冷酷に夜闇を切り裂き、その下を、一切の感情を排したEINが音もなく巡回している。
かつてのユーリにとって、この光景は揺るぎない「平和の象徴」であり、何者にも侵されてはならない安寧の証だった。
しかし、泥にまみれた外側から見上げるその壁は、あまりにも冷酷で、一切の対話と慈悲を拒絶する「巨大な監獄の城壁」にしか見えなかった。
「……行くぞ。各自、遅れるな」
通信機から響くジンの低く冷徹な合図と同時に、街の東側で凄まじい爆発音が轟いた。夜空が赤く染まり、サイレンがけたたましく鳴り響く。陽動部隊が仕掛けたのだ。
「走れ!」
ユーリは荒い呼吸を殺し、冷たい夜気を肺腑に送り込みながら、泥を蹴って物資集積所へと駆け出した。暗闇に染まった世界が激しく揺れる。
電子ロックを強引に解除し、物資庫の重い扉をこじ開けた、その時だった。
「だ、誰も動くな……!」
遮光カーテンの隙間から差し込む非常灯の赤い光の中に、一人の若い守備兵が立っていた。
かつての自分と全く同じ、汚れなき純白と黄金の刺繍の制服。小刻みに震える手でアサルトライフルを構えるその少年の瞳には、恐怖を押し殺すような、あまりにも純粋で、狂信的とも言える「正義感」が宿っていた。
「反乱軍のネズミめ……! この、みんなが暮らす平和を、これ以上壊させてたまるか!」
守備兵の指が、迷いながらも引き金にかかる。
一瞬の躊躇。だが、その躊躇は戦場では死を意味する。ユーリの身体は、思考よりも早く動いていた。腰のハンドガンを抜き、銃口を固定する。
――乾いた銃声が、閉ざされた物資庫に響き渡った。
守備兵の右肩が弾け、鮮血が白い制服を赤く染める。少年は短い悲鳴を上げ、その場に力なく崩れ落ちた。銃が床を転がり、虚しい金属音を立てる。
「……っ、う、ああ……、はぁ、はぁ……っ」
呻き声を上げ、傷口を抑えてのたうち回る守備兵。
ユーリは、自らの中に湧き上がった言い知れぬ衝動に突き動かされ、駆け寄っていた。
トドメを刺すためではない。その傷口から溢れる赤が、あまりにも眩しく、そして生々しかったからだ。ただ、放っておけなかった。
「……しっかりしろ! 弾は骨を外れている、傷は浅い! 動くな、今止血する!」
ユーリは膝をつき、ベストから止血帯を引き抜いて叫んだ。だが、守備兵は激痛に顔を歪めながらも、涙と汗に濡れた瞳にこれ以上ないほどの「憎悪」をたぎらせ、ユーリを睨みつけた。
「触るな……裏切り者め……!」
守備兵の視線が、ユーリが身にまとっている薄汚れた制服に止まる。
「その制服……お前、元は『新政府』の人間だろう……。なぜだ……なぜ正義を捨てて、あんな薄汚い野良犬どもに成り下がった……。俺たちは……俺たちは間違っていない……。世界を救って、守っているんだぞ……!」
「……っ」
ユーリの指先が、凍りついたように止まった。
その言葉は、鋭い刃となってユーリの胸を正確に貫いた。
それは、鏡合わせの過去の自分からの、容赦のない糾弾だった。
かつて自分が何一つ疑わずに口にしていた、絶対的な正義。
それを今も盲信し、世界の美しさを信じて疑わない若者が、自分の手によって血を流して倒れている。
かつての自分が、壁の外で抗う旧政府軍を「平和を脅かす悪」と一方的に断罪していたように、今、この眼前の少年は、自分を「秩序を破壊する絶対的な悪」として、心底から軽蔑し、憎んでいる。
ユーリは震える手で、無理やり少年の傷口に止血帯を巻きつけ、きつく締め上げた。少年の短い悲鳴が響く。
「……間違っているのは、君じゃない」
ユーリは、掠れた声で、自分自身に言い聞かせるように呟いた。
「君にその、都合のいい綺麗な夢だけを見せ、外側の犠牲の上に成り立っているシステムが間違っているんだ。だが……君を撃った僕に、それを言う資格はないな」
その瞬間、背筋にぞっとするような冷たい視線が突き刺さる感覚を覚えた。
今の自分は、一体何なのだ。
新政府にとっては、恩を仇で返した忌むべき「裏切り者」。
旧政府軍にとっては、かつて同胞を殺戮し、今は便宜上利用しているだけの「元敵兵」。
どちらの正義にも居場所を見出せず、ただ生き延びるために引き金を引き続ける、魂の彷徨える抜け殻に過ぎないのではないか。
これではムソウと大差ないじゃないか。
「ユーリ! 撤退だ! 何をもたついている、EINの増援が来るぞ!」
背後から響いたジンの怒号が、ユーリの思考を強引に引き剥がした。
物資を抱えた仲間たちが、次々と夜の闇、崩壊した壁の外へと消えていく。
「……ごめん」
ユーリはそう一言残し、弾かれたように立ち上がった。
駆け出す瞬間、彼は最後に一度だけ、冷たい床に倒れたまま、憎悪の瞳で自分を凝視し続ける守備兵を振り返った。
赤い非常灯に照らされたその少年の瞳に映る自分は――。
かつて自分が最も恐れ、排除すべきだと信じて疑わなかった、「平和を乱し、日常を破壊する残虐な怪物」そのものだった。
『逆転の正義、崩れる矜持』をご覧いただきありがとうございました!
旧政府軍に身を投じたユーリに、最初の「泥濘の洗礼」が襲いかかります。
生き延びるため、仲間の命を繋ぐために挑んだ物資奪取作戦。そこでユーリが銃を向けたのは、かつての自分と全く同じ、汚れなき正義を信じて疑わない新政府の若い守備兵でした。
守備兵が放った「なぜ正義を捨てて、あんな薄汚い野良犬どもに成り下がった」という叫びは、そのまま過去の自分からの容赦のない糾弾となってユーリに突き刺さります。
自分を「平和を乱す残虐な怪物」として凝視する少年の瞳。
新政府からは「裏切り者」と蔑まれ、旧政府軍のなかでもまだ完全に居場所を見出せないユーリ。どちらの正義にも立てず、ただ引き金を引き続ける自分は、あの自我を奪われた「ムソウ」と何が違うのか……。
泥を這う覚悟を決めたユーリの前に立ちはだかる、あまりにも重い現実。この傷だらけの魂が、ここからどのようにして「アキト」という存在へと繋がっていくのか、今後の展開もぜひ見守っていただけると嬉しいです!
「ユーリの葛藤が痛々しすぎて最高」「鏡合わせの演出にゾクゾクした!」と思ってくださった方は、ぜひ【ブックマーク】や【星評価★★★★★】で応援をよろしくお願いいたします!次回もお楽しみに!




