3 始まり 10年前
今から10年前。
昼なお薄暗い部屋で、隅に置かれた艶のあるどっしりとした茶色の木の書斎机の奥に、椅子にだらしなく腰掛けて背もたれに身体を預けて虚な表情で正面を眺めている男がいた。
机上には仄暗い卓上ランプと、それに照らされた黒い漆を塗られた枠で囲われた花鳥風月の鮮やかな色彩の3面の卓上屏風がある。
それには3枚の肖像画が掛けられていて何れも同じ人物であった。
広い部屋には本棚が背側の壁一面に有り、床には分厚いモスグリーンのカーペットが引かれている。反対側は前面ガラス張りだが、金の房のついた明るいグリーンのカーテンで締め切られている。
部屋の真ん中に白い革張りのソファーが、緻密な草花の装飾が埋め込まれたガラスのテーブルを囲んでいる。
テーブルの真ん中には蔦模様の浮き彫りの入った白い陶器の大きな花瓶に色鮮やかな花々が生けられている。
少し身じろぎをすると、太腿まである長い金色の髪が揺れて、ランプの明かりに浮き出た。
男の顔は中性的に整っていたが不健康に青白く、エメラルドのような透明感のある美しい緑色の目には生気が感じられなかった。
エドガー・グリフォン・ヘイリング。歴史あるヘイリング公爵家一族の頂点に立つ。
「エド、いい知らせです」
ドアを乱暴に開けたメガネをかけた青年が弾んだ声で入るなり言った。
ため息の後、無表情を崩さず、一顧だにしない。
それでも副代表で秘書のフィリップ・ステカフォードは嬉しそうだった。
「ルザロワの居場所がわかりました」
エドと呼ばれた男は肖像画を見た。
「生憎、ガードナーが一緒にいますが」
「ジェレミー・ガードナー」
うめくように言うと、後ろの長さと同じくらいの前髪を指でいじり始めた。
「はい。ルザロワはもうすぐ6歳にお成りです」
ビルが持っていた手のひら大の板がキラリと光り、その後男の子が映った。大きな青い目で茶色の少しクセのある髪の毛が顎下まで伸びている。少し痩せ気味だが、何かを見ている横顔は子供らしく可愛らしい。
ヘイリングは先程とは違い、板を食い入る様に見つめた。
「シュガー、ジル!ああ、彼女とそっくりだ!」
男は愛おしそうに肖像画に触れた。
「あれから5年も経っていたのか」
「ガードナーはデフレンド人街を転々としていて、今では麻薬の製造に手を染めて家で売人や個人に売って生計を立てているようです」
「堕ちたものだな。優秀な研究者だったのに麻薬の売人とは」
「子供を回収しますか?」
「そうだな。劣悪な環境から一刻も早く救出しなければならない」
男は立ち上がった。
「今から向かう」
「私だけで行けますが」通称「ビル」は少し不満そうにいった。
「ジェレミーには言いたいこともある。子供を素直に渡すとも思えん」
「では、その準備もいたします」
「その前にこちらに来て、髪の毛を括ってくれ」
「はい!直ぐに」ビルは一層嬉しそうに頷いた。
ビルはクローゼット部屋の戸を開けた。ヘイリングは中で無造作に来ていた部屋着を脱ぎ捨て、一面に吊るされた服の中からベージュのゆったりとしたシルエットの上下を選ぶと、ビルが着替えを手伝う。
自身が手がける服飾ブランドのデザインだが、更に独自に変えたオーダーメイドで仕上げている。
服の中に入ったままの髪の毛を鬱陶しそうに掻き上げて中から出した。美しい金色の髪の毛が膝近くまで真っ直ぐ垂れ下がっている。
「そうか、5年も経てばこのくらい伸びるのは当たり前か。少し切ってもらおう。美容師の手配もしてくれ」
先程とは打って変わって頬を蒸気させ、明るい表情だった。
「エド!」そのままヘイリングに抱きついた。
「よかった、帰ってきて下さって本当に嬉しいです」
ヘイリングは取り縋って涙を堪えているビルを軽く抱きしめて背中をさすった。
「馬鹿だな。このまま見捨ててくれてよかったのに」
「そんなことできません。考えたこともありませんでした」
ビルは彼を真摯に見つめた。
「変わらずあなたにお仕え致します」
ヘイリングは薄く笑って潤んだ目で見上げるビルの唇にキスした。ビルはうっとりと頬を染めた。
「本当に相変わらずだな、お前は」
もう一度軽くキスすると肩をかるく叩いて自分の髪の一房をビルの鼻の前に突き出した。
「早くしてくれ、あちらは刻限の時間があるだろう?」
ビルはヘイリングをソファーに座らせると後ろに回った。
後ろと違い、胸の下辺りまでの長さの前髪は残したまま、後ろの髪を手際良く一つの三つ編みにしていく。
終わると捻って襟足の少し上で丸めて止めた。
「玄関のロビーでお待ちください。さ、参りましょうか」
ビルは前に回ってきて手を差し出した。
「浮かれ過ぎだ、ビル」軽くため息をつくとビルの手を取った。
この世界では、人種が二つあり、竜の子孫であるが、下等とされているデフレンド人と、竜を支配した天人の子孫であるスプレンド人がいる。
天人はその昔、別の世界から降り立ち、下等な竜だけが生息していたこの世界に天人と竜を掛け合わせたデフレンド人を作り、支配するようになった、と言われているが、神話に近く真実かどうかはわかっていない。
スプレンド人は王以下貴族達で成り立ち、それ以外をデフレンド人とした。
天人達は竜の心臓石から生成した魔石を使い、生活道具の殆どを賄う。デフレンド人には一部の富裕層を除いて殆ど恩恵は無い。
デフレンド人は竜の子孫らしく、瞳孔が縦長で
夜目が効く。身体能力も高いものが多く、未だ生息する竜を使役できる者もいる。
スプレンド人はデフレンド人居住地だけに適用される刻限と呼ばれる時間を設定し、それを過ぎると外出禁止令が出される。
その上、一切の明かりも使用できない。デフレンド人はある程度の暗がりは関係なく視界を保てるから必要無いと判断されている。
夕闇と共に灯りが煌めき始めるスプレンド人居住地とは対称的にデフレンド人専用居住地は明かりの一切灯らない暗闇に沈むのだ。
デフレンド人居住地は大抵2階建ての3軒繋がった建物が網の目のように続き、彼の住む家は2014番地の左端だ。
専用住居は1000番地から始まり、2000番地と共に約100年前に建てられている。その区画は一番古くて老朽化が進み、3000番地以降の家に移る家庭が多く、ルザロワの住む3軒のうち2軒も空き家になっている。
静かにドアを開けて家の中を真っ直ぐに進み「ただいま、パパ!」と声をかける。
ルザロワの父ジェレミー・ガードナーは大抵突き当たりの台所の反対側に置かれた台の上で薬を調合している。
「もっと早く帰って来ないとダメじゃないか。何回言えばいいんだ、ルザロワ」振り向きもしないが口調は穏やかだった。
「ごめんなさい。サムとお話ししてたら遅くなっちゃった」
俯いて言うと、片手で頭をがっしりと掴まれた。
「本当はずっと家にいて欲しいくらいだ。外は危険すぎる」
その後ぽんぽんと頭を軽く叩かれる。
彼はずっと何かを恐れているが、それの正体は教えてくれない。貴重品などを詰めた鞄がいつもテーブルの下に置かれていて、ルザロワの着替えも別の鞄の中に入れて、着る時に出している。
「ここも、もうすぐ出て行く。だからいつでも用意しておいた方がいいんだ」
2人でパンと作り置きのスープで夕食を終える。彼は刻限を過ぎるとベッドに倒れ込む様に横になって眠る。ルザロワは洗い物をしてシャワーを浴びてから2階にあるベッドに入る。
時々真夜中にドアを叩く音で目が覚めることがある。
気になって起きると階段の途中から下を伺う。
ジェレミーは唸りながら起き出すと台所へ行き、周囲に光が殆ど漏れないような小さな灯りを持って、何かの袋を出す。
ドアを少しだけ開けて外にいる者に一言二言言葉を交わし、袋を渡す。代わりに何か受け取り、ドアを閉める。
彼はその後ベッドには戻らず、テーブルに置きっぱなしの酒瓶から直接喉に酒を流し込む。
その後何かを口に含んでまた酒を飲む。
そしてその間も何人か同じように訪れ同じやり取りをする。
刻限の後は外出禁止なのに関係なく、下手すると昼間より訪問者は多いくらいだった。
「パパ、寝ないの?」
見かねてルザロワは声をかける時もあるが
「もうすぐしたら寝るから。お前も早く寝なさい」と少し怒気を含んだ声で返ってきた。
ルザロワは小さな声で「お休みなさい、パパ」と言って2階へ帰る。
ジェレミーの仕事は何と尋ねると『病院に行けない人の為薬を作って売っている』薬屋だと言う。それ以上は何も言わない。
最近、胸を押さえて蹲っているのを見て驚いて近付いたが邪険に払われた。
「薬を飲んでいるから大丈夫だ」
でも、いつも目の下の隈が取れず、こんな筈じゃなかったとぶつぶつ呟いて、なにかと酒や薬を飲んでいるジェレミーの様子に心配で涙が溢れそうになるのを必死で押さえていた。
ルザロワは家に居づらくなって、あちこち彷徨ってパン屋の手伝いをしたり、他の子と遊んだり刻限ギリギリまで外にいた。
そんなある日。
ルザロワは顔見知りのパン屋の手伝い(と本人は思っているが店の者はそんなつもりは全く無くパンを渡す口実)の代わりに貰った売れ残りのパンを抱えて走って帰っていた。
ちょっとおしゃべりしていたら遅くなって、また刻限ギリギリだ。
漸く家の前まで来て、暫く息を整えた。いつものように重い足取りで家の近くに来た時、ドアの中へ入っていく人影を見た。
客が来ている時は空気の様に振る舞わなければならない。危険な客もいるからだとジェレミーにいつも言われている。
実際、過去に来た客でルザロワに興味を示してついでに買い取ろうとした人間がいたからだ。ジェレミーは危険を感じて直ぐに家を移す羽目になった。
仕方なく家の脇で、すぐに出てくるだろうと待っていたがいつまで経っても出てくる様子がなかった。
刻限が迫っていたので痺れを切らしたルザロワは仕方なくそっとドアを開けた。
家の奥でガラスが落ちて割れる音が響いた。少しだけ開けたドアの隙間から恐る恐る中を覗くと、白っぽい服を着た背の高い人間が背を向けて立っていた。
「お前がシュガーにルザロワを託されただと?馬鹿を言うな。こんな状態で育てられるわけがないだろう」
平坦な冷たい声でなじっていた。その様子から、いつもの客達では無いなと思った。
身体を震わせたジェレミーは必死で言う。
「違うんだ、今ちょっと生活が苦しいんだ、だから今だけだ。ちゃんとするから僕達に構わないで…」
「そう言う問題ではない」
吐き捨てるように言った。
「ルザロワは私とシュガーの子だ。あの子は連れて帰る」
男はジェレミーに近づいていく。
「お前は1人でここで死ねばいい!」
「パパ!」死ぬという言葉にルザロワは思わず抱えたパンを取り落として男の横をすり抜け、ジェレミーの方へ向かおうとした
しかし、あっさりと男に捕まった。
「シュガー!」捕まえた男は嬉しそうに抱き上げた。
「会いたかった、君に」
ルザロワはいきなりジェレミーより20センチ以上背の高いその男に脇を持って抱え上げられた。
「ああ、本当に似ている。シュガー、私と一緒に家に帰ろう」
視界が高くなったことに驚き、2人の状況も分からず、取り敢えず逃げようと暴れた。
「助けてパパ!」
「違う」彼を強く抱きしめた男はあっさり否定した。
「この男はお前を誘拐した悪人だ。ルザロワの本当の父親は私だ」
ルザロワは固まったように動けなくなった。「へ?」
初めて男の顔を見た。一見人形のように整っていて美しい。白い肌、切長の緑の眼、少し上気したほお、赤い唇。髪は前髪が真っ直ぐに両方垂らされて 金の絹糸のようだ。
しかし、ルザロワと似ているところは全く無さげだ。彼女は茶色のクセのある髪と青い目だ。
それよりジェレミーの方が男と似ているくらいだ。
「シュガールザロワ、よく聞くんだ、あいつは私の従兄弟なだけだ。ママからお前を奪って連れ去った。ジルが、私のシュガーが死んだのはあれのせいなのだ」
「違う!お前が何年もかけてジルの自由を奪い、追い詰めたんだ!」
「え、なんで?パパ?」ルザロワはその男とジェレミーを、父親と思っていた男とを見比べた。混乱してお互い何を言ってるか理解できない。
「違うんだ、お前のパパは僕だ。ママからルザロワを託されたのは僕だ!エドガーから逃がしてと頼まれたんだ。」彼ははルザロワに必死に訴えた。
「ジェレミー…よくも出鱈目を!シュガーを放置してあんなに弱らせて…私のモノだったのに!」
ジェレミーは何か言い返そうとして、突然胸を押さえて身体を折り曲げ、膝を着いた。
ヘイリングはいつの間にか空いた手に持っていたソードを起動させて彼の胸を突いたのだ。
「ルザロワは、僕の娘だ。娘まで、好きにさせてたまるか!ルザロワを放せ。そして出てってくれ」
ジェレミーは荒い息の中でも力強く言った。
ヘイリングは平然とシュガーを見下ろした。
「その状態で子供を養えてるつもりか?麻薬を作っている男が麻薬中毒とはな。ルザロワ、あいつは犯罪者だ。危ない薬を作って自分も飲んで他人に売り捌いていたのだ」
「違うよ、パパは病気の人を治す薬を作ってたんだから」シュガーは必死だった。
「そうやって誤魔化していたのか、見苦しい」
今度はソードを床に向けて振り下ろした。床板が衝撃で陥没した。
シュガーはますます萎縮して弱々しく言った。
「違うよ、違うったら違うの、放して!パパは…」
ヘイリングはジェレミーの背中を打ちすえた。服が焦げて赤くなった皮膚が見えた。
「ルザロワ、ジル、ごめんよ」ジェレミーはついに床に倒れた。
「パパ!」
ルザロワはこんな切羽詰まった時なのに急に強い眠気に襲われた。
「パパ、助けて」
必死に抗ったが目を開けていられず、頭も上げていられなくなってついに男の肩にもたせた。
「大丈夫だ。君はこれから私と幸せになるんだ。あの男の事は全て忘れていい」と耳元で囁いてソードを放した手で優しく頭を撫でられた。
『眠れ、そして忘レロ』頭の中で声がした。言う通りにしなければならないと何故かそう思ってしまった。
「後は私が」2人とは別の声がしてフワッと浮遊感があった。意識はそこで途絶えた。
ヘイリングはジェレミーのそばに行き、つま先で蹴って仰向けに転がした。
「生きてますか?」ルザロワを抱えたビルは少し離れたところから声をかけた。
ヘイリングは片膝をついて頸動脈に指を当てて確かめると無表情に頷いた。
「だが、このままでは助からないだろう」
直ぐに立ち上がった。
「止めを刺さないのですか?」
「もういい。そんなヤツ放っといて、とにかく早く帰ろう。久しぶりに動くと疲れた」
「了解です。5年ぶりですからね。お食事を用意しておりますが如何ですか?」
ビルは期待を込めた目で彼を伺った。
「では、入浴後に。ここの汚れを落とさねば」
ビルは今日の待ち望んだヘイリングの積極的な行動に感無量だった。彼が普通に会話して、自らの望みを表に出すのに5年も待ったのだ。
「ルザロワは私の部屋に近い客室に寝かせてくれ。明日の朝までは起きないだろう?」
「畏まりました」
かわいいシュガー専用の部屋に変えよう。カーテンは花柄にして壁紙は明るいブルーで、白い家具がいい。
服はもっと可愛らしくなるようピンクの上下でフリルとレースをあしらう。パステルカラーが似合いそうだから沢山用意して、人形のように可愛くさせてあげよう。
ヘイリングはつらつらと考えていく。
最も肝心なのは、ずっと私から離れないように躾をしなければならない。
シュガーはお互いを知る期間が短すぎた。
今度はじっくりゆっくり囲い込まなければならない。
これからのルザロワのことを考えて高揚するヘイリングはそのままジェレミーのことを振り返りもせずに其処を立ち去った。




