盤上の遊戯 8
「率直に問おう。貴様は何者だ」
佐緒里の声が厨房に響く。
暁の女神亭の。
鬼姫が対峙するのは山田。五十鈴の推挙によって雇用された料理人だ。
「何者と言われましても、ナマモノとしか答えようが……」
「誰が上手いこと言えと」
鬼姫の手には深紅の槍。
親友の形見であるが、まちなかで振り回すようなものではない。
「やー さほど上手いことは言ってないと思うぞ?」
一歩さがったところに立つのは坂本光則である。澪の血族の中では最弱を自称する砂使いで、佐緒里の恋人だ。
なんだか変なカップルだが、穂先を突きつけられている料理人としては、寸劇を楽しむ気分にはちょっとなれないだろう。
「なんなんですかいったい……」
両手を挙げたまま問いかける。
「貴様にはスパイ容疑がかかっている」
「スパイ……?」
「和菓子薄五十鈴の味を盗もうとしたな?」
「く……っ」
決めつけられ、唇を噛む山田。
「貴様が日ごと夜ごとに、料理研究と称して薄五十鈴と腕を磨き合っていることは知っている。言い逃れはできないぞ」
料理人の命。
それは味付けの秘密だ。
澪豚料理の極意を、この男は盗もうとしている。
「だがっ 私もフレンチを五十鈴シェフには教えていますっ 一方的に教わっているばかりではないっ」
必死の形相で山田が言い返す。
それはその通りだろう。
互いに研鑽を重ね、真・澪豚カツカレーは新たなる領域に突入しようとしている。
家庭料理とフレンチの融合だ。
それはそれで素晴らしいことなのだが、
「びっくりするくらいどうでも良いな」
ぽこっと、光則が佐緒里の後頭部にチョップを入れる。
「なんで叩く? 光則」
「そもそもお前、ここにきた意味判ってるか? 佐緒里」
「判っている。山田は薄五十鈴の味を盗むスパイだから殺すのだろう」
「うん。まったく判ってねーな。お前」
なんで味を盗まれたくらいで殺さないといけないのか。
めんどくさいので、猫つまみして佐緒里をさがらせる光則。
「にゃー」
「にゃーじゃない。俺が話すからお前はおとなしくしてろ」
「是非もない」
「ええと……」
どうして良いか判らず立ちつくす料理人。
非常に可哀想だった。
「山田シェフ。あんたにスパイ容疑がかかってるのは本当なんだ」
「はあ……」
「もちろん味を盗むとか、そういう話じゃなくてな」
「では何を盗むのだ?」
「だからお前は黙ってろって。話が進まないから」
ため息を吐く光則。
こいつもけっこう可哀想である。
身振りで、そのへんに座ろうと提案する。
立ち話をするような内容でもない。
背もたれのないパイプ椅子を引っぱり出す料理人。
なんだか良く判らないが、この変な高校生カップルの話に付き合わないといけないらしい。
「それで、私にどのような嫌疑が?」
当然の問いである。
スパイとか、現実感がなさすぎるだろう。
「ようするに山田シェフが澪の秘密を探りにきたんじゃないかって話だよ」
光則が言った。
むしろ言っちゃった。
これでは、澪には秘密があるのだとわざわざ教えているのと同じである。
誰がバカ二人を派遣したのか。
人材不足といえばそれまでだが、世の中には人選というものがあるだろう。
「秘密があるんですか? 澪豚料理以外に?」
問い返す山田。
当たり前である。
思い切り視線を泳がすバカたち。
深く深く、料理人がため息を吐いた。
具体的には日本海溝くらいの深さだ。
「坂本さん。萩さん。いいですか? 私がスパイかどうか以前の問題として、こんな尋問は無意味です」
仮にスパイだったとして、そんなことを認めるわけがないし、そうでなかったとしたら、自分たちがスパイ探しをしているのだと大声で吹聴して歩いているようなものだ。
鼓笛隊の伴奏までつけて。
しかも、澪には秘密があるのだと、わざわざ告げるようなやり方。
「びっくりですよ?」
『デスヨネー』
声を揃える光則と佐緒里。
基本的には脳筋の二人だ。複雑な思考などできない。
「たとえば、私がスパイだったらどうするつもりだったんですか?」
「殺す?」
「いや、殺さないだろ。いくらなんでも」
首をかしげるカップル。
「まずそこがおかしいですよね? どうして方針が決まってもいないのに行動しているんですか?」
なんというか、疑われて怒るというより、呆れるというより、哀れになってきた。
子供のスパイごっこだって、もうちょっとマシだろう。
「だって……槍突きつけたら白状すると思ったんだもん……」
涙目佐緒里たん。
「や、その理屈はおかしいですからね? 白状したら殺すって言われてるのに、白状する人いるんですか? あと、その槍はゲイボルグって名前なんですか? なんでそうほいほい情報出すんですか?」
「萩に逃走はないことだ」
「意味わからないこと言ってごまかさそうとしてもダメです。文脈から察するに、坂本さんも萩さんも街の幹部なのですよね。にわかには信じられませんが、五十鈴シェフも若くして大シェフの顕職にある女性です。そういうこともあるのでしょう」
澪という街は、たしかに変わっている。
いくら天才的な料理人といえ、二十歳にもならぬ小娘が街の命運を賭けた公営レストランの総料理長というのは常識外だ。
「誰もそれを指摘しないのは、それが当たり前だからですよね。店の警備スタッフが外国人ばかりなのも同様でしょう」
ポーク隊のことである。
侵攻してきたアメリカ軍のうち、百五十名が本国への帰還を拒否して澪に帰順した。
彼らは虜囚から客人を経て、澪を守る者となった。
イベント警備、老人介護、町内清掃に土木工事の手伝い。
彼らの仕事は多岐に渡る。
まさしく万能のお手伝い部隊である。
トレードマークは、左胸に誇らしく掲げたブタのアップリケ。
「つまりこれが、澪の秘密なのでしょう?」
もちろん山田は戦いのことなど知らない。
「不法滞在者を大量に雇用し、就労させている。しかも街ぐるみで。たしかに絶対に守らなくてはいけない秘密ですよね」
ゆえに誤解した。
きょとんとする光則と佐緒里。
「大丈夫です。私はべつに入国管理局の人間ではありませんよ。もちろんチクったりもしません」
わだかまりを解くような笑顔。
「ポーク隊って違法組織なのか? 光則」
「知らなかった……もしかして俺らって犯罪者?」
残念ながら、高校生たちは見ていなかった。
ほそぼそと会話とかしてる。
「五十鈴シェフ……はやく戻ってきて……」
心の底から、フレンチの料理人が呟いた。
公園にひとり佇む男。
すっかり葉桜となった木々が、ざわざわと梢を揺らしている。
下草を鳴らし、律動的な歩調で女が近づいてくる。
「沙樹姉さん。お仕事中に呼び出してすいません」
「なにか用?」
表情が硬い。
ふたりとも。
沈黙が落ちる。
「……お別れを申し上げたくて」
佐々木が口を開いたのは、光が三百万キロメートルの旅を終えるころだった。
「理由を訊いても良い?」
「話さなくてはいけませんかね」
「いちおうね」
「たぶん、お察しの通りだと思うんですよね」
若い顔に浮かぶ、疲れたような笑み。
言わずに済ませたかった。
聞かずに済ませたかった。
だが、互いの立場がそれを許さない。
「君もスパイなんだね。佐々木くん」
「はい。沙樹姉さん」
「どうして白状する気になったの?」
「もうあなたに嘘を付きたくないからです。いままで騙していて、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
最敬礼などというレベルではなく、放っておいたら土下座までしそうな勢いだ。
「べつに実害はなかったわよ。ご飯も美味しかったしね」
沙樹が笑う。
「これは単純な興味で訊くんだけどさ。幼なじみのお姉さんって実在したの?」
「実在しましたよ。俺が十二のとき、妻子ある男性と駆け落ちしてしまいましたがね」
その後、どうなったかまでは知らないと佐々木が告げる。
「あたしにその人の面影を見たの?」
「お恥ずかしい限りで」
スパイ失格だ。
感情に流されてしまっては。
「で、このあとは?」
「組織に戻ります。おそらくは処分されるでしょう。任務の途中放棄ですから」
「ふうん」
興味なさげな沙樹。同情や共感をするつもりはない。
「短い間でしたが楽しかったです。沙樹姉さん。いつまでもご壮健で」
踵を返す佐々木。
瞬間、沙樹が動いた。
姿がぶれ、次に現れたときには、男の鳩尾に拳がめり込んでいる。
「な……ぜ……?」
「君はきれいに終わらせたかったかもしれないけどね。こっちにはまだ訊かないといけないことが残ってんのよ」
ずるずると佐々木が膝から崩れてゆく。
「戻ったら処分されるというなら、その前にいろいろ語ってもらわないとね」
「…………」
声が響く。
「語った結果として戻れなくなるのは、まあ仕方ないわよね」
意識を手放す寸前、やっとの思いであげた視線。
蒼銀の魔女。
秀麗な顔に浮かぶ笑みは、とても優しげだった。




