魔王な二人 4
景色が一変する。
いまのいままで、金鉱跡地に作られた温泉という奇天烈な風景だったのに、大きな川の河川敷というごくありふれたものになっていた。
「すごいな。これは」
「二百キロ以上の距離を一瞬でゼロにするとか。ある意味、キク姉の能力が一番チートなんじゃないかしら」
首を振る砂使いに、苦笑で応える魔王の姪。
縮地。
ようするに瞬間移動である。
この能力を使うのは、日本神話大系の神の転生者たちだ。
「けっこう難しいんだよっ 私はわりとへたくそで、よく座標を間違うっ」
キクが、なぜか胸を張って言った。
「ほんとに気をつけてね? おキクさん。そのうち石の中とかに出るわよ?」
「にはははっ そのときは琴美が寺院につれていってねっ」
「キクは灰になりました」
くだらない会話を繰り広げる魔王の伴侶と魔女の娘。
こういうのには絶対食いついてくるはずの鬼姫が妙に静かだ。
「どうしたの? 佐緒里姉さん」
「巫美鶴。気になることがある」
声をひそめる。
あるいは周囲に敵がいるのかと、仲間たちに緊張が走った。
「どうしてワニというのだ?」
真剣な表情で問う。
「まだそれ引っ張ってたんかーいっ!」
仰角四十五度の美鶴ツッコミが炸裂した。
がっくりと姿勢を崩す仲間たち。
コントみたいである。
べつに勿体ぶるほどの知識でもなかったので、簡単に美鶴が説明した。
古事記にある大国主命の物語だ。
隠岐の島から出ようとした白ウサギがワニザメをだまし、その背を踏み台にして跳んで渡っていたところ、嘘がばれて皮を剥かれて裸にされてしまう、というしょーもないエピソードがある。
これをもじって、混浴温泉に入ろうとする裸の女性をウサギちゃん。待ちかまえるエロ男をワニと蔑称するようなった。
言い出しっぺは、一九六五年から二十年以上も放送していた深夜番組である。
ちなみに、混浴で女性をじろじろみるワニ行為はマナー違反であるため、注意が必要だ。
「ホントに無駄知識だな。それ」
「だがしかし、これで巫実剛を悔しがらせることができる。縮地の瞬間、最後まで説明していけとわめいていた」
光則は呆れるが、佐緒里はほくほく顔だ。
「相も変わらず騒がしい連中じゃの。そんなてんしょんで、汝らは疲れぬのか?」
変声期を迎えていないかん高い声が流れ、少女が歩み寄ってくる。
大國魂神。
北海道を守護する主神であり、その正体は小学三年生の女の子だ。
「だから紹介が逆だといっておろう。それでは我が厨なんとか病患者のようではないか」
「たまちゃんっ ひさしぶりっ 風邪とか引いてないっ?」
駈けよったキクが抱きしめ、ぷにぷにのほっぺに頬ずりする。
過度なコミュニケーションである。
無表情のまま、たまちゃんが押し戻した。
「どうして汝は普通に会話を始められぬのじゃ。どんどん暁貴に似てくるのう」
「夫婦だもんっ」
「理由にもなっておらぬな。それは」
ひっついてくるキクを突き放しながら、澪の血族どもに軽く頭を下げる。
「初対面の者もおるの。我は大國魂。親しみを込めてたまちゃんとでも呼んでくれればよい」
「安寺琴美。親しい人はアンジーって呼ぶわ」
「坂本光則だ。光則で良いぜ。たまちゃん」
「魔女の娘と砂使いじゃの。噂はきいておる。よしなにの」
相変わらずの無表情だが、琴美も光則もべつに不快感はおぼえなかった。
たまちゃんが噂を聞いているのと同様、彼らも北の主神の噂は耳に親しんでいる。
「どこまで聞いてる? たまちゃん」
歩み寄った美鶴が右手を差し出しながら話しかける。
もちろん血族の噂話のことではない。
「あの橋を破壊されると困る、という程度のことは、八意思兼から聞いておるよ」
握りかえし、視線を転じた。
百メートルほど先。
なんとか人が一人渡れそうな幅の橋が、豊平川に架かっている。
もっとも、両端は柵で封じられており何者も進入できないようにされているが。
「あれを壊されたら北海道の通信が死ぬわ。たぶん復旧には丸一日以上かかると思う」
「それは一大事じゃの」
たかが一日と馬鹿にすることはできない。
現代日本の経済で、通信機器が丸一日麻痺したら、損失額はどれほどにのぼるか。
「で、あやつらが、壊しにきた連中というわけかの」
橋の下。
三人の人影。
じっとこちらを見ている。
「このへんを根城にしているホームレス、という雰囲気じゃなさそうね」
美鶴が呟く。
第二軍師を中心として展開するカルテット。
非戦闘員のキクがすっと後退した。たまちゃんとともに。
「べつに我がやっても良いのじゃが。北海道全体に関わることじゃしの」
「いい。澪の問題から派生したことだから、私たちで片を付けるわ」
「然様か。なれば気をつけよ。美鶴。あやつら、人ではないぞ」
「なんとなく雰囲気で判るわ」
じりじりと、両者の距離がつまってゆく。
一触即発の危機を孕んで。
「光くんは美鶴ちゃんのガードよろしく」
「ちぇ。じゃあ俺の出番ねーじゃんか。琴美姉ちゃん」
不満と信頼を台詞に乗せる風使い。
澪の戦士は、同数の敵に後れをとったりはしない。
絶対に。
「ぼやかないぼやかない。君は美鶴ちゃんのナイトなんだから」
力が覚醒した巫の姫であるが、だからといって護衛なしのノーガード戦法というわけにはいかないのだ。
若い男たち。
いずれも鍛え上げられた日本刀のような痩身。
ゆっくりと近づいてくる。
弓弦を引き絞るように緊張感が高まってゆく。
相対距離は五十メートル。
同時に地面を蹴る!
一瞬の後、衝突する野戦服姿の男女と平服の男ども。
ノックの音は四回。
敬意を示すたたき方だ。
澪では珍しい。なにしろ、ノックもなしに入ってくるような連中ばっかりなのだ。
副町長室である。
「どうぞ」
応じたのはこころ。
とくに理由があるわけではないが、集まっている幹部たちの中で、彼女が最も年少だからだ。
「失礼する」
渋いバリトンとともに扉が開き、男が入室する。
異相だ。
ある種の鳥を彷彿させるような顔。
それ以上に、まとう雰囲気がただ者ではない。
思わず息を呑む幹部たち。
ゆったりとした足取りで副町長の席へと歩み寄る。
暁貴が立ち上がり、男と正対した。
「お初にお目にかかる。北辺の魔王」
懐に手を入れた男が差し出したのは、名刺だった。
おや、と、暁貴は思った。
名刺を渡す際は、相手が読めるよう下側を向ける。
かなり基本的なビジネスマナーだ。
もちろん他にもいろいろある。渡すときの高さとか、名乗ってから渡すとか、目下の者から先に差し出すとか。
だが、それ以前に自分の側に下を向けるというのは、完全にありえない。
「依田孝実という。お見知りおきを」
「これはご丁寧に。澪町副町長の巫です」
それでも一応は暁貴も名刺を差し出した。
「魔王と名乗らないのか?」
「俺は魔王と自称したことなんぞ、一度もねえよ」
言葉を崩し、来客をソファへと誘う。
ごく自然な動作で沙樹とこころがつきしたがい、座した暁貴の後方に立った。
依田の顔に浮かぶ笑み。
なかなかに怖い。
魚顔軍師の笑顔もかなりあれだが、猛禽男も捨てたものではない。
「とてもとても失礼なことを考えている顔をしているぞ。北辺の魔王。信二に言われなかったのか? 容姿を論ってはいけないと」
投下される爆弾。
つまりこの男は、凪信二と知己だと言っているのだ。
「考えただけだぜ。口に出してないからセーフだろ」
飄々と受け止めるが、暁貴は脇下にわずかな汗を感じた。
何者か。
降り注ぐ視線。
副町長室の空気が帯電する。




