激闘の町役場 10
怒気をまとい、ゆっくりと歩を進める若者。
今生での名は呂紫宇。
太公望の転生者である。
深淵を映し出すような黒い瞳が見据えるのは、似合いもしない野戦服を着こんだ優男だ。
やや茶味がかった黒髪と同色の瞳。
とくに美男子でもなく醜男でもない平々凡々とした容貌の少年が戦場に現れたとき、突如として流れが変わった。
韋護と雷震子が立て続けに倒され、太公望の戦術プランは大幅な変更を余儀なくされる。
とくに韋護の消滅は非常に大きい。
全体の趨勢に影響が出るほど。
彼が抑えていたのは西遊記チームの五名。実効戦力があるのは孫悟空、猪八戒、沙悟浄の三名だと思われがちだが、じつのところ玄奘三蔵や玉竜だって兵馬俑程度となら充分に戦える。
他方、二郎真君は彼の陣営でも最大級の戦力だから、能力者二人が相手でもそう引けは取らないだろう。
勝つのは難しいだろうが、千日手に持ち込んで時間稼ぎくらいなら問題なくこなせるはずだ。
「時間稼ぎ、か」
内心で呟く太公望。
本来、そんな必要はなかった。
転生者が能力者どもの相手をし、兵馬俑で庁舎を陥落させる。
ここまでのところ、上手く運んでいた。
損耗比率で澪の方がかなり有利ではあるが、それも後わずかのことだ。
澪の戦士たちは、能力者とはいえ生きた人間だから。
疲労もすれば消耗もする。
永遠に戦い続けることなどできない。
疲れることも死ぬこともないアンデッド相手に。
「あと三十分もしないうちに確定するはずだったのにな」
勝利が。
事実、それは開戦して十分ごとの兵馬俑の撃破数に表れている。
最も数を減らされたのは最初の十分間。
転生者と能力者の戦いが始まると、損害は目に見えて減っていった。
直近の十分など撃破は十に届かない。
「君さえ現れなければ」
怒りの滲む口調で言い放ち、無造作に近づいてゆく。
「それはどうだろう?」
首をかしげてみせる実剛。
「この結果を招来せしめたのは、君の作戦指揮がまずかったからだと、僕は思うよ」
初夏の風に二人の髪がたなびく。
「なんだと?」
「西遊記チームをフリーにする危険度を知っていたのに、すぐに倒さず弄んでいたのは、少なくとも僕の責任じゃないね。太公望」
次期魔王の瞳に怒りの炎が宿る。
新しい友人たちをなぶりものにされ、それでもにこにこ笑ってやるほど、魔王の甥は人間ができていないのだ。
「もちろん、そのおかげで僕たちが間に合ったんだから、不平を鳴らす筋合いじゃないんだけどさ。むしろ安堵しているよ」
一度言葉を切り、唇を歪める。
「君が無能で助かった」
思い切りしゃらくさい口調で言い放った。
中国史上最古の軍師に向かって。
無能者と。
「ほざいたな! 小僧!!」
憤怒の表情で鞭を振り上げる太公望。
乾坤圏が不規則な軌道を描いて飛ぶ。
伝説では、ひとたび投げるとどこまででも飛んでいき、相手の頭をたたき割るという。
「故に、逃げても無駄だ」
感情のこもらない哪吒の声。
「惚れた女の前で、逃げるわけないだろうが」
迎え撃つように光則が両手の砂剣を構える。
「それも無駄だ」
たかがジャマダハルで受けられるほど、宝貝は甘くない。
普通に折れ砕け、砂使いの頭を割るだろう。
「そいつはどうかな?」
左側面から襲いかかる乾坤圏。クロスさせた砂剣にぶつかる。
その瞬間、円環状の宝貝が闇に包まれた。
闇色の砂。
「この砂は黄泉比良坂への道標だ」
砂使いの声が不吉に響く。
後に残るは、地面にわだかまる一握の砂のみ。
「宝貝が……」
「芝が司るのは命。だが俺は鬼子でな。回復の力はほとんど持っていないんだ。そのかわり」
パンチダガーが闇色に変わる。
「命とは生と死。どうやら俺の力は死に傾倒しているらしい」
かつて宝貝だった砂を踏みしめ、光則が前進する。
伝説の武器だろうが、神具だろうが、彼には関係ない。
ひとえに風の前の塵に同じだ。
「こい。次は貴様を送ってやろう」
ニヒルな笑み。
ほんの一瞬、哪吒がたじろいだ。
それは砂時計から落ちるの砂粒が数えられるほどの時間でしかなかったが、鬼姫には充分すぎる。
神速ならぬ鬼速の突撃!
聖槍が風を断ち切る音が遅れて聞こえる。
咄嗟に振るわれた火尖槍をかいくぐり、少年神を捉えた!
脇腹から血を流しながら哪吒が後退する。
もちろん易々と逃亡を許すような佐緒里ではない。
さらに踏み込んで、槍を突き出す。
あきらかに槍の間合いではない。
一合打ちあうと、互いの手から得物が飛んだ。
気にしない。
近接格闘戦こそが鬼姫の本領である。
そしてそれを演出するための光則の芝居だ。
彼の使う闇砂。
生物には効果がない。砂に変えることができるのは無機物だけ。
人間にあてた場合、服だけ消え去って全裸になるという単なるエロ技である。
しかも射程距離がばかみたいに短い上に展開速度も遅い。
まともに使おうと思ったら、目標物に接触した状態でなくてはたいした効果は見込めない。
実戦で役には立たないエロ技なのだ。
それを思い入れたっぷりに演技し、とっておきの必殺技のようにみせた。
ようするにペテンである。
闇を狩る者にもロシアの装甲人形にも使った手だ。
どういうものか、とても効果があるのだ。
得体のしれない技というのは、とても怖ろしい。
「貴様はいったい何なのだ」
あるいは受け、あるいはカウンターで打撃を叩き込みながら、辟易したように哪吒が呟く。
槍で仕掛けてきたと思ったら、あっという間に無手の格闘戦に移行する。
殴られようが蹴られようがお構いなしで。
薄ら笑いを浮かべながら。
「萩に後退はないことだ」
互いに顔の形が変わるほどの打撃を受けているのに、佐緒里は攻撃の手を弛めない。
足を止め、ひたすらノーガードで殴り合う。
狂気の沙汰だ。
「何なのだ。いったい」
鼻といわず口といわず血を流す哪吒。
わけがわからない。
乾坤圏を砂に変えるほどの力を持っているのに、槍での突撃。
しかもその槍を捨てての殴り合い。
そんなものに理解が追いつくわけがない。
視界の片隅に砂使いの姿を捉えた。
腕を組み、余裕を滲ませる表情で観戦を続けている。
哪吒の内心を危機感が蚕食してゆく。鬼姫の行動は前座なのではないか、と。
充分にダメージを与えたところで押し出すつもりか。
二対一なのだ。
片方が囮役を務めている可能性は考えられる。
「とても付き合い切れぬ」
首に巻いた赤いスカーフを引く哪吒。
次の瞬間、忽然と姿が消えた。
拳が空振りし、佐緒里が蹈鞴を踏む。
「消えた? 縮地か?」
「いや。たぶん姿を隠しただけだ」
さっと駆け寄った光則と背中合わせになる。
全方位警戒。
みるみるうちに佐緒里の怪我が回復してゆく。鬼の治癒力だ。
「敵の槍がなくなっている」
呟く顔は、すでに平素の状態である。
その半面が輝いた。
「佐緒里!」
すかさず闇砂を展開させる光則。
何処からか飛来した火焔球が砂の中に消えてゆく。
同時に、
「ぐ……」
砂使いが腹をおさえた。
指の間からしたたり落ちる鮮血。
刺された。
いつだ?
「見えない敵と見えない攻撃……こいつは厄介だぜ……」
「そうでもない」
石突きを踏み、跳ね上がった聖槍をばしんと佐緒里が掴む。
無造作に前に出る。
散歩に出かける以上の緊張感を表すこともなく。
次の瞬間、唸りをあげて突き出されるゲイボルグ。
何もない空間。
だが、たしかにそれは何かを貫いた。
空間が絶叫を放つ。
「見えないから当たらない、などということない。なぜならば攻撃するには間合いというものがあるからだ」
剛胆に断言する。
腹から血を流しながら。
わざと敵の攻撃を受け、その方向と強さから敵の距離を逆算したのだ。
一閃、二閃。
槍が踊るたび、空間から血がしぶく。
同時に鬼姫の身体にも傷が刻まれてゆく。
それは相殺。
攻撃を避けない。そのかわり与えられた以上のダメージを必ず与える。
究極ともいえる消耗戦。
「さあ、もっと遊ぼう」
佐緒里の唇が下弦の月を形作った。




