『夢操の檻』 第四部:楽園の失墜 第2話
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2. 鋼鉄の沈黙
脱出の決行は、深夜二時。 ニューソウルの人工月が、冷たく青い光を街に投げかけていた。 アキトは最小限の荷物を背負い、リナの手を引いて寮を抜け出した。心臓の鼓動が耳元で爆音のように響き、自分の足音だけが世界のすべてのように感じられた。
「リナ、足元に気をつけて。ここからはカメラの死角だ」 「ええ……」
リナの声は、驚くほど落ち着いていた。アキトはそれを「覚悟を決めた強さ」だと解釈した。 二人は影に身を潜めながら、東側の第三ゲートへと辿り着いた。錆びついたメンテナンスハッチが、闇の中で大きな口を開けて待っている。
「よし、予定通りだ。リナ、僕が先に降りて安全を確認する。君は後から……」
アキトがハッチに手をかけた、その瞬間だった。
ガラン、と背後で硬い金属音が響いた。 反射的に振り返ったアキトの視界を、強烈なサーチライトの束が貫いた。
「動くな。 治安維持局だ。対象を包囲した。脱走は許されない。」
拡声器を通した、無機質で平坦な怒号。 アキトは目を細め、光の向こう側を見ようとした。そこには、黒いタクティカルスーツに身を包んだ兵士たちが、十数人、銃口をこちらに向けて半円状に展開していた。
「な……なんで……」 アキトは混乱し、リナを守るように彼女の前に立とうとした。 「リナ、後ろに! 僕がなんとか……」
だが、アキトの腕を掴んでいたリナの手が、不自然な力強さで彼を突き放した。
「リナ?」
アキトはよろけ、コンクリートの床に手をついた。 リナは、ゆっくりと歩き出した。アキトの方へではない。サーチライトが煌々と照らす、兵士たちの方へと。
「対象名:アキト。思考指針:現行体制への反逆、および重要機密の漏洩。……報告通り、逃走経路を確認。確保をお願いします」
リナの声だった。 だが、そこには昨日までアキトを溶かしていたような熱も、震えも、愛も、一切存在しなかった。 それは、録音された音声を再生しているかのような、徹底した「無」だった。
「リナ……? 何を言っているんだ……?」
アキトは這いずりながら彼女に手を伸ばした。 リナは足を止め、一度だけ振り返った。 その瞳孔は最大まで開かれ、水晶体の奥で無数の文字列がスクロールしている。彼女の顔は、昨夜アキトがキスをしたあの少女のままだったが、その中身は、完全に別の「システム」に書き換えられていた。
「エラーは修正されなければならない。それが、みんなの幸せのため」
彼女の完璧で無慈悲な笑顔。 それが、アキトの精神を真っ二つに引き裂いた。
「……あ、あああああああ!」
絶叫するアキトの背中に、兵士たちの電磁警棒が叩きつけられた。 高電圧が神経を焼き、意識が強制的に暗転する。 薄れゆく視界の中で、アキトは見た。 リナが兵士から一本のプラグを受け取り、自分の首筋にある端子に接続する姿を。 彼女は「業務」を終えた機械のように、感情の欠片もない動作で、アキトとの日々をサーバーへとアップロードしていた。
3. 独房の三週間
次に目覚めた時、アキトの世界から色彩は消えていた。
冷たく湿った石造りの壁。指一本分ほどの隙間しかない、分厚い鉄扉。 そこは、ニューソウルの華やかなビル群の真下、深い深い奈落の底だった。
「あ……が……」 喉が潰れている。 アキトは重い鎖がはめられた手で、自分の顔を覆った。 裏切られた。 信じていた。愛していた。自分のすべてを打ち明けた。 その結果が、この暗闇だ。
(リナ……リナは、最初から僕を監視するために……)
そう思おうとしたが、胸の奥に残る彼女の温もりが、それを拒んだ。 あの夜の涙、あの手の震え。あれもすべて演技だったのか? それとも、彼女自身も気づかないうちに、プログラムに書き換えられてしまったのか?
答えの出ない問いが、独房の闇の中でアキトを苛んだ。 三週間の間、アキトに与えられたのは、味のないゲル状の食事と、壁の向こうから聞こえる呻き声だけだった。
「……夢……を……返せ……」 「……お母さん……どこ……」
隣の監房から聞こえてくる声は、日が経つにつれて、次第に意味を持たない母音の羅列へと。ムソウのように変わっていく。 それは「再教育」が進行している証拠だった。
アキトも、一日に数回、無理やり椅子に拘束され、脳に直接映像を流し込まれる処置を受けた。 幸福なニューソウルの風景。新政府の正当性。そして、自分がいかに間違っていたかという、反復されるメッセージ。
「もう……いい……」
アキトは、独房の隅で膝を抱えた。 リナの裏切りを思い出すたびに、心が千切れる。 それなら、いっそ、このまま「ムソウ」になってしまった方が楽かもしれない。 感情を捨て、彼女への愛も憎しみもすべて消去されれば、この地獄のような苦しみから逃れられる。
三週間が経つ頃、アキトの瞳からは光が消えかけていた。 彼は、自分から進んで電極を受け入れようとするほどに、摩耗していた。
その時だった。
「……?」
床から、微かな振動が伝わってきた。 地響きではない。もっと高周期の、重厚な機械が砕けるような振動。 続いて、遠くの方で「ドォォォォン」という、空気を引き裂くような爆鳴音が響いた。
(何だ……? 処置が始まったのか?)
アキトは虚ろな目で天井を見上げた。 直後、独房の鉄扉が、見たこともないような強烈な衝撃で内側へひしゃげた。
「……っ!」
爆風と土煙が、狭い独房に流れ込む。 アキトが腕で顔を覆った瞬間、独房の廊下側が、文字通りの「閃光」に包まれた。 あまりに純粋で、あまりに暴力的な、白い光。 爆発の衝撃でアキトの身体は壁に叩きつけられ、鼓膜が悲鳴を上げた。
「……狂った……のか。やっと、僕は死ねるのか……」
アキトは、もうろうとする意識の中で、その光を歓迎した。 これでいい。 リナのいない世界。嘘ばかりの街。 すべてが、この白い光の中に溶けてしまえばいい。
だが、光が収まった後に聞こえてきたのは、静寂ではなかった。
「生存者を確認! 第四層、特別監房だ!」 「急げ! 新政府の増援が来る前に、可能な限り『良い夢』の持ち主を回収しろ!」
怒号。 走り回る重いブーツの音。 そして、新政府の兵士たちの、聞いたこともないような絶望的な悲鳴。
アキトは、震える目蓋を押し上げた。 壊れた鉄扉の向こう側。 そこには、新政府の黒い制服ではない、泥にまみれた青い戦闘服を着た男たちが、自動小銃を構えてなだれ込んでくる姿があった。
「ニューソウルは、本日をもって解放される!」
その叫び声と共に、アキトの目の前の世界が、音を立てて崩壊し始めた。 三週間、彼を閉じ込めていた絶望の壁が、外側からの暴力的な「正義」によって、粉々に砕かれようとしていた。
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リナの完璧な笑顔という最大の絶望からの一転、まさかの外側からの大爆破と新勢力の乱入……!アキトを閉じ込めていた楽園の檻が、ついに物理的にブチ破られました。
「ニューソウルは、本日をもって解放される!」
ここから物語のギアが一段、二段と跳ね上がり、激動のレジスタンス編へと突入していきます。初期化されてしまったリナとの関係はどうなってしまうのか、そしてアキトの運命は――!?
ここからの加速を見逃さないためにも、ぜひ【ブックマーク】や【評価(☆☆☆→★★★)】でアキトを応援していただけると、執筆の凄まじい原動力になります!
次回、新章の本格開幕をお楽しみに!




