『夢操の檻』 新政府軍 第2章:無知なる聖者と、灰色の温もり 第3話
カクヨムでも重複投稿しています
物語をお楽しみください
4. 恐るべき「救済」
抵抗する力を持たない女や子供たちが、広場の中央に集められた。 先ほどまで温かい笑顔が溢れていたその場所は、血と泥と涙に塗れていた。
頭から血を流して倒れている夫にすがりつき、母親が狂乱したように泣き叫んでいる。
「あなた! 目を開けて、あなたっ!!」
「……対象へ『夢』の付与を開始」
シルヴィアがデータパッドを操作すると、三機のEINが、泣き叫ぶ人々の背後に音もなく忍び寄った。 その指先から、細く鋭い注射針が伸びる。
「やめて……やめっ……」
EINの冷たい手が母親の首筋を掴み、薬液を無慈悲に注入した。
その瞬間だった。 ユーリの目の前で、背筋が凍るような光景が繰り広げられた。
夫の死体を抱きしめ、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んでいた母親の顔から、ふっと「感情」が抜け落ちたのだ。 痙攣が止まり、流れていた涙がピタリと止まる。 そして、血だらけの夫の死体を腕に抱いたまま、彼女の口角がゆっくりと、不気味なほど左右対称に吊り上がった。
「ああ……」 母親は、淀んだ空を見上げ、恍惚とした声で呟いた。 「なんて……美しい空。今日は、とてもいい天気ですね」
隣で怯えていた少女にも、注射が打たれる。 少女もまた、先ほどまで泣きじゃくっていたのが嘘のように、空虚な微笑みを浮かべた。
「ええ、お母さん。パンもこんなにたくさんあって、私たち、幸せね」
彼女たちの目の前には、血の海と燃え盛る小屋しかない。 だが、彼女たちの脳内では今、新政府が用意した「永遠に続く平和で豊かな夢」が再生されているのだ。
現実の地獄を完全に遮断し、与えられた幻覚の中だけで生きる人形。
「……処理、完了しました。彼女らは今、永遠の幸福を手に入れました」
シルヴィアが、何の感情も交えずに報告する。
ユーリは、立ち尽くしていた。 足の先から冷水に浸かったような、得体の知れない悪寒が全身を駆け巡っている。
そうだ、旧政府の人々を自分の命で静粛したのはこれが初めて。現実の残酷さを初めて知った。
これが、救済なのか。 つい数分前まで、貧しいながらもパンを分け合い、確かな温もりを持って笑い合っていた彼らの心を、薬物で強制的に塗り潰すことが。
現実の悲惨さから目を逸らさせ、幻覚の中で笑わせ続けることが、本当に彼らを「救った」ことになるのか。
「……よく、やった。これで、彼らも……旧政府の暴力から、解放された……」
ユーリは、必死に自分の喉からその言葉を絞り出した。
そう言わなければ、自分が今犯した行いの恐ろしさに、心が押し潰されてしまいそうだったからだ。
足元では、夫の血溜まりの中に座り込んだ母親が、虚空を見つめて幸せそうに笑い続けている。
ユーリは胃の奥から込み上げてくる吐き気を必死に飲み込み、逃げるように装甲車へと背を向けた。
彼の信じていた「白き正義」に、拭い去ることのできない、どす黒い染みが落ちた瞬間だった。
『恐るべき「救済」』をご覧いただきありがとうございました!
新政府の言う「救済」の恐ろしい正体が、ついにユーリの目の前で執行されてしまいました……。
目の前で家族を奪われ、絶望の底で泣き叫んでいた人々が、EINの手によってシステムを注入された瞬間、感情を失い、不気味なほど完璧な笑顔を浮かべて偽りの幸福を語り出す。現実の血の海を脳内で「豊かなパンと美しい空」に上書きされて生きる姿は、まさに新政府が作り上げた「幸福な人形」そのものです。
初めて現実の過酷さと、自分たちが執行している「正義」のグロテスクさを突きつけられたユーリ。胃の奥から込み上げる吐き気を必死に飲み込みながら、「これは正義だ」と言い聞かせなければ精神が崩壊してしまうほど、彼の信じていた世界はメリメリと音を立てて壊れ始めています。
貧しくても確かな温もりがあった笑顔を、薬物と幻覚で塗り潰すことは本当に救いなのか? ユーリの心に落ちたどす黒い染みは、ここから彼をどこへ導くのか。
「このディストピアの描写、容赦なさすぎて最高」「ユーリの心が壊れていくのが本当に辛いけど目が離せない……!」と思ってくださった方は、ぜひ【ブックマーク】や【星評価★★★★★】で応援していただけると、今後の執筆の大きなエネルギーになります!
次回、帰還したユーリを待つものとは──。お楽しみに!




