エピローグ
黒髪の童が一人、ダーナの街を歩いていた。
どうという事の無いただの子供に見えるが、身綺麗だし育ちも良さそうなので、あまり位の高くない貴族の子供か商家の子供のように思える。お付きに武人然とした男性が居るので、どちらかというと商家の子供のように思えた。位の高くない貴族の子供はあまり身代金が取れないから、護衛を付けるのは裕福な商家のほうが多い。
「誰も、魔皇陛下だとは思っていないようですな」
「気づかないふりをしてくれているんですよ、きっと」
武人の付き人——グロースが小さくつぶやいた言葉に、魔皇陛下こと柳二郎が答える。確かに、いわゆる『お忍びのお出かけ』なので二郎も学生服は着ていないし、グロースもずいぶん雰囲気を変えている。
しかしグロースからすれば、もし道行く人々(異種族や不定型な『何か』も居るが)が二郎を気遣い『気づかないふり』をしているのであれば、少なくとも今歩いている通りに居る面々は全員、役者か間諜になれるだろう。
それぐらい人々に不自然さが無いわけで、つまりは「誰も本当に魔皇だと気づいていないんんだな……」と、グロースは思うのだ。
それは、平和な光景そのものでもあった。
魔皇兄弟の物騒な告解から数日。後に『魔皇陛下と四十人の嫁事件』と呼ばれる一連の騒ぎは、非常に短期的な情報の流通の後に、一気に終息した。
大した話では無い。ダナン領の最高責任者が神託騎士ラヴィン・ケイマンに代替わりし、『為政者の伴侶』を狙っていた面々が、皇兄殿下がなにやら一言二言吹き込んだ結果、そろって話を白紙に戻すことに同意したのだ。
現在二郎の元に残っている婚姻関係の話は、『一人の婿』であるサラールのみとなっている。こちらはパンテラ氏族の氏族長であるサラールの父君が、皇兄殿下が何を言っても頑として譲らず現状維持されたままになっている。幸いなのは、サラールの父君に権力的な野心が無い事だろうか。
また、皇兄殿下はロマ嬢との婚約も白紙にしようかと考えたようだが、こちらもロマ嬢が断固たる態度ではね付けている。具体的には『かなりの攻撃的な魔術』が行使され物理的に黙らされたらしい。
辣腕で知られる皇兄殿下を、唯一かつ文字通り『問答無用』でねじ伏せられる女傑としてロマ嬢の名は広く知れ渡る事になるのだが、それもまた後の話だ。
グロースを護衛に伴った二郎は、商店街の一角で足を止めた。そして『品物』を物色し、気に入ったものを選んで包んでもらう。代金を普通に支払い振り返った二郎の顔は、年相応の少年の顔だった。
「どうです、グロースさん」
「さあ……自分にはよくわかりませんな」
魔皇陛下の買い物は間違いなく『贈り物』なのだろうが、あいにくグロースはそういう物に対する造詣は深くない。ふと、腕を頼りに千人長まで上り詰めても『そういう機会』は無かったな、と自分の半生を思い返す。
そう考えると、今の魔皇の姿は、とてもまぶしく思えた。
「じゃ、戻って『一戦』してきます!」
「そうですか。そうですね、では魔皇陛下、ご武運をお祈りしています」
グロースはそう言って、心から魔皇の『戦い』を応援するのであった。
▲▽▲▽▲▽
「……ケイマン卿、ケイマン卿!」
「は、はひっ!」
『漂来王の執務室』で呆けていたラヴィンは、補佐官として傍らに立つ皇兄殿下の声で現実に引き戻された。目の前には決済を待つ書類の束と、陳情の数々が山となっている。『現実』を目の当たりにしたラヴィンは、重く長いため息を吐いた。
——何かこう、思っていたのと違うなぁ……。
尼から一転神託騎士となり、そしてダナンの地を治める領主となった現在までの流転変転や毀誉褒貶を考えると、自分の足下には何も無いような感覚に襲われる。
そもそも、二郎も太一郎も、現世に立脚した考えや感覚が薄い。異世界人なのだから当然なのかもしれないが、そも彼らは、彼らをこの地に使わした『神のごとき何者か』を明確に敵視している。
その結果としてラヴィンは今、ペンを武器に書類という悪魔と、終わり無き戦いを戦っているのだ。そんな結末の英雄譚は、寡聞にしても聞いたことが無い。というより物語はあくまで物語であって、たとえ竜を退治した英雄であろうと日常から逃れられる事は出来ないのだ。
英雄譚だと時に天上へ、あるいは精霊の国へと消え去るような物語もあるが、死なずに現世にとどまった英雄は全員『現実的に幸せに暮らしました、めでたしめでたし』だったのだろうとラヴィンは思う。ましてや王様になったりした英雄などはきっと、ラヴィンのように書類に囲まれながら「決して後進の英雄にはこのような面倒くさい現実は伝えるまい」と、微妙な笑みを浮かべていたことだろう。
ラヴィンも、もし英雄らしい人物に出会ったら、大いに励まして同じような表情で見送ってやろうと考えている。
「それに——」
と、ラヴィンは、やはり魔皇こと柳二郎の事を考えてしまう。
『四十人の嫁事件』については、現在は誤解が解かれ、平時に戻ったと考えていいだろう。ラヴィン個人としても、取り乱しはしたものの魔皇兄弟の目指すところ知り、今となってはその行動に否を唱えるつもりは無い。
そして認めてしまえば、二郎の有り様は『得がたい君主の才』を持つ『英雄』そのものに見えるが、同時に、やはり『限界ある人の身』なのだと分かる。
そして人は、時に立ち止まり、休まなければ生きてゆけない。
その時、自分が傍らに在っても、いいのではないか?
最後の書類の決裁を終わらせ、ラヴィンは『漂来王の執務室』を出ようとした。無性に二郎に会いたかった。会って何を話すべきか頭の中には無かったが、きっと『会えば分かる』とラヴィンは思っていた。
そこに、来客の知らせが来た。ラヴィンは気持ちが急いていたが、正式な来客となれば最低限顔を合わせる必要がある。先送りするにしても、『先送りするので改めて』という手続きが必要なのだ。
「こんにちは、ケイマンさん。お忙しいところすいません」
だが、来客は二郎だった。いつもの黒衣を装備し、一種の『正装』で来訪したのだ。二郎が声を発した瞬間、ラヴィンの頭の中にあったはずのものが、全て吹っ飛ぶ。
二郎は両手で抱えるような花束を持っており、それがラヴィンの心臓を、どきりと跳ね上げさえた。
二郎がめずらしく人前で深呼吸し、意を決したように口を開く。
「ケイマンさん、すぐというわけではありません。僕が十八になるときに、僕とけキュ」
「けキュ?」
二郎の言葉が、途中で不自然に止まった。そして花束ごと床に頽れる。その背後にいつの間に立っていたのは、魔人族の少女サラールだった。
「いやー、あぶなかったわー」
『いい仕事しました』的な爽快な笑顔を見せて、サラールがひたいの汗を拭う。どうやらこの魔人族の少女は、なんと背後から魔皇を絞め落としたらしい。
「なっ、なっ」
唖然と驚愕と怒りの混じった声でラヴィンが叫び声を上げようとしたところで、正面の扉を弾き飛ばすかのような勢いでブリンクとレーネが飛び込んでくる。二人とも顔に『遅かったか!』と大書されている。
その様子を見て、ラヴィンは大方の事情を把握した。
つまり二郎は、自分に『花束を持って現れるような用事』を携え来訪し、その『妨害』をサラールが画策し、おそらく魔皇の行動を支援していたブリンクとレーネの阻止行動を振り切って、この場に現れ魔皇を絞め落としたのだろう。
男性が女性に花を贈る意味は、おそらく異界でも現世でもそう変わらないはずだ。ラヴィンはこの魔人族の少女が、いまこそ真の意味で『女性として』対峙しているのだと理解した。
サラールが「にししし」という『悪い笑顔』で言う。
「ウチのヨメから『自分自身の言葉』をもらうンは、もうちょ〜っと待ってもらうで。『アレ』は今ンところ、ウチだけのモンやからな〜」
言われてラヴィンは、二郎が重要な発言の多くを『異界図書館』の蔵書から引用していた事を思い出す。
つまり、『ついに』とか『やっと』とかそういう階梯で、二郎はラヴィンに『自分自身の言葉』を携えて来たはずなのだ。
「ふぇ……」
ラヴィンのまぶたに、涙が盛り上がった。サラールは前にも似たような状況に遭遇していたので、すぐさまとって返してその場を逃げ出した。
「ふぇええええええええええん!」
ラヴィンは泣いた。泣きわめいた。
口惜しいほど残念だった。でも、二郎が『自分の言葉』を携えてくれていたことが、うれしくもあったからだ。だから、うれしくて泣いた。
大人達はそんなラヴィンの様子を、困ったように見ていた。
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魔皇陛下が神託騎士に『心からの言葉』を伝えたのは、それから数年越しだったと言われている。
その時ダナン領では上を下への大騒ぎがあったらしいが、残念ながら史記に記された事は少ない。なぜなら、当事者らしい誰もが全員、微妙な笑みを浮かべたまま黙り込んでしまうからだ。
後年、ヒト族に比べて破格に寿命の長い妖精族のロマ嬢が、わずかに言い残した言葉がある。
「『図書室の魔皇様』の物語は、『めでたしめでたし』で良かろう」
おわり
『図書室の魔皇様』は、ここで一端区切りになります。
拾っていない伏線など多数ありますが、今のところは「多くは皆様のご想像にお任せします」という感じで。
初投稿から数年越しという長い間、お付き合い下さった皆様には、最大の感謝を。
一応『完結』という処理を行いますが、短編をいくつか書こうと思っています。例えば魔人族(本家)が、魔皇によってどのような改革を果たしたのかとか。ネタはいっぱいあるんですけどね。
ともあれ、最後までお読みいただき誠に感謝の極み。また何かを書くと思いますが、ひとまずこれで筆を置こうと思います。
では、またお会いしましょう。




