盤上の遊戯 9
庁舎に沙樹が戻ってきた。
何者かに呼び出され、席を外していたのだ。
「…………」
迎えた暁貴は無言だった。
「…………」
鉄心も無言だった。
ただ、お前がつっこめよ、と、互いに視線で牽制し合っている。
蒼銀の魔女の肩には、意識を失った男性がかつがれていたから。
「沙樹さん……それは一体……」
上司たちの無言の圧力に屈し、高木が訊ねる。
「逆ナンとか、そのへん?」
疑問系で応える魔女。
明らかにおかしい。
どこの世の中に、相手を気絶させて持ち帰ってくるボーイハントがあるというのか。
むしろ、それはただの狩りである。
「で、これは獲物」
どさりと男を床に置く。
「自分で獲物って言っちゃったよ……このひと……」
どんな女戦士だって話だ。
澪は、ど田舎でど辺境だが、いちおうは文明社会である。人を狩ってきてはいけません。
「本当のところは、あたしに接近してきたスパイ。自白して立ち去ろうとしたから、捕まえてきたー」
「きたーっておまえ……」
「立ち去らせてやれよ……」
魔王と鬼が首を振る。
状況はなんとなく想像がついた。
きっとこの男は、沙樹を籠絡することを諦め、自らの罪を告白して去ろうとしたのだろう。
どのような想いでそうしたのかは判らないが、行動としては、いわゆる男の美学である。
黙って見送ってやるのが、いい女の条件ではなかろうか。
「は。美学でおなかはふくれないのよ」
鼻で笑ってるし。
「そっすね……」
諦めきった表情の暁貴。
魔王は諦めるだけで済むだろうが、実務を担当する総務課長はそういうわけにはいかない。
「でも、連れて帰ってきてどうするんです? 情報を吐かせたところで、我々にはたいして利用価値もありませんが」
高木の言葉だ。
澪に諜報機関など存在しない。
より正確には、存在しなかった、である。
服属した鈴木と佐藤を放り込んで影豚隊を作っては見たものの、現在のところ、どのように使うかも定まっていないのだ。
「なんか帰還したら処分される的なこと言ってたからね。どうせ殺されるなら、うちで使った方がお得かな、と」
必要ないのに特売だからといってまとめ買いする主婦みたいなことを言う沙樹。
なんというか、人材というのはそういうものではないはずだ。
「まあ、二人より三人の方ができることの範囲も広がるだろう。そいつに澪に仕えるつもりがあるならだがな」
下顎を撫でながら鉄心が告げた。
スパイを何人か集めれば、それなりの組織を作ることができる。
諜報という点で、他の陣営に比して著しく劣位にある澪にとっては、持っておいて損はない駒といえるだろう。
「うちにゃあニンジャ隊もあるんだけどな」
「あれは戦闘部隊だ。諜報には役に立たんよ。判るだろう? 暁貴」
「まあな」
残念ながら鬼の頭領の言葉は事実である。
大昔なら諜報活動の主役となったであろうニンジャたちは、デジタル化が進んだ現代の諜報戦では活躍できない。
だからこそ、日本政府も彼らを使いあぐねていたのだ。
もっと自然に、違和感なく社会に溶け込めるようなスパイでないと、潜入任務すらこなせないだろう。
「たしかに、諜報組織をもつことができれば、この不利すぎる状況を少しはマシにできるかもですけどね」
肩をすくめる高木。
彼は、魔王の腹心として申し分ないだけの能力を持っている。
政治力も、組織運営力も、まず立派なものだ。
だがそれは謀臣としての能力ではない。
公明正大で、筋を通し、王にも直言を辞さない彼は、まさに澪の陽の面を象徴する人物だ。
そして、陽があるとすれば、蔭もまた必要となる。
高尚でもなんでもない考え方だが、綺麗事だけで日本や北海道と渡り合うことはできない。
もちろん諸外国とも。
「では、この男は澪で使うという方向で良いですかね?」
「だな。あとは本人の意志次第だが」
「大丈夫なんじゃない? あたしにベタ惚れしてるっぽいし。お願いすればイチコロよ」
「どっからその自信がでてくるんだろうね。このおばさんは」
「あぁん?」
「あ、いえ。さーせん。なんかさーせん」
とりあえず、魔王は眼光一つでイチコロだった。
ぺこぺこ謝っている。
「愚かな……」
「雉も鳴かずば撃たれまいに……」
ため息を漏らす盟友と腹心であった。
「これで、スリーカード」
ふ、と笑う美鶴。
「だいぶ強い手になってきましたわね」
楓が微笑した。
鈴木、佐藤に続いて、佐々木。
澪が手にしたカードは三枚。
「まだまだ下から三番目の役よ。楓さん」
ワンペア、ツーペア、そしてスリーカード。
「ですが、状況によっては、勝負に出られる手ですわ」
「楓さんはギャンブラーね」
強い役でなくても勝負はできる。
勝負とは相対的なものだからだ。
ようは敵を一枚上回れば良いだけ。圧倒的に強い必要はない。
ロイヤルストレートフラッシュで勝とうと、ワンペアで勝とうと、勝ちは勝ちだ。
ではどうして強い手を求めるかといえば、敵の手が判らないからである。
「スリーカードで勝負できるって読む?」
「いいえ。ですが、これ以上、手は良くならないかもしれませんわ」
「それはあるかもね……」
最初から味方に近い立ち位置だった鈴木を除いて、二人が澪に寝返った。
これこそ望外のことだろう。
あと何人の諜報員が潜入しているか判らないが、すべてを寝返らせることができると考えるのは、いささか甘い。
であれば、手持ちのカードで勝つ方法を探るしかない。
「信二さんなら、どうするかしらね……」
「それは言わない約束ですわ。美鶴さま」
澪の仲間たちは、比べるようなことを口にしない。
気を使っているから。
だが、彼女たち自身が一番よく知っている。
魚顔軍師の有能さを。
そこに至る道のはるかさを。
彼はここにいない。
きっと頼めば戻ってきてくれるだろう。自分の修行を中断してでも。
しかしそれは、美鶴も楓も望むところではない。
「半人前のわたくしたちですが、二人なら信二さまに劣りません」
「そうよね」
「ただいま」
決意を新たにしたところで、巫邸に佐緒里たちが帰ってきた。
暁の女神亭の山田シェフの調査に赴いていたのだ。
「はやかったわね。佐緒里姉さん。収穫はあった?」
居間で出迎えた美鶴が訊ねる。
「うむ。あいつはシロだ」
断言する鬼姫。
「……どうしてそう思ったの?」
一瞬の沈黙を台詞の前に挿入する第二軍師。
なんだろう。
とても嫌な予感がした。
「これをくれた」
どんと座卓に何か置く。
ふわりと良い香りが漂った。
「……何をもらったの?」
「塩豚のロースト、と、言っていたな。まずは食べてみよう」
包装を解いてゆく。
顔を出したのは、香ばしく色づいたカタマリ肉である。
「……言いたいことはたくさんあるんだけど、とりあえず食べるわ」
「ソースももらってきた」
取り皿を並べて、スライスしてゆく鬼姫。
料理上手な姫だけに、見事な手並みだ。
食欲をそそる桃褐色のロース肉。添えられたペリグーソースとのコントラストが美しい。
塩豚というのは、ようするにカタマリごと塩漬けにした豚肉である。
丸二日ほど。
そのあとに塩を落とし、オーブンで丁寧に焼き上げる。
ただそれだけの料理だが、岩塩と黒胡椒、そしてにんにくの香りがほのかに漂う絶品であった。
「おいしい……」
思わず美鶴が、ほうとため息を漏らしたほどである。
五十鈴とはまた違う意味で、澪豚の魅力を最大限まで引き出している。
柔らかく、優しく、なのにどこか野趣があり、たとえていうなら、
「少女から女性へと変貌を遂げる。その一瞬の煌めき……」
楓が呟く。
南フランス。
太陽の光をいっぱいに浴びて育った少女が、美しく磨かれ社交界へとデビューを果たすように。
さなぎから羽化する蝶のように。
うむうむと、光則と佐緒里が頷いている。
「ヤツはシロだ。これほどの料理を作れるような男が、悪人のわけはない」
言い切っちゃった!




