5 当日の告知とビルの心情
「これはどう言う事だ?シュガー」
いつにも増して冷徹な声だった。
ルザロワは緊張でなかなか口を開けなかった。
今日は竜士訓練学校の入学日なのだが、どうしても言えずに今日まで来てしまったのだ。
既に制服に着替え入寮する準備を済ましてからおもむろに来たのだ。
「私は一切知らされて無かったのだが、ビルは?」
「手続きは私が代行しました」
ビルはいつも通り静かに答えた。
「ただし、シュガーが自分で報告すると言うのでそれ以外は関与していません」
「シュガー!?」
「申し訳ありません」
ルザロワは勢いよく頭を下げた。
「反対されると分かっていたので言い出せなくて」
ヘイリングは立ち上がると机を回ってルザロワの前に来た。
「お前のする事は大概許してきた。だが此れは認められない」
ヘイリングは彼の両肩に手を置いた。近くから覗き込む。
「私から離れるなど許す訳がないだろう」
ルザロワは彼からの視線とフローラルな香りにくらくらしながら負けずに言った。
「小さい時ならいざ知らず、もう私は成人です。貴方の元に居なくても1人でやっていけるのです」
「成人になったからと、どうして私から離れる必要がある?お前は公爵令嬢だ!私が庇護して、ここで一番安全で快適な生活を提供していると思っていたのに何が足りないのだ?」
ヘイリングは残念そうに大きく溜息をついた。
ルザロワも相変わらずの彼の考えに心の中で溜息をついた。本人の希望を聞かずにしていることが自己満足の為だけだと、彼に何度言っただろう?
私が彼に強く言えず、妥協している事も多いのに本当に気が付いていないのか?
「私を愛していない?もしや嫌いになったのか?」
ルザロワはやんわりと彼を引き離した。
「そんな事ありません。でも、申し訳ありませんが貴方の束縛で息が詰まりそうなのです。私の全てを監視していたのでしょう?つまり私を信用してはいない。私の為と言いながらあなたは私を思うがまま動かしたいだけ。愛してるからと何をしても良いわけないでしょう」
「お前はまだ子供だ!それにシュガーはここで私の役に立ちたいとは思わないのか?これまで君を養育してきたのに?」
「私はエディにもうこれ以上私に関わって欲しくないのです。このままここにいてもあなたの言う“役に立つ人間”には成れない。私の容姿はあなたと親子には全く見えないから、私が例え公爵令嬢でも、スプレンド人社会では受け入れてもらえないでしょう。私はここを出て行き、デフレンド人として生きていくべきです」
ヘイリングは暫く目を閉じて黙っていた。
ルザロワは重苦しい沈黙に冷や汗をかいていた。
ヘイリングは目を開けると無表情のまま言った。
「お前の出生は明らかだが、その外見ならシュガーの心配も分かっている。だからと言ってデフレンド人の中に野放しにする訳にもいかない。ジルにもシュガーの行く末を頼まれている。シュガーが真に役に立つ人間になれるかどうか見定める。シュガーが独り立ちできないと私が結論付けたら、その時は私の言う通りにしてもらう」
ルザロワは、絶対にその様な状況では戻りたくないと、強くそう思った。
「今は貴方から見れば私は頼りない人間でしょう。だけど、守られているばかりでは嫌なのです」
「シュガーが気にすることではない」
「どうしていつも―」
「シュガー、そろそろ出る時間かと」
ルザロワを遮ったビルに頷いてヘイリングに視線を戻した。
「エディ」
彼の両手を握りしめた。
「私に試させて下さい」
ヘイリングはルザロワを引き寄せて抱きしめた。
「シュガー、愛してる。必ず私の居る所に戻って来なさい」
「私も愛しています。心配かけてごめんなさい。休みにはなるべく帰ってきます」
ルザロワも彼の背中に腕を回した。
ビルが見送りから帰ってくるとヘイリングは書斎にいなかったので少し慌てたが、隣のシャワールームからバスタオルを首に下げ、バスローブをいい加減に羽織った姿で出てきた。
「今日は仕事は終わりだ」
ビルはバスタオルを取ってソファに座ったヘイリングの髪を拭き出した。
彼の髪は短くなったとはいえ背中を覆うほどの長さがある。
美しく艶のある金色の髪を丁寧に拭く。
「お前もシャワーを浴びてこい」
ヘイリングはビルの手を止めてから、ビルのネクタイを緩めて抜いた。
「え?あの、今から?本当に、良いのですか?」
「お前の仕事の調整ができるならな」
「仕事を後回しにしても?」
「私に聞くな!」
ビルは信じられなくて呆然としていたが、ヘイリングのいつもの冷めた青い目が欲情で揺れているのを見るとハッと我に返った。
「シャワー浴びてきます」とシャツのボタンを外しながらシャワールームへ向かった。
いつも感情を抑えていたのが涙が溢れてくるのを止められない。
昔から僕が一番彼を愛している。彼の全てを知っても、どんな扱いを受けようとも、歪な関係だろうと喜んで受け入れる。
彼のものは全て大切にしてきた。これからも、望むものは全て与える。
シャワーを浴びてバスローブを羽織って外に出ると、前でヘイリングが待ち構えていた。
「遅い」その場で抱きしめると、ヘイリングはビルのまだじっとりと濡れている髪を気にすることなく後頭部を掴んで貪る様に性急にキスをした。
「御免なさい、お待たせしてしまいました」
キスの合間に息も切れ切れにつぶやいた。
『僕を愛して下さい』
2人はベッドへ縺れこもむように倒れた。
何度も体をつなげた。
ビルがぐったりして意識を落としそうになっていると、ヘイリングはおもむろにビルの頬を平手で叩いた。
「姑息な手段で幼いシュガーを丸め込んだものだ。上手くいって良かったな」
ヘイリングは冷酷な声で言うと、ビルをうつ伏せにさせて、背中を竜の皮でできた鞭で何回も叩いた。
「御免なさい、許して下さい」
ビルは執拗なヘイリングの罵倒に対して、責めが終わるまで謝罪の言葉を言った。
涙も声も枯れてしまっても言わされ続けた。
そんな酷い目にあっても、心の中は満ち足りていた。八つ当たりはよくある行為だった。
苦にならないどころか自分に向けられる感情が有ればどんなものでも歓喜を生み出す。
漸く気の済んだヘイリングは最後に身体中の痛みに耐える彼を優しく抱いた。
「お前だけだ、私をわかってくれるのは!絶対私を置いていくな。ずっとそばに居ろ!お前は私のモノだ。先に死ぬのも許さない」
繰り返し言いながら最後は涙を流す。
彼がこの激しい感情を表すのはビルだけだ。
抱きしめられて背中が更にヒリヒリ痛む。痛みと快感がごちゃ混ぜになって涙が止まらない。
ええ、あなたの事は全て分かっていますから、好きなだけ僕を弄んで下さい。心からの笑みを浮かべる。
愛情を示すためにこちらからも強く抱きしめ返す。
「勿論です。私は一生ずっとお側にいます。あなたを心から愛してますから」
この時間の為なら全てを犠牲にできる。
そうとも。僕が一番彼を愛している。
エドガーからのせっかくの尊い愛情に耐えられずに逃げた、あんな女達より。
「ビルも怒られてるだろうな。大丈夫でしょうか」
ルザロワはヘイリングの苛烈な行為で、ビルが肉体的にも苛まれている事を全く知らない。
暗い気持ちを振り切る様に両頬を叩くと屋敷を出た。
思った通りの反応だった。いつまで経っても僕はエディのどうとでもなる子供だ。
エディとジルベッタの子としてあらゆる特権を持たされ、それなのに何一つ自分の自由にはできず、囲われて家畜の様に育てられている。
放たれてもそれは放牧で、時間が来たら帰される。
今回の試みは辛くも成功したが、いつまで外に居られるのかはエディの気分次第だ。
『子供の頃からそうだった。なのに慣れないもんだ。公爵ならエディみたいな人が普通なのだろうか?エディを信頼できない僕がやっぱり変なのか?』
僕は本当はヘイリング公爵家から逃げたい。
エディから逃げたい。でも、心からの別離を望んでいる訳でもない。矛盾しているのはわかっている。
「シュガー」と呼ばれてヘイリングから抱きしめられると、何も考えられなくなる。このまま自分の全てを委ねてしまえば、彼に任せれば、何もかも与えられて幸せになれる。そんな気になってしまう誘惑にいつまで耐えられるのだろう。
そんなのは僕の人生では無い!
だから、実際に離れたかった。デフレンド人が公爵令息として表に出て認知される前に。
まるで、何かから追いかけられているかのように、歩みは自然と早くなっていった。




