『夢操の檻』 第五部:灰の目覚めと鋼の沈黙
カクヨムでも重複投稿しています
物語をお楽しみください
1. 涙の枯れ果てた果てに
意識が戻ったとき、アキトを包んでいたのは、清潔なシーツの香りではなく、鼻を突くような油の臭いと、湿ったコンクリートの冷気だった。
背中に感じるのは、スプリングが剥き出しになった粗末なベッドの感触。 アキトは目を開けなかった。開けられなかった。 まぶたの裏には、鮮明すぎるほど「彼女」の最期が焼き付いていた。下半身を失い、銀色の液と赤い血を流しながら、自分を守れなかったと謝ったリナ。
(……ああ、ああああああ!)
言葉にならない絶叫が、喉の奥で塊となった。 アキトは枕に顔を押し付け、叫んだ。心臓が握りつぶされるような痛みにのた打ち回り、ただひたすらに泣いた。どれほどの時間が過ぎたのか。流れる涙はシーツを黒く汚し、やがて熱を失っていく。
ついに、涙が出なくなった。 水分を絞り尽くした眼球がひりひりと痛み、喉は砂漠のように乾ききっている。 それでもアキトは、無理やり涙を絞り出そうと、体を痙攣させた。泣いていなければ、その瞬間に心が粉々に砕けて散ってしまうと確信していたからだ。 「……っ、……ぁ……」 乾いた喘ぎだけが、無機質な部屋に響く。 もう、悲鳴を上げる力さえ残っていなかった。
その時だ。 部屋の隅、濃い影が落ちる場所に、誰かが座っていることに気づいた。
「……気が済んだか。泣き喚く体力があるなら、まだ死ぬ心配はなさそうだな」
低く、けれどどこか透き通った声。 アキトは重い首を動かし、影を見つめた。 そこには、青い戦闘服を纏った一人の男が座っていた。壁にもたれかかり、組んだ腕の隙間からアキトを静かに見据えている。その手首には、古びた幾何学模様の刺繍が入ったハンドバンドが巻かれていた。
「……あんたは……」 「お前をあの独房から引きずり出した男だ」
男は立ち上がり、ゆっくりと光の下へ歩み寄った。 鋭い眼差し。整った顔立ちは冷徹な美しさを湛えているが、その瞳の奥には、簡単に人を踏みにじれるような「覚悟」が宿っていた。
2. 塗り替えられた「世界」
男はアキトに冷めた水を差し出した。 アキトはそれを奪い取るように飲み干し、掠れた声で言った。 「……ここはどこだ。あいつらは……リナは、どこにやった」
男は答えなかった。代わりに、壁のスイッチを押し、空中にホログラムの地図を投影した。 そこには、荒廃した世界の中に点在する、光り輝く都市群が映し出されていた。
「ここは旧政府のキャンプだ。そして、お前がいたニューソウル……それを含む総称『ニューシティー』は、この世界の癌細胞だ」
男の声には、感情が削ぎ落とされていた。 「テロによって世界が崩壊したとき、すべてが死んだわけじゃなかった。俺のように意識を亡くさずに生き残った人間がいた。だが、その中でも最悪の『悪い夢』に取り憑かれた者たちが、新政府を名乗った」
「悪い夢……?」
「支配欲、独占欲、他者の尊厳を弄ぶ歪んだエゴだ。奴らは、夢を失った哀れな人間に、人工的な夢を植え付け、思考を停止させ、自分たちの道具として扱う術を編み出した。それが、お前が愛した街の正体だ」
男は地図の一点を指差した。 「奴らは、操り人形にされた人々を『夢操』と呼ぶ。兵士も、店員も、そしてお前の案内係だったあの少女も。全員が新政府のシステムに組み込まれた『生体部品』に過ぎない」
アキトの頭の中で、リナの笑顔がフラッシュバックする。あの完璧な笑顔、あの温もり……それがすべて、誰かの「悪い夢」を維持するためのプログラムだったというのか。
「……お前は見張られていたんだよ、アキト」 男の言葉に、アキトは息を呑んだ。
「お前は外の世界で目覚めた時、自分の夢が何なのか自覚していなかった。だが、お前は明らかに目覚めた者。我々旧政府は、お前を回収したかったが、あいにく近くにはニューソウルがあった。下手に手を出して、お前を『ムソウ』に書き換えられることを恐れ、監視を続けていたんだ」
「監視……? じゃあ、僕があの街で幸せだったときも、リナと過ごしていたときも、あんたたちは見ていたっていうのか!」
「ああ。お前が裏切られ、牢屋に入れられた時、我々は確信した。お前は、絶望の中でも自分を失わない『良い夢』の持ち主だと。だから救出作戦を決行した」
3. 殺意という名の共鳴
アキトの心の中で、何かが音を立てて爆発した。 悲しみは、猛烈な勢いで黒い怒りへと変質していく。
「救出だと……? ふざけるな!」 アキトはベッドから飛び出し、男の胸ぐらを掴んだ。 「あんたたちは、リナを殺した! 操られていただけの人たちを、兵士じゃない人たちまで、虐殺したじゃないか! 彼女は……リナは、最後に僕を助けようとしたんだ! それを……!」
アキトは再び泣き出した。 今度は、自分を裏切った世界への怒りと、守れなかった無力さへの叫びだった。 掴んだ男の服が、アキトの涙で濡れていく。
男は抵抗しなかった。突き放すこともしなかった。 ただ、アキトの気が済むまで、その激情を正面から受け止めていた。
「……あんたたちは、何とも思わないのか? 操られているだけの、哀れな人たちを殺して……心が痛まないのかよ!」
男は、ゆっくりとうつむいた。 その瞬間、アキトは見てしまった。 男の瞳が微かに潤み、唇が苦しげに震えているのを。
彼は泣いていた。 声も出さず、表情も崩さず、ただ、犯してきた罪の重さに耐えるように、静かに、深く。 兵士だって、人間なのだ。 人を殺し、街を焼き、それを「正義」と呼ぶことの、耐え難い矛盾。その痛みが、男の肩を通してアキトに伝わってきた。
二人の間に、重苦しく、けれど確かな「人間としての沈黙」が流れた。 アキトは、ゆっくりと男の服から手を離した。 この男も、自分と同じ地獄を歩いているのだと、言葉を介さずに理解してしまった。
ご覧いただきありがとうございました。
涙さえも枯れ果てたアキトの前に現れた、彼を独房から引きずり出した男。彼から語られる「ニューシティー」の恐るべき正体と、新政府の『悪い夢』……。アキトとリナの過ごした幸せな日々すら、その巨大なチェス盤の上の一コマに過ぎなかったという残酷な現実が明かされました。
人を殺し、街を焼き、それを自由と呼ぶ旧政府。
しかし、アキトの激情を受け止めた男が見せたのは、冷酷なマシーンの姿ではなく、自らの罪の重さに声もなく涙を流す、血の通った一人の人間の姿でした。
同じ地獄の底で、言葉を介さずに共鳴した二人の男。ここからアキトは、この狂った世界でどう立ち上がるのか。激動の展開をこれからも見守っていただけると嬉しいです!
「涙に鳥肌が立った!」「世界の謎が深まって面白い!」と思ってくださった方は、ぜひ下方の【ブックマーク】や【評価(☆☆☆→★★★)】で応援をお願いします。執筆の凄まじいエネルギーになります!
次回の更新もお楽しみに!




