『夢操の檻』 第十部:残光の空、泥の地
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1. 鋼の壁の崩壊
続々と兵たちが戻ってくる。軽装兵はもともとの数が多いせいか、どれほど減ったのか一見しただけでは分からない。だが、盾となって最前線にいた重装兵の数は、誰の目にも明らかなほど激減していた。戻ってきたのは、ほんの一握りの影だ。
その中に、見覚えのある巨体を見つけた。カイトだ。 「カイト! 無事だったのか!」 外傷らしい傷は見当たらない。アキトは安堵し、名前を呼びながら駆け寄った。だが、振り向いたカイトの顔を見て、アキトは喉を詰まらせた。
そこにあるはずの両目が、なかった。
「……アキトか? 無事かよ、ガキ」 カイトは焦点の合わない、抉り取られたような眼窩を向けたまま、強がって笑おうとしていた。アキトは言葉を失い、ただ「……ああ、生きてるよ。よく戻ったな」と震える声で慰めるのが精一杯だった。そっとその場を離れるアキトの胸を、戦場の冷酷な真実が締め付ける。
「撤退だ! 急げ!」 通信兵の叫び声が響く。近隣の二つのニューシティーから、新政府の増援が向かっているという。要塞の外では、いまだに銃声が鳴り止まない。敵の主力がここに到達するまで、もう猶予はなかった。
2. 切り捨てられる選択
ヘリが点々と飛び立ち始めた。その数が増えるたび、即席の要塞を形作っていた「壁」に大きな切れ目ができる。残される時間が長くなるほど、生還の可能性はゼロに近づいていく。アキトは痛む足を引きずりながら、自分のヘリへと駆け戻った。
機内には、ミナ以外の全員が揃っていた。 両目を潰されたカイトが苦痛に喘ぎ、ジンはこの数十分の間で十歳は老け込んだかのような生気のない顔をしている。マリアは虚無を湛えた目で負傷者を見つめ、ハルは冷徹なほど無表情にパソコンのキーを叩き続けていた。
「……何だよ、それ」 アキトは、黙々と作業を続けるハルに一瞬苛立ちを覚えた。仲間が死に、カイトが目を失ったというのに、機械のようにデータを処理するその姿が人間離れして見えた。 エレナは故障した武器や奪った敵の獲物を無心にいじり、次の戦いに備えている。レオンはかすり傷とあざを負っていたが、その身のこなしに疲労の色は見えなかった。
「レオン、ミナがまだだ! 待ってくれ!」 「……もう限界だ。離陸しろ」 「待てよ! ミナを置いていくのか!?」
激昂して掴みかかったアキトの胸ぐらを、レオンは表情一つ変えずに、鉄の力で引き剥がした。その瞳には、ヘリの機内で見せたあの人間らしい温もりなど、微塵も残っていなかった。
「一人のために全員を殺す気か。……お前をここまで連れてきたのは、ここで無駄死にさせるためじゃない。座れ、器」
その氷のような声に、アキトは全身の血が凍るのを感じた。
「もう無理だ、飛ぶぞ!!」 パイロットの悲鳴に近い叫びと共に、機体がゆっくりと浮上し始めた。 アキトは拳を握りしめ、涙を堪えてミナに心の中で謝った。ここは戦場だ。一人のわがままは許されない。
3. 最後の一手、最後の救い
その時、地上の混沌の中から叫び声が聞こえた。
「……ミナ!!」
二百メートル、百五十メートル、百メートル。泥を蹴り、瓦礫を飛び越え、血塗れの少女がこちらへ向かって全速力で駆けてくる。
「跳べ!!」
アキトはハッチから身を乗り出し、精一杯手を伸ばした。ミナが地面を蹴り、宙を舞う。 その手を掴んだ瞬間、強烈な重力にアキトの体が外へ引きずり出されそうになった。
「――落ちるッ!」 絶叫したアキトの足首を、力強い掌が掴んだ。 横たわっていた負傷した重装兵だった。彼はもう助からないほどの重傷を負いながらも、最期の力を振り絞ってアキトを支えてくれたのだ。
「……助かった、ありがとう!」 アキトが必死にミナを機内へ引き上げ、重装兵に礼を言う。 兵士は血の混じった泡を吹きながら、かすかな、けれど満足げな声を絞り出した。 「……こんな俺でも、……最後は……人助けできて、良かった……」 その言葉を最後に、彼は静かに、こと切れた。
アキトは、その温もりを失っていく無骨な手を握り締めながら、心のどこかで、人間とはなんと脆い生き物なのだろう、と感じていた。あんなに頑強で、自分を引っ張り上げてくれた大きな身体の命が、たったのひと言で、ガラス細工のように簡単に砕け散ってしまう。
4. 汚れし地、美しき空
ヘリが高度を上げると同時に、空が牙を剥いた。 撤退を開始した機体に向けて、敵の熾烈な最後の一撃が放たれる。 「一機、落ちた!」「三号機、爆散!!」 パイロットを失い、制御不能になったヘリを必死に操ろうとする仲間たちが、次々と火球となって散っていく。一息ついたはずのヘリが空中で衝突し合い、真っ逆さまに落ちていく光景を、アキトは呆然と見つめていた。
見上げれば、空はどこまでも高く、澄み切って美しかった。 見下ろせば、地面は血と泥と鉄屑に汚れ、無惨に爛れていた。
ニューマザーズは、すでに点ほどの大きさにまで遠ざかっていた。 海に浮かぶ円形のドームが陽光を反射して輝くその姿は、あの日ビルから見上げた「ニューソウル」の偽りの楽園にそっくりだった。
「……おい」 沈黙を破ったのは、盲目のカイトだった。彼は顔に巻いた包帯から血を滲ませながら、皮肉たっぷりの笑みを浮かべて言った。
「どうだ、アキト? 死ぬ気で戦い抜いた後の景色はよ。……空も海も、吐き気がするほど『奇麗』に見えるだろう?」
その残酷なほど真っ当な皮肉に、ヘリの中にいた全員が、疲れ切った乾いた笑い声を漏らした。 それは勝利の歓喜でも、敗北の嘆きでもない。 ただ、地獄を生き延びた者だけが共有できる、空虚な共鳴だった。
ご覧いただきありがとうございました。
海上都市『ニューマザーズ』電撃戦、激動の撤退編(第十部)となりました。
戻ってきた重装兵の激減、そして何より、アキトをこれまで指導してくれたカイトが「両目を失う」というあまりにも凄惨な現実。戦場の冷酷さをこれでもかとアキトの視点から描きました。
タイムリミットが迫る中、ミナを置いていこうとするレオンの冷徹な決断と、それに抗うアキト。ギリギリでのミナの救出劇と、最期の力を振り絞ってアキトを支え、「最後に人助けができて良かった」と血の泡を吹いて逝った名もなき重装兵の引き際など、命の灯火が次々と消えていくヘリの内部の空気感には、特に魂を込めて執筆いたしました。
燃え盛る要塞を見下ろしながら、盲目のカイトが放った「吐き気がするほど奇麗に見えるだろう?」という強烈な皮肉。勝利でも敗北でもない、ただ生き残ってしまった者たちの『空虚な乾いた笑い』の余韻を感じていただければ幸いです。
「カイトの姿に絶望した……」「重装兵の最期がカッコよすぎる」と思ってくださった方は、ぜひ下方の【ブックマーク】や【評価(☆☆☆☆☆→★★★★★)】をポチッと押して応援していただけると、このまま怒涛の第11部へと突入する凄まじい執筆のエネルギーになります!
地獄を生き延びた彼らを待つ、次なる大局。第十一部もどうぞお楽しみに!




