激闘の町役場 9
『御大将。その位置は危険です。せめて前線拠点まで後退してください』
信二の声が届く。
「だめです」
太公望の本陣を睨みつけたまま、わずかに唇を動かす実剛。
指呼の間だ。
量産型能力者にとっても、完全に射程内である。
そんな場所に次期魔王が護衛も連れずに立っている。
魚顔軍師でなくたって危機を感じるだろう。
『だめて……』
「絵梨佳ちゃんが西遊記チームを治療中です。一人ずつしかできませんから、あと三十秒くらいはかかるかと」
ゆえに、実剛がその三十秒を稼ぐ。
泰然と最前線に立つことによって。
至近に魔力やPKランスの流れ弾が着弾しても、眉一つ動かさない。
身体に当たりそうなものは、仁が払いのけてくれる。
「それよりちょっと気になることがあるんですが」
『どれよりですか? 西遊記チームが回復したらホントにさがってくださいよ。御大将に戦闘力がないことはすぐにバレます。もしかしたらもうバレてるかもしれないんですから』
心配性なお魚さんに苦笑する実剛だったが、むしろ信二の考え方で正しいのだ。
実戦部隊の指揮官である次期魔王が最前線に在る。
敵にしてみれば最高のチャンスだ。
ここで彼を討ち取れば、一気に澪を崩壊させる契機になる。
だが同時に、普通は罠を疑うだろう。
大将がのこのこと最前線に現れるなど、ありえる事態ではない。
現在、戦線は膠着している。
打開をはかる奇計か、と。
その迷いこそが時間稼ぎとなる。
それが実剛の計算だが、ぎりぎりの綱渡りであることは間違いない。
何を考えているか判らないから兵馬俑を四体ほどぶつけて様子を見るか、という程度で、次期魔王の策は崩れる。
仁ひとりでは、兵馬俑一体と互角。
複数こられたら勝負にならない。
実剛の行動に裏などないことは、すぐに露見してしまうだろう。
「西遊記チームってこんなに弱いんですか? 敗れたとはいえ美鶴たちと良い勝負をしたってきいてるんですけど」
それが太公望の軍勢に手も足も出ない。
少しばかり間尺に合わないだろう。
そこまで圧倒的な力量差があるなら、澪の戦士たちだって歯が立たない計算になってしまう。
『たぶん縛られてるんじゃないかと思うよ』
こころの声が割り込んでくる。
「縛られる? どういうこと? こころさん」
『実剛の好きなプレイの事じゃないよ』
「わかってるよっ なんで僕が特殊なプレイを好む設定になってるんだよっ!」
『召喚するときに条件を付けたって意味さ。この場合は太公望側の転生者を襲わない、的なヤツじゃないかね』
「そんなことできるの?」
『できるわ。ラスプーチンに召喚されたチェルノボグが言ってた。変な契約で縛られてるって』
さらに割り込む美鶴の声。
情報が共有されてゆく。
これが澪の強みである。
戦士それぞれが経験したことを情報としてまとめあげ、対応策が練られていゆく。
特殊能力者でありながら、能力のみに頼らない。
「つまり西遊記チームを転生者にぶつけるのは悪手ってことだね? 美鶴」
『ええ。相手は中華アンデッドに絞った方が良いと思うわ』
「ということです。信二先輩。作戦の再構築をお願いします」
『もうやっていますよ。それより御大将ははやく後退を』
「ちょっと遅い感じです。なんか太公望がすごい形相でこっちに歩いてきてるんで」
全裸になることを諦めた沙樹が靴を脱ぎ捨てる。
これくらいなら、脱いでも公然猥褻にはならないだろう。
「準備完了」
ストッキング裸足となって立ちあがる。
ついでに琴美の腕を回復しながら。
「ありがと。お母さん」
「いえいえ。お礼は形のあるモノでね」
「花瓶でも買って上げるわ」
「もらって嬉しくないプレゼントは不可よ。我が娘」
「じゃあこれ」
野戦服のポケットから取り出したバンダナを放る。
アイヌ文様の。
琴美が自分で作ったものだ。
「この歳になって娘とお揃いとか、恥ずかしいんだけど」
「いらねーなら返せ」
「もらえるものはゴミでももらう。それが蒼銀の魔女」
少しだけ赤い顔でわけのわからないことを言って、バンダナを頭に巻く。
破れたスーツ、裸足、バンダナ。
かなりシュールなスタイルだ。
「我が母ながら失礼なヤツね。私のバンダナはゴミじゃないわよ」
憤慨しながら、娘もまたバンダナを巻いた。
服装は違えどよく似たふたり。
無造作に歩を進める。
一歩、二歩、三歩目には最高速に乗る。
迎え撃つ二郎真君と雷震子。
両者がぶつかる寸前、琴美が右へ沙樹が左へと跳ぶ。
互いの位置を入れ替えるだけの単純なフェイントだ。
こんなもので混乱するような仙人などいない。
二郎真君が沙樹を、雷震子が琴美を正確にトレースする。
相手が変わっただけ。
べつにどうということのない話、だと思われた瞬間。
無数の矢が転生者に降り注いだ。
五十鈴の援護射撃である。
驚愕の表情で打ち払うふたり。
まさか上からの攻撃とは。
魔女たちが交錯する瞬間に生まれるブラインド。そこを突いての射撃というのは、わりとスタンダードな戦術だ。
二郎真君も雷震子も充分に警戒していたから、さかな丸からの攻撃だったら余裕をもって対応できたことだろう。
「乱れた。次はこっちだよ」
さっとこころの右腕がおどり、さかな丸の量産型能力者たちがPKランスを放つ。
最高のタイミングだ。
すべてを捌ききることは不可能だろう。
そう思われた瞬間、雷震子が飛び出し両翼を広げて回転する。
次々と叩き折られてゆくサイコキネシスの槍。
凌ぎきった。
「でもその技は、さっき見たよ」
ぶかぶかの野戦服のポケットに手を突っ込んだこころ。
片頬を歪めた。
次の瞬間、回転する雷震子の脳天から足までを、赤く輝く光が貫いた!
ヒヒロノカネの鏃をもった矢。
木花咲耶姫を介して素戔嗚尊から贈られた、澪の切り札だ。
本来はバンパイアロードと共闘していたこころを倒すためのものだったのだが、あのとき、五十鈴は外してしまった。
必中の技量を誇る女勇者にとって、初のはずれ矢ということになる。
顔にも口にも出さないが、忸怩たる思いがあった。
もちろん、その後こころは味方となったので、殺さなくて正解という考え方もあるのだが、それは、まったく、別の問題である。
次は外さぬという思いを胸に、五十鈴は戦場に立ち続けた。
最初の射撃はブラフ。
さかな丸からの射撃もブラフ。
すべては、酒呑童子を負傷させたあの男が、無防備となる瞬間を作るための布石だ。
回転を続けながら灰となり風に溶けてゆく雷震子の身体。
「お見事。五十鈴さん」
無線越しに声をかけるこころ。
『これで、こころさんに避けられた借りは返せましたかね?』
「私にコメントを求められても困るよ。あの矢を食らうわけにはいかなかったんだからさ」
ヒヒイロカネは、転生者にとっては致死性の猛毒だ。
だからこころは戦闘も指揮も放棄して、縮地で逃走するしかなかった。
五十鈴にとって苦い記憶である以上に、こころにとっても痛い痛い敗戦である。
ごほんと咳払い。
互いの古傷を抉り合っても仕方がない。
「さかな丸より全軍。転生者を一名撃破。繰り返す。転生者を一名撃破」
オープン回線での通達。
ニキサチに比べたら、語尾も間延びしていないし、しっかりと聞き取れる。
比べるものが悪すぎる。
ふたたびあがる歓声。
十秒だ。
実剛が戦場に到着して、わずか十秒で二名の転生者が消滅した。
これあるかな、我が次期魔王。
彼がいるだけで、澪の力が十倍にも百倍にもなっていくような、そんな錯覚がある。
「さあて。三人目の犠牲者はあなたよ。けけけけ」
二対一となり、二郎真君を挟み込むようにポジショニングした沙樹が、怪しい笑い方をする。
「お母さん。それじゃまるで悪役よ」
琴美が呆れるが、沙樹の肩書きは魔王の秘書である。
二つ名は蒼銀の魔女。
これを悪役と呼ばずして何と呼ぶ、というレベルの悪役だ。
舌打ちする女子高生。
「妲己並みに憎たらしい女ね……」
「あれに比べたら、あたしなんて天使だと思うんだけど」
伝説級の悪女である。
「四十過ぎのおばさんが天使て……」
うう、と目頭を押さえる魔女の娘であった。




