外伝 魔人族の少女(前編)
外伝です。
魔人族パンテラ氏族の族長の娘、サラール。
卓抜した技能を持つ間諜であり暗殺者であり、そしてダナン領における公式な立場は、『魔皇の婿』。
夫唱婦随を是とするこの世界において、彼女は『漂来王』である柳二郎という少年の『夫』である。つまりは『家長』ということで、『ヤナギ氏族』ではもっとも偉い人間(魔人族)という事になる。
そのサラールの目の前には、高価な姿見がある。
いや、正確には『二郎の世界の姿見』で、魔皇兄弟の感覚ではそれほど高価な代物ではない。しかし『フロート法』という溶融した高熱金属の上にガラス板を滑らせることで表面を平滑化し、銀を蒸着鍍金したガラス鏡は、金属表面を研磨することで製造されているこの世界の鏡など比較にならない大きさと透明度、そして反射性能を持っている。
ダナン領にもガラスはありガラス職人も居ることは居るが、作れても緑がかった手のひらサイズのものが精々で、裕福な教会が色を焼き付けしたガラス片を鉛で継ぎ接ぎし、聖典にちなんだ宗教画を作るのに使われている程度だ。なおこの宗教画は二郎の世界にも同様のものがあるようで、魔皇兄弟は『ステンドグラス』と呼んでいた。
そしてサラールが初めてこの大きな鏡を見たときは、『まるで水晶の板の向こうに、別の世界があるみたいだ』と思ったものだ。
——けど、あン時はウチ、どんな顔してたかなぁ。
サラールの全身を映す姿見の中には、家政婦姿の彼女が居る。炭を塗したような肌の色と金褐色の瞳以外は、ヒト族と変わるところは特に無い。全体的に薄い体型をしているので、時折『もうちょっとあるほうがエエなぁ』と、最近ダナン領へとやってきたヒト族の神託騎士の胸元辺りを気にする事はあるが、時間が解決してくれるとサラールは思っている。特に『揉まれればでかくなる』という言い伝えは、なんと漂来王の世界にも共通して存在するらしく、サラールとしてはぜひ実践してもらいたいと思う所だ。
鏡の中の胸元を見て余計な方向に逸れかけた思考を、あわてて本道に戻す。
この姿見は、サラールが二郎にねだって譲り受けたものだ。この世界基準で言えば王侯貴族でも持ち合わせの無い希少品だが、二郎は快く譲ってくれた。以来、この姿見はサラールにとって二番目の宝物である。なお、一番は『嫁』である二郎本人となっている。
姿見の中には、快活そうな少女が生き生きとしている。自分で見ている自分の姿にそのような感慨を思うのは、つくづくサラールの人生が一変したからだと、彼女は思っている。
——昔は『ちゃんと化けられているかどうか』しか、見てなかったもンなぁ。
サラールは、変装には自信がある。身長のような変更の難しいいくつかの制限はもちろんあるが、少なくとも『目的に沿った他人』に化けることに関しては、氏族でも随一の腕前という自負がある。
だから、サラールは『本来の自分』を鏡で見たことは、ほとんど無い。
その機会をくれたのは、二郎だ。だから、サラールは『夫』として誠心誠意、二郎のために在ろうと考えている。
思い返せば、ほんの一年ほど前の話だ。
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『新たな漂着者』の報は、ダナン地方では極めて早く伝達される。
当時の漂来王である『賢王』パーテンがダナン地方を治めて百と余年。異界の妖精種であるパーテン老が『駅伝制度』を構築して以来、その速度は百年前より倍以上になった。この『駅伝制度』を次代の漂来王の兄、後の『皇兄殿下』こと柳太一郎がさらに『郵便制度』に進化させるのだが、この話は一端置いておく。
ともかく長命種とはいえ百年も政務を執り行っていれば、制度疲労も起こすし失策も増える。漂来王パーテンは官僚機構の構築によって領地運営を維持していたが、経済対策が官僚組織の維持限界を超え、かなりの危機的な状況になっていた。もちろんパーテン老も限界を感じており、新たな漂着者の到来を、パーテン老は誰よりも喜んだと言われている。
もっとも、『異界の建物丸ごと』と『漂着者が二人』という事態は想定していなかったようだが。
ともあれ先代、今代と、漂来王不在期間が無い状況というのは案外珍しいものらしく、とりあえず柳兄弟を合わせて三代分の引き継ぎを行い、パーテン老は漂来王を辞任した。
なお、パーテン老の前任者はヒト族世界で『殺戮の魔神』と呼ばれた、魔族(自称)のヴェロキという人物なのだが、彼も相応以上の長命種らしく市井に下りて今なお気楽に暮らしているという。ちなみに彼は百五十年ほど前にダナンの地へ攻めてきたヒト族の混成軍おおよそ二十〜三十万人ほどを鏖殺にした事があり、彼が今なお存命である事をヒト族国家ないし宗教組織が認識していれば、ヴォータン教皇が『聖戦』を発しても応じることは無かっただろう。彼の伝説は真実、ヒト族にとっては精神的外傷なのである。パーテン老が漂来王を辞めた後は、どうも意気投合して安酒場で二人、よく飲んだくれているらしいが。
そして紆余曲折あって、それまでのダナンの常識を覆す『弟子相続』が発生し、漂来王は柳兄弟の次子、柳二郎が就任した。二郎は『王兄殿下』である太一郎に経済施策をほとんど一任し、貨幣経済を復旧させた。
以降、雇用の創出や奴隷階級の解放と抱き合わせの『屯田制度』などを推し進め、最少の出血でダナン地方の経済を立て直したのは、異国を含め多くの人々が知るところである。
サラールはその頃、いわゆる『裏稼業』を生業としていた。いや、実を言うとサラールに限らず、あるいはいパンテラ氏族に限らず魔人族はほとんど全て、コロシや盗みや営利誘拐で生計を立てていたのだ。
その頃のサラールは、『新しい漂来王』に、何の興味も持っていなかったと思う。いや、実を言うと世の中の全てに興味を持っていなかった。
依頼を受け依頼をこなすだけの、単なる社会機関。多分、その程度の認識だったと思う。歴代の漂来王が魔人族に何かしてくれたという事も無いし、汚れ仕事を依頼してきた漂来王もかつては居たらしい。どちらかというと内政が苦手なヴェロキ漂来王は、在任中に何度か魔人族を使った事があるという。
仕事をすれば、多少は利益が上がる。サラールが興味を持っていたのは、新たな漂来王が魔人族を『使うかどうか』ぐらいの話だった。
そして、そう間を置かずに漂来王がらみの依頼が来た。依頼人はヒト族の貴族で、依頼内容は『漂来王を誘拐の上で殺害せよ』だった。おそらく新たな漂来王の施策に、不満のある貴族の依頼なのだろう。
ただ、依頼内容に珍しい付帯事項が三つほどあった。一つは『依頼中止』の符丁が決まっていたこと。もう一つは『漂来王の死に際の言葉を依頼者に伝えること』。三つ目は『必ず魔人族の本拠地にて殺害を実行すること』であった。
前者は、まあ分かる。状況の変遷によって依頼の中断が必要な場合もあるはあるので、前例が無いわけではない。二つ目については、おそらく依頼人にとっては相当な恨みがあるのだろう。
だが三つ目については、まったく前例が無い。魔人族にコロシを依頼するのは多くの場合見せしめ目的であり、『人知れず行方不明』では『基本的な目的』を達する事が出来ない。
ただ、前例が無いから依頼を受けないということも、魔人族にはあまり無い。必要な下調べを十分に行い、罠であればそのような目論見をした者に制裁を下す。そして今回の依頼に不審な所は見当たらず、報酬の受領と共に依頼は受諾され、実行された。
依頼を実行したのは、サラールと他に二名の魔人族である。氏族は違うが腕利きがそろっており、そして計画通りかつ予定通りに『新たな漂来王』である少年を誘拐し、誰に知られる事も無く魔人族の本拠地まで連れ去った。
『新たな漂来王』は黒衣の少年で、年の頃は十代半ばらしいのだが、扁平な顔立ちと童顔で十五になったサラールよりも数才は年下に見えた。パンテラ氏族の本拠は山岳地帯の洞窟の中にあり、つまりは天然の要害であって氏族の者の案内が無ければ侵入も脱出も不可能である。ヴェロキ元漂来王なら山ごと吹っ飛ばせるかもしれないが、目の前で失神している黒衣の少年にそのような戦闘力があるとはまったく思えない。
実に、『貧弱な坊や』であったのだ。
漂来王も一応は『王』なのだから、このような柔弱の徒を王に戴くのは、別の意味でダナンのためにならないかもしれない。サラールはなんとなく、そのような事を考えていた。
それが『大いに間違い』である事は、すぐに知れるのであるが。
依頼の完遂には、漂来王であるこの少年の『死を前にした言葉』が必要である。どのように無様な様子をさらすのか、いや、死ぬ前に少しぐらい痛めつけた方がいいのかなどと考えながら、気付け薬で意識を戻し猿ぐつわを外すと、少年はしばらくぼうっと周囲を見渡し現状を把握した後、おもむろにこう言ったのだった。
「合い言葉は、『我思う故に我あり』です」
後編は明日投稿します。すでに予約投稿済みです。
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