魔王な二人 9
差し入れがあった。
現在、澪で最も忙しい部署であるメディア対策室に。
「お仕事おつかれさまです」
笑顔で、揚げたての澪豚ザンギを持ってきてくれたのは、もちろん五十鈴である。
お嫁さんにしたい女性、ナンバーワンだ。
「つまめるものの方が良いかと思いましたので」
大皿に山盛りにされたザンギ。男性なら一口サイズのそれに楊枝が添えてある。
澪豚料理の出世作となった逸品だ。
すべては、これから始まったといっても良い。
歓声をあげる影豚たち。
端末からはなれて、休憩スペースに群がってくる。
ほぼ不眠不休で情報戦を戦っている元スパイたち。いくら特別な訓練を受けているとはいえ、ただの人間である。
疲れもすれば腹も減る。
もちろん交代で休みはいれているが、防衛戦が長期化すれば焼き切れてしまうだろう。
「保ってあと二日。頼むぞノワール……」
とは、田中室長の声に出さない呟きである。
魔王たちが交渉に入った。
何らかのかたちで反撃に転じなくては、弱体の澪情報部門は陥落する。
大国アメリカとの情報戦は、口で言うほど簡単ではない。
『結婚してください!!』
突如として響いた男声二部合唱によって田中の思考は現実に戻された。
むしろ非現実に引っ張り込まれたといっても良い。
眼前に広がる光景が意味不明すぎる。
佐藤と佐々木が、ひざまづいて五十鈴に求婚しているのだ。
「きっと……いろいろストーリーが展開されたんだろうなぁ……」
ぼーっと呟く。
彼は知っている。
澪豚料理を食べた多くの者たちがトリップしてしまうことを。
まして、生まれてはじめて食べるのが原点ともいえるザンギで、しかも調理したのが五十鈴では、飛ぶなという方がどうかしているだろう。
二十歳前後に見える佐藤と、二十代後半の佐々木が、ともにキメ顔だ。
「ていうか、お前ら琴美さまと沙樹さまはいいのかよ」
呆れたようにつっこむのは鈴木だ。
佐藤は琴美を、佐々木は沙樹を、それぞれ籠絡しようとして果たせず、反対に本気で惚れてしまったがゆえに澪に帰順する道を選んだはずである。
なにを堂々と別の女にプロポーズしているのか。
ぽこぽこと僚友となった男たちの頭を叩いて正気に戻してやる。
「はっ!? 僕は一体なにを!? ごめんアンジーっ」
「ううう……うぉぉぉぉんっ 申し訳ありません沙樹姉さんっ 俺は……俺はぁぁぁっ!」
あさっての方向にわびはじめる佐藤と佐々木。
かなり鬱陶しい。
「まったくお前らときたら……」
正気に戻っていない仲間たちに苦笑しながら、鈴木がザンギを口に運ぶ。
両目から溢れ出す涙。
「いっそ俺を殺せぇぇぇ!」
叫びだした。
「お前がいちばん意味不明だよ」
デスクから消しゴムを田中が投げつける。
寸分の違いもなく鈴木の側頭部に命中し、軌道を変えて大皿へと吸い込まれてゆく。
飛燕の動きで佐藤が払いのけ、抜群のコンビネーションで佐々木が打ち返した。
ぱしんと軽い音を立てて、戻ってきた消しゴムをキャッチする室長。
「ああ、びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ。なんだいまの連係プレイ」
佐藤が息をつき、田中が呆れた。
「室長。あんたは判っていない。このザンギを汚したら、俺はあんたを許さない」
ずずいと顔を近づけてくる佐々木。
怖い。
「うっせ。食ったら仕事しろ」
怖いので、とりあえず定規で額を叩いてやる。
澪町役場はブラック企業なのだ。
「ひどい職場ですね」
苦笑しつつ振り返った佐々木が見たものは、ハイエナのようにザンギを食べ続ける仲間二人だった。
彼が戦線を離脱した隙に、ひとつでも多く食べようとがっついている。
うるわしき友愛である。
「おまえらっ ふざけんなよっ」
慌てて戦場へと駆け戻ってゆく佐々木。
「仕事しようよ……みんな……」
「まあ、良いじゃありませんか。彼らが遊んでいるひとときくらいは、澪だって保ちますよ」
嘆く田中に、いつの間にか横に立った五十鈴が微笑みかけた。
「余裕ですね。五十鈴さん。プロポーズまでされたのに」
「ああいうのを真に受けるほど子供じゃないですって」
冗談として処理しているということだ。
かるく肩をすくめてみせる田中室長。
案外みんな本気かもしれませんぞ、とは口に出さなかった。
口にしたのは別のことである。
「差し入れをしてくれたということは、状況が落ち着いてきたということでしょうか」
「美鶴さんたちが、すでに一戦交えたそうです」
「ほう」
田中がにやりと笑う。
動いた。
ならばここからは、防諜ではない。
「中国の神々ねえ」
食事を楽しみながら、ふむとこころが呟く。
基本的に、仏教や道教の神々というのは、他の神を否定しない。
むしろ高天原のように、人間社会に過度の干渉をしないという方向性だろう。
したがってヴァチカンのようなスタンスで澪に仕掛けてくる理由は、あまりないのである。
「しかも主神級とか、やっぱり良く判らないね」
「私とて確証があるわけではないさ。あくまで消去法の結果として、中華神話という結論に至っただけだからな」
肩をすくめてみせる依田。
「その消去法は正解に近いところには、当たっていると思いますよ」
口を挟んだのは実剛である。
すでに美鶴から連絡が入っている。
豊平川にかかる通信橋を狙っていたのは、三蔵法師と愉快な仲間たちである、と。
「西遊記なぁ。けっこう好きだったんだよなぁ」
とは、暁貴の台詞である。
彼は思いっきりその世代だ。
「ちなみに俺は、三蔵法師というのは女なのだと、ずっと思っていた」
苦笑しながら述懐する鉄心。
彼らの知るドラマでは、男性である玄奘三蔵を女優が演じていたのだ。
ゆえに、いろいろ間違ったかたちで憶えてしまっている日本人は少なくないだろう。
たとえば沙悟浄、河童の妖怪とされているが、中国に河童はいない。
「となると、道教系ということだな。御大将」
「魔王さまに御大将と呼ばれるとか、意味不明なんですけど」
「良いではないか。私にもそう呼ばせてくれ」
「いやまあ……なんて呼ばれようと良いんですけどね……」
諦めたようなため息。
くそばかやろうとか呼ばれるよりはずっと良い。一応は敬称なのだし。
「お。じゃあ俺もそう呼ぶぜ」
「あたしもあたしも」
すぐに食いつくのは暁貴と沙樹だ。
実剛をいじるネタを、絶対に見逃したりしない二人なのである。
「やめてくださいよ……伯父さんも沙樹さんも……」
「わたしも御大将って呼んだ方がいいですか? 実剛さん」
「絵梨佳ちゃんまで……」
がっくりと肩を落とす次期魔王。
ときならぬジュリアス・シーザーごっこに、場が笑いに包まれた。
「ともあれ」
ひとしきり笑った後、こころが仕切りなおす。
「西遊記ってことは、使ってくるのは方術か仙術だね」
「即断は禁物だぜ。こころちゃん。西遊記には哪吒太子とか釈迦如来だって登場してるんだからな」
暁貴の無駄知識である。
どうしてこいつは、日常ではまったく役に立たないような知識を蓄えているのか。
ちなみに哪吒というのは、道教の少年神だ。
この場合だと、天帝は玉皇大帝ということになる。
だが哪吒は、道教だけでなく中国仏教やヒンドゥ教にも、ふつうに登場している。
「神話大系などどうでも良い。でどころさえ判れば、この際は充分だろう」
総括するように鉄心が言う。
澪には他の大陸にまで出向いて、敵をやっつけるという発想はない。
基本的には専守防衛だ。
アメリカに情報戦をやらせているのが中国系の勢力だと知れただけで、澪には対応手段がいくつも生まれてくる。
「噛み合わせるのか。鬼の頭領どの」
「貴殿のおかげで、澪にも情報部門ができた。活用しない手はないからな」
依田の言葉に頷く鉄心。
敵の敵はやっぱり敵だ。アメリカの矛先を中国に向けさせる。
反撃の開始である。




