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テトラトルからリングリラへと入り、最果ての都市『フレイムミル』の光が見えたところでティリは着陸準備に入る。
この街もまたウインドマリーと同じく50年前の戦いでは最前線となっていた場所だ。故郷と同じか、それ以上に技術は発展している。小さな町では見られない、夜でもなお光り輝くガス灯の明かりに目を細めて、ティリは滑走路を探した。
一際明るい光を放つフレイムミルの飛行場は、すぐに目に入る。すっかり夜も遅いがまだ働いているものは多いらしく、こちらが着陸の意図を上空で示すとぱらぱらと作業員たちが集まってきてくれた。
その中の一人がこちらに向かって明かりを振り、誘導する。その指示に従ってティリはゆっくりとリングリラの地へと飛行機とともに降り立った。
飛行機のタイヤが転がる、久しぶりの地面の感覚を味わいながらティリはもう燃料がすっかり無くなっていたことに気が付く。ぎりぎりだったのだなあ、と一瞬ひやりとしたものを覚えたがなんとか飛行機を完全に停止させ、長く空を飛んでくれた相棒を休ませることが出来た。
どっと疲労感が押し寄せてきたが、作業員たちがこちらに向かって走り寄ってくるのを見て慌てて操縦席を立つ。そして同時に入国手続きをしていないことに気が付き、先ほどとは違う嫌な感覚が胸を覆った。
「あ、あの私…!すみません、あの…!」
「この飛行機は…間違いない、ウインドマリーの使者ティリ様ですね。エリウット様からお話は聞いています。さあ、こちらへ」
「え!?」
怪しまれるどころか丁重に扱われている事実に、ティリは思わず声を出し目を見開いてしまった。若い作業員に案内されるままについていくと、飛行場の中の待合室…しかも一般人は入れないような広く綺麗な場所に通される。リリーナが住んでいた屋敷で見たような調度品の数々が、ここは貴族専用のラウンジなのだということを暗に告げている。
少々ここでお待ちくださいと去って行こうとする作業員を呼びとめて、ティリは通信機を借りられないかを尋ねた。ラウンジに備え付けの電話を自由に使ってもいいとの返答が来たので、ティリは彼が扉を閉めて出て行ったあと、足早にデスクの上に置かれている電話機の元へ近寄る。
綺麗に磨かれた真鍮で出来た電話は明らかに自分たちが使う通信機よりも高価なものだったが、ためらわずに受話器を上げてよく知った番号を回す。
この瞬間を待っていたのかと疑わんばかりの速さで回線は繋がった。『トスト工務店です』と固く厳しい声が鼓膜を揺らす。ティリは泣きそうになりながら声を出した。
「もしもし、おじいちゃん?」
『ティリか?リングリラについたのか?』
「…うん」
別れてから一日も経っていないのに酷く懐かしい己の名前を呼ぶ祖父に、胸がじんと重くなる。話すべきことはたくさんあるというのにまず何を言えばいいかわからず、ティリはしばし電話口で無言になった。
己の気持ちをくんでかトストは『落ち着いて深呼吸をしなさい』と厳しく冷静な声で促して、『無理をしなくてもいい』と優しく付け加えた。
『エリウット様から連絡は行っていただろう。フレイムミル侯爵も動いてくださっているそうだ。ティリ、お前たちはそこで待っていなさい。後は我々がやっておく』
「そ、それがおじいちゃん…!辺境伯様の乗っている飛行船はまだここについていないの…。途中ですれ違ったんだけど…、アレクが飛び移って…直接辺境伯様を止めてくるって…!!」
『なんだと…』
切れ切れの説明を急かすことなく聞いたトストは、一瞬驚き、すぐに『全くあいつは無茶を…』と呆れた様子で嘆息する。
ここにはいないアレクサンドライトの名を呼んだせいか、焦りと寂しさがさらに募り、ティリはぎゅっと受話器を握りしめる。瞼を閉じると暗闇の中に、ワイヤーで飛行船に飛び移って行った緑色の機械人の姿が浮かんできた。
「おじいちゃん、今すぐアレクを助けにいかないと…辺境伯様もリリーナ様も…、アレクに、アレクに何かあったら私…」
『落ち着きなさい。今の私たちではどうしようも出来ない。…そうだな、エリウット様に連絡を取ってみよう。あの方なら何か妙案を思いつかれるかもしれない』
待っていなさい。そう言ってトストは一度電話を切った。
声が聞こえなくなる事実にティリは駄々をこねたくなってしまったが、そんな場合ではないことは百も承知なので口には出さない。だが気が張っていたせいで自覚できなかった心細さは、既に心の中に入り込んでしまっていた。ぶるりと体が強く震える。自分で自分を抱きしめるように腕を回し、ティリはデスクの前で立ちすくんでいた。
すぐに連絡が来ることは無いとわかっていたが…そしてかかってくるのはこの電話ではないことも理解していたが、その場を動くことが出来ない。
今までこれほど家族と離れたことは無いのだ。アレクサンドライトとは、生まれたときから一緒だった。
震えを抑えるように腕をさすり、呼吸を整えながら目を閉じる。一人でいることがここまで恐ろしいこととは思わなかった。
◆
真っ青な顔をして放心しているゲルダを放って、アレクサンドライトは狭いコックピットの中を調べていた。
先ほど女の指が連打していたボタンは壊されているのか反応がないし、操縦席に座っている人型機械は固定されているらしく動きそうにもない。そもそもこれを動かしたら飛行船の運転が誰がするのかと言う話になってしまう。
操縦桿の他のレバーやボタンはどういう仕組みをしているのかわからず、迂闊に触れなかった。
「…アレク、サンドライトくん?どうしたんだ?何があった?」
「あ、ロイロット?お前、体大丈夫なのかよ?」
どうするべきか頭を抱えそうになったアレクサンドライトの背後から、リリーナに支えられて辺境伯が顔を出す。足元はふらつき顔は土気色であまり具合が良さそうには見えなかったが、彼は心配する己を手で制して今一度「何があった?」と尋ねた。
アレクサンドライトは視線を足元で震える老メイドに移して、一度嘆息するように蒸気を吐き出した。
「こいつら、雇い主に捨てられちまったらしいぜ。利用されたんだ。ドアが開かなくて迎えの船が来ないんだってよ」
「そうか…」
ちらりとロイロットとリリーナの視線が復讐者に転じる。その動きに気付いたのか老女はわずかに顔を上げて両国の貴族たちを鋭い目で睨んだ。後ろ隣りから見ていたアレクサンドライトにもわかる、悪鬼の如き表情だった。
しかし今さらそんな表情をしても哀れにしか思わない。八つ当たりをしやがってとすら感じながら、アレクサンドライトはロイロットを見つめる。
若き辺境伯は表情を変えず復讐者の視線をしばらく受け止めたあとこちらに向き直り、ぐるりとコックピットの中を見回しながら言った。
「無線はどうだ?救難信号を出すスイッチもあるはずだ」
「お、おう…。どこにあるかわかるか?あ、待て動くな、具合が悪そうだ」
ウインドマリー家の自家用機だからだろう、ロイロットはコックピットの中の様子は知り尽くしている様子だった。アレクサンドライトは彼の指示を受け無線や救難信号を発見して持ち上げたりボタンを押したりしたが、どれも反応が無かった。
ロイロットたちが乗船する前に、全て破壊されていたのだろう。離陸時は問題なかったから、恐らく『ラシル』で何か細工をされたに違いない。
辺境伯は眉間に深くしわを刻みながら、自分がもっとしっかり見ていればと悔いていたがやがて顔を上げる。
「アレクサンドライトくん、君は機械には詳しいだろうか?」
「え?あー…一応生まれは機械工のとこだけど、あいつほどいじれるわけじゃねえぜ」
「しかし助手くらいは経験があるだろう。無線を直したい。手伝ってくれないか?」
その申し出にアレクサンドライトは驚いたが、ウインドマリー家の別荘地地下にはあれほどの施設があったのだ。大なり小なり機械をいじる知識が彼にもあったのだろう。
だが体の方は大丈夫かと問うと、辺境伯は強がるように笑って「さっきよりずいぶんましになった」と答えた。
彼の婚約者が心配そうに眉を垂れ下げる中、ロイロットは支えて貰っていた体をそっと離し、彼女に向き直る。
「もう大丈夫だ、リリーナ。君は席に戻っていてくれ」
「…いいえ、わたくしにも手伝わせてください。機械のことはさっぱりですけど、工具を運んだりくらいは出来ますわ」
「リリーナ…」
二人はしばし見つめ合い、やがて無言で目を逸らしたのはロイロットが先だった。彼はわかったと一度頷くと、リリーナに客席の方に積んであるはずの工具を持ってくるように指示を出す。
その後、彼は狭いコックピット内に体を押し込めて、右横についていた無線のそばまでしゃがみ込む。アレクサンドライトも操縦席に居座る機械を邪魔と感じながら、身を乗り出して彼の手元を見下ろした。
飛行船に備え付けらしい無線機はアレクサンドライトが知るよりも小型で、まるで電話の受話器のような形をしている最新鋭のもの。辺境伯はコードで繋がっているそれを手にして、様々なボタンを押していたが、やがて「線が繋がっていないな」と小さく呟いた。
ふむ、と口元に手を当ててロイロットが何かを考え始めたと同時に、リリーナが工具箱を抱えてコックピットへと戻ってくる。
「ロイロット様、工具をお持ちしましたわ!こちらでよろしいでしょうか?」
「ありがとうリリーナ。工具があればこれは直せるかもしれない、二人とも助手を頼んだ」
その言葉で少しだけ希望が出てきたアレクサンドライトとリリーナは、ロイロットの指示に従い工具を運び作業を手伝った。
トストの工房で見て覚えていたので、アレクサンドライトは工具の名前と種類をよく知っている。言われた通りの工具を作業に没頭し始めた辺境伯に手渡し、リリーナは己が選びやすいように工具を床に並べてくれている。ロイロットの手際はよく、内部で切られていた導線を見る見るうちに繋いでいった。
しばし三人は無言で作業してしばらくたった後、辺境伯が「銅線はあるか?」とアレクサンドライトに訊ねた。リリーナが並べた工具の中にも箱の中にもそれらしいものは無かったのでそれを伝えると、ロイロットは唸った。
「ううむ、いや、何処かに予備があるかもしれないな。探してこよう」
「ロイロット様、私が行きますわ」
「いや、集中してばかりで少し動きたかったんだ。アレクサンドライトくん、こちらの電気が繋がるか少し見てくれないか?」
「おう」
頷くと安心してロイロットはコックピットを出て行く。彼の去ったあと無線を手に取ろうとして…ふと何か違和感を感じて背後を振り返った。
狭いコックピット内は静かにエンジン音が響くのみ。怪しいものなどどこにもなく、アレクサンドライト、ロイロット、リリーナの三人が作業をしていたときと何も変化は無い―――と、そこで、ぎくりと胸部の歯車が嫌な予感に音を立てた。
「おい、あいつは…!ゲルダは何処だ!」
「え…!」
慌ててリリーナも振り返る、が、二人の視界には絶望と恨みに震えていた老メイドの姿は映らない。嫌な予感がしてロイロットを呼ぼうとするが、それより前にドアの向こうから「やめろ!」と焦った様子の叫び声が響いてきた。
弾かれるようにアレクサンドライトはコックピットの外へと走り出す。ひょう、と冷たい風が全身にぶち当たった。
扉を開けてその向こうに見たものは―――、己が割った窓の向こうに上体を乗り出すロイロットの姿。ずり落ちないように必死に踏ん張る彼の腕の先にぶら下がるのは、すっかり生気を無くした表情の老メイド…ゲルダに成りすましていた復讐者だった。
絶望して飛び降りようとしたところを、ロイロットに掴まれたのだろうということがわかった。




