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時は数刻さかのぼり、アレクサンドライトとティリは『ラシル』を飛び立ち再び機上の人となっていた。
すでに空は夜の闇に包み込まれ、冷たい外気が容赦なく二人の体を冷やす。ティリは『ラシル』にて割高の飛行服を購入してすっかりよれてしまったドレスを脱いでいたが、それでも長時間の飛行は辛そうだった。ゴーグルに覆われた目元の下の頬が、すっかり青白くなっている。
同時に今二人には時間がない。もうロイロットはゴードンへの復讐を済ませてしまったころかもしれない。貴族の別荘地でゲルダに背格好のよく似た片足の無い遺体が出てきたこともあり、アレクサンドライトはやきもきしながらリングリラへ早急に到着することを祈っていた。
思考回路の中に芽生えた苛立ちをやりすごすように、運転席のティリから一つしかない目を横へずらす。眼下に街が無いためか、そこには夜闇を照らすようなものは何も無い。
リングリラの光が早く目にとまらないかとセンサーの感度を何気なく上げると、不意にその中にちかりと瞬くものが映った。
不思議に感じてさらに視覚センサーの感度を上昇させる。片方が完全に破壊されているために常時よりも働きが悪いが、それでも闇の中にぽっかりと浮かびあがったそれを捉えるのには充分だった。
「おいティリ!向こう!あっちに何か飛んでるぜ!」
「え?」
声をあげてティリに知らせながらも、アレクサンドライトは目の前に見えた光の観察を続ける。
遠くに輝く街の明かりではない。雲の合間を真っ直ぐに飛んでいる飛行物体が放つ光だとすぐに気が付いた。じわりじわりと飛行機は目の前を飛ぶその光に近づいていき、やがてアレクサンドライトのセンサーはその正体を掴む。
「あれ、飛行船だぜ!結構でけえやつだ…!まさか、ロイロットたちが乗っているやつか?」
「そんな、私たちより前に出たはずなのに…!飛行スピードが遅すぎる…」
疑問の声を上げつつもティリはアレクサンドライトの誘導に従い飛行機の速度を上げて、飛行船と思われる光へと接近した。一般的な遊覧船よりも大きなその影にやがて人間であるティリの目でも確認できる距離まで近づき、二人はその側面に記されたウインドマリー家の家紋を見つける。
やはり自分たちが追っている目的の船だ。あの中にロイロットはもちろん、リリーナにゴードン、そして疑惑の老メイドゲルダも乗っているはずである。
片方しかない目で真っ直ぐに飛行船を睨みつけて、アレクサンドライトは今にも蒸気が暴発しそうな声でティリに訊ねた。
「どうする!?ティリ!?このまま突っ込んじまうか!?」
「落ち着いて!…やっぱり速度が遅すぎるのが気になるな…、中で何かが起こったのかも…」
やはり、もうロイロットが。その言葉を喉の奥に飲み込んだらしいティリが、不安げな様子で飛行船を見つめる。アレクサンドライトもまたいらぬ血があの中で流れたのではないかと寒気のする考えが湧きあがり、無言で空飛ぶ魚のような巨大な影を睨みつけていた。
しばし強い風をプロペラが巻き上げる音のみが静かな夜空に響く。だがこのまま悩んでいてもらちが明かないことは百も承知で、短気な機械人は蒸気を噴き上げながら叱責するように少女へ声をかけた。
「おいティリ!もう少し飛行船に近づけろ!」
「え?あ、いいけど、何するつもり?」
不安が解けないまでも改めてハンドルを握りしめたティリに、アレクサンドライトは腕のワイヤーの調子を確かめながら鋭い声で答える。
「向こうに跳び移る。直接中に入ってロイロットを止めてくるぜ!」
「直接って、…ええ!?そのワイヤーで!そんな、失敗したらどうするつもり!?」
「これが一番手っ取り早いだろ!リングリラ到着まで待ってたら手遅れになっちまうかもしれないぜ!」
「で、でも。う、ううーん…」
悩ましげに少女が唸る声が、プロペラ音に混じって消える。再び途切れる会話。アレクサンドライトはやきもきしながらその横顔と飛行船を交互に見つめていた。
ゴーグル越しの彼女の瞳が己を心配して不安に揺れていることはわかっている。もし一歩間違えればアレクサンドライトの体は空に放り出されたのち重力に引かれて落下し、容赦なく地面に叩きつけられる。頑丈な機械人とはいえ二度と見れぬ姿になってしまうだろう。
危険だ。自分たちの身の安全だけを考えるのならば、飛行船に追従してつつリングリラまで行った方がいい。
しかしスティング同様思いつめたロイロットがどういう行動をとるかわからない。ゲルダに成りすましているだろう何者かも気になる。不安もあるが、ここでじっと待っていることもアレクサンドライトには出来なかった。
ティリもまた頑なな50年前の機械人のことを想ったのだろう。翻弄された哀れな令嬢のことを考えたのかもしれない。一度不安にまみれたため息を深く吐き出すと決意した様子で顔を引き締めて、こちらを振り返った。
「わかった。今なら飛行船の速度もゆっくりだし、アレクの腕なら大丈夫だと思う。…でも、気を付けて」
「おう!わかってるよ!お前は先にリングリラに行ってろ。エリウットたちに連絡しておいてくれよ!」
「…ん。掴まっててアレク」
全ての不安が拭い去られたわけではないらしく、ティリはやや短い言葉で返事をするとゆっくりと操縦桿を傾けはじめた。飛行機はエンジン音を高く上げながら空を泳ぐ巨大魚のような船へと接近していく。
アレクサンドライトの機械の目には飛行船のゴンドラの窓から人影が蠢いている様子が見えた。流石に何をしているかまではわからず、内部で悲劇が起こっているのではないかと心配で歯車をきりきりと回す。
視覚センサーの感度を最大限にあげながら睨みつけていると、次第に近づいてきたそのゴンドラ内で何かが鈍くきらりときらめいた。それは平たい板のような金属が光を反射している様子だった。
ただの金属ではない…それが大型のナイフだということにアレクサンドライトは察する。
「やべえ…」
今まさに、事件は起ころうとしているのか。もしかしたらその凶刃は誰かの身を貫いてしまったのか。
初めは飛行船のどこかにワイヤーをひっかけてそこからよじ登ろうかとも思っていたが、あの窓をぶち破って中に着地した方が安全かもしれない。時間も短縮できるしナイフを持つ人物を止めることが出来る。
時間に余裕は無かった。アレクサンドライトは「もっと寄せてくれ!」とティリに指示を出し、狭い座席の上で立ち上がった。バランスが最悪だが、やるしかない。
「アレク、無茶だけはしないで!」
「へへ、今更だろ。でもわかってるよ!帰ったら一緒にトストに報告しようぜ!」
懇願にも等しい彼女の声に、アレクサンドライトは茶化すように返すしか出来なかった。そのまま振り返りもせず腕のワイヤーをゴンドラに向けて発射する。
ガラスが割れる音が巻き起こる風に紛れて響き、衝撃を通り越してフックがどこかに引っかかったことを感じた。それが抜けないことを二三度強く引くことで確認して、アレクサンドライトは発声回路を小さく「行ってくる」と鳴らした。
やはりティリの顔は見れずに、ワイヤーを縮小させながら飛行機から飛び出した。
◆
そして場面はゴンドラ内でロイロットたちがアレクサンドライトの登場を目撃したところまで戻る。
初めて出会った時とは全く違う冷たい面持ちでこちらを見つめるのは、老メイドゲルダ…否、彼女に成りすましていた別人であり復讐者たる女である。そして同様にむき出しの敵意を隠そうともせずに睨みつけてくるのは、ウインドマリー家の護衛と思われる男たち。間違いなく彼らも自分たちの敵だった。
アレクサンドライトは彼女と相対しつつ、その動きに警戒しながら口を開いた。
「お前たち、もう観念した方がいいぜ。エリウットもゲルダのことを調べ始めたみてーだし、逃げられねーぞ」
「そんなことはもう関係ありませんわ。そのうち両国はわたくしたちのことなどどうでも良くなるでしょうしね」
「あ?どういうことだ?」
彼女の言葉の意味を取りかねて首を傾げるとゲルダの近くにいた男が馬鹿にするように鼻を鳴らす。「辺境伯様のやらかしが全部おおやけになるんだよ」と彼が告げたと同時に、周りの男たちも下品な声を立てて笑い出した。
嘲りを過分に含んだその声に苛立ちが募ったが、アレクサンドライトは片方がしかない目でぎろりと一同を睨みつけると蒸気を吹きだしながら唸った。
「やらかしって、『機械の暴炎』のことかよ」
「ああ、知っているのならちょうどいいですわ。このことが世間に知られれば国際問題になりますからね。そうなれば…50年前の再来も夢ではないでしょう」
「50年前…貴方たちは…、再び戦争を起こすつもりなのか!?」
鋭く問いかけたのはロイロットである。ゲルダたちはちらりと彼を一瞥したあと、「それはどうでしょう?」と笑みを浮かべながらはぐらかした。そしてもう自分たちに用は無いとでも言いたげに、復讐者は後ろを向いて操縦席のある方向へと去っていく。
怒り追いかけようとしたアレクサンドライトの前に、2人の男たちが立ちふさがった。懐から大きな銃を取出し、凶暴な顔でこちらに向ける。
「おっと、お前の相手は俺たちだぜ機械人の兄ちゃん。あの女にはまだやってもらうことがあるんでな」
「そんなもの、機械にきくと思ってるのか?」
見栄を張りながら、アレクサンドライトはその指が引き金にかからないように慎重に見つめていた。機械人だとてあの大きさの銃に、これほどの近距離で撃たれれば無傷では済まないことは理解している。そして目の前の男もまた知っているからそれで脅してきたのだろう。
しかし跳弾して可燃性のガスの入った部分にも当たったら、アレクサンドライトたちだけでなく彼らにも被害が出る。そう簡単に発砲するとは思っていなかった。
その証拠にこちらが強気でじりじりと距離を詰めれば、男たちは多少焦ったように眉根をつり上げる。このまま飛びついて銃を奪っちまうか―――、乱暴なその手段を取ろうと考えた時だった。
男の一人がちらり、と視線を動かす。その先にはリリーナに銃を突き付けている男がいる。
はっとアレクサンドライトが彼女の座る席を振り返ったと同時に、頷いた男が手に持っていた銃の引き金に指をかけた。
「っ、させるか!!」
「う、ぐ!!」
リリーナもわからぬうちにその頭に鉛玉が撃ち込まれると思った瞬間、察したロイロットがアレクサンドライトよりも先に動いた。
地に寝そべっていたままだった体に鞭打ち、男の足に向かって飛びつく。体勢を崩した男はそのまま床に尻餅をつき、リリーナから離れた。
その一瞬がチャンスだった。自分と相対していた男たちがぎょっと目を見開いてそちらを見たと同時に、体格差を生かして彼らに飛びつく。男の一人を勢いのままのした後、こちらに銃を向けようとした片割れの顔面に拳を叩きつけた。
「むきゅう…」と情けない声を上げて、男はバランスを崩し倒れる。それを確認したあと慌ててロイロットへと視線を向けると、流石辺境伯と言うべきか、倒した男に全体重をかけてのしかかりその動きを封じている。
全員無事のようでアレクサンドライトはほっと蒸気を吐き出した。
「よし。あとはゲルダをとっ捕まえるだけだな。あいつ、いったい何を…」
「これは…!これはいったいどういうこと!?」
老メイドが消えた操縦席へと視線を向けたと同時に響いてきた声に、アレクサンドライトとロイロットは思わず顔を見合わせた。
理由はわからぬが辺境伯は体を激しく動かすことが出来無いようだったので、彼に代わり声の聞こえてきた方向へと急ぐ。客席とコックピットは一枚の扉で隔たれており、それが開け放たれたままで薄暗い操縦席が覗く。
中に呆然と立ち尽くす老女の背中が見えた。
「おいゲルダ!どうし…」
「どうして、どうして開かないの!?…このままでは死んでしまう!そんな、ようやく復讐することが出来たと思ったのに…!」
「おい…」
発せられた言葉があまりに不穏でアレクサンドライトは再び声をかけたが、彼女はこちらを見ようともせずに一心不乱にコックピットについているボタンを押し続けている。取り乱しぶりに動揺しつつもそのボタンが何なのか確認しようとすると、ふと操縦席に座っている大きな影が目についた。
センサーの感度を上げて見つめる。微動だにしないその正体は人では無く―――、一体の機械人。否、人型を取っているが自我を持たない、ただの機械だった。
トストの工房でもいくつか修理に持ち込まれたことがあるが、このタイプは機械人とは違い決められた動きしか出来ない。飛行船の緻密な離着陸などは不可能だが…空中でのオートパイロットなら任せられる。
しかしそうなると、この船の着陸はどうなる?
寒気がするような考えが浮かび、再び老メイドに視線を向けたが彼女はただただ震えるだけ。わななく唇が小さく「扉が開かない」と動き、繰り返している。
扉?と思い彼女が先ほどから繰り返し押していたボタンを見ると、どうやら昇降口の開閉ボタンだったようだ。しかしそんなものを押したところで助けがくるわけでも…と思考したところで、助けが来るはずだったのかと思い至った。
しかし肝心の扉が開かないとなると…。
「最初から見捨てるつもりだったのか…」
アレクサンドライトがぽつりと呟くと、隣に立っているメイドの顔が強張り、がくりと膝から崩れ落ちた。




