16 図書室の魔皇様(解答)
ダナン領における『魔皇が娶る予定の妻の数が四十人』という話は、実は皇兄殿下がかなり気を使って領民にも秘匿していた話だった。
『人の口に戸は立てられない』という例えがあるように、秘密はそう簡単には守れない。『ここだけの話』などというのは存在しないものであり、誰かに話した瞬間、秘密は確実に秘密では無くなる。
なので太一郎は、弟の婚姻関係の話に限っては完全に自分の管理下に置き、婚姻に関わる当事者——つまり嫁候補の女性と、その家族でも限られた人物にしか関わらせないようにした。
そして『貴家と魔皇との婚姻は特別である』と匂わせる事で『自主的に黙ってもらった』のだ。
誰しも『自分だけが特別』と思えば、利益が確定するまで黙り込むものである。こと為政者の第一夫人ともなれば、外戚として得られる利益がどれほどのものになるか。ましてや今代の漂来王は、経済政策においてこの百年どの漂来王や貴族や豪商も成し得なかった、大成功を収めている。婚約を公表すれば競争相手が出現したり、あるいは妨害者が現れるような事態にだってなりえるだろう。
だから、当事者達は黙った。太一郎にとっては、一種の『インサイダー取引』を演出したわけである。
太一郎はそうやって、事態の全体像を他の誰にも把握されないようにしていたのだ。ついでに自分の婿入りを話題として周囲に振りまき、最大限の欺瞞活動も行った。
しかしながら巡見使のブリンクは、遊び人であっても間諜としては超がつく一流である。巷間に広まる話のほんのわずかな差異や違和感から、本人曰く「ちょっとした好奇心」で調べ始め、そして彼は数日を待たずに現状を把握した。
ブリンクはその情報を、『魔王討伐隊の大人組』で共有したのだ。そしてグロースの判断で、「この話はケイマン卿にはしばらく秘密にしておこう」という事になったのである。
グロースの判断の理由は、先刻当人も言っていたが、『ラヴィン・ケイマンの少女らしい潔癖な内面に配慮して』である。この事が判明したのは『枯れ野の平原』での事件の後であり、からかい半分でもラヴィンに『政略結婚』を薦めたという大人組の心理的な微妙さも、多少はあっただろう。
結論として、現在おおいに取り乱しているラヴィンの姿を見れば、その判断は正しかったと言える。もう取り返しはつかないが。
うかつに話を漏らした、ブリンクの罪は重い。
「それにしても——」
と、グロースは言う。
「——なぜ皇兄殿下は、このような奇怪な画策をしたんだ? 魔皇陛下が望んでこのような真似をするとも思えないのだが……」
そう。実はブリンクも、『魔皇兄弟がこんな面倒くさい事をする理由』だけはつかんでいない。よって、グロースを始め元討伐隊の大人達も、完全には状況を把握していない。
皇兄殿下はしばし瞑目し、諦めたようにため息をつくと、重そうに口を開いた。
「この『ダナンの地』は、『漂来者』によって成り立っている。いや、依存していると言った方がいい。俺たちはこの世界において『異物』でありながら、何者かによって『同化』を強要されている」
「『何者か』というのは……何なのだ?」
サムスの問いに、皇兄殿下は「さあな」と答えた。
「なんらかの『超越者』には違い無いだろう。神でも悪魔でも天使でも邪神でも何でもかまわないが、少なくともこの『漂着者』という『機構』を創造した『何か』だ。俺が画策したのは、そんな『何か』に対するちょっとした反抗さ」
そう言って、皇兄殿下は場に居る面々を見渡す。
「漂来王と誼を結ぼうと考えるのは、この機構の恩恵を強く受けている者達だ。具体的にはダナン領を中心とした有力者だな。そんな連中をまとめて虚仮にしたら、どうなると思う?」
「『漂来王』の評判は地に落ち、その『機構』は破綻する……」
「その通りだクロウ氏」
クロウが思わずと言った態でつぶやいた言葉を、皇兄殿下は肯定した。室内に、ざわりとした空気が満ちる。
「しかし、そんな事をすれば貴君らはどうなる? 支援者を失い悪評を背負い、ダナンで、いや、この世界で生きて行く事が出来るのか?」
「まあ、無理だろうな。良くて暗殺。悪くてのたれ死に。寄る辺なく生きる場所も無い俺たちに、およそまともな未来は無いだろう」
「死ぬぞ」
「そうだな」
皇兄殿下の覚悟の言葉に、誰もが黙り込んだ。
「あなたたちに分かりやすく言えば、この『漂来王』という仕組みはサムス氏の『癒しの奇跡』のようなものだ。聖職者は『奇跡』と言い魔術師は『魔法』と呼ぶ。しかし『癒し』は『癒し』でしかない。そこには正邪も善悪も無い。ただそうあるだけの代物だ。俺は『超越者』と表現したが、漂来王とは案外もっと単純な、ただの自然現象なのかもしれない。だが、確かめる必要があると、俺も二郎も強く考えている。なぜなら、あまりにも多くの人命とその人生の責任を持たされたからだ」
「貴君らは、『神』にでも挑もうというのか?」
「『超越者』それがもし『神』だとしても、答えは『肯定』だ」
グロースの問いに、皇兄殿下が即答した。
後を受けるように、二郎がしばらくぶりに口を開く。
「故郷に、こんな言葉があります。『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん』。『臨済宗』という、故郷の宗教の法語です」
「ずいぶん物騒な教えじゃな」
レーネが言う。『殺す』という言葉に反応したらしい。
それに対し、二郎は「そうでも無いんですよ」と柔らかく応じた。
「この言葉は『殺仏殺祖』という考え方で、仏、こちらで言うなら神でいいでしょうか。『神や祖先や父母などの情に惑わされず、神も魔も弁別出来る人間たれ』という教えです。神仏父母祖先の情を殺し、自己を確立、つまり『自立せよ』と説いているんですよ。そして——僕たちは、この世界で『神』あるいは『その使徒』のようなものとして生きることを、由としない事に決めました。この世界は、誰よりも『この世界の人々』によって、あるがままに在るべきです」
「神から自立せよ、と……?」
うめくように言ったのは、バ・ドムだった。
魔皇兄弟の言は、すでに異端などという階梯を超えている。バ・ドムに言わせればそれは——
「神殺し——を為すつもりなのか、貴様らは」
——という事になる。魔皇兄弟は、やはり首肯する。
「ばかばかしい」と、笑い飛ばす事も出来るだろう。いや、「ばかばかしい」と笑い飛ばすべきだ、と、バ・ドムは思った。
だが、言葉が前歯より出てこない。彼は、実際に見ている。兄弟たった二人で、三カ国二十万もの軍勢に対峙し、政治的な勝利をもぎとったこの異界人の姿を。
『超越者』に比べれば、人界の軍勢など、彼らにとって物の数では無いのかもしれない。
皇兄殿下が、言葉を重ねる。
「そんなわけで、俺たちは『決定的な敗北』を喫するために、準備をしていたわけだ。ただ、『万事滞りなく』というわけにはいかなかった。その一つが『一人の婿』だ」
全員の注目が、サラールに集まる。彼女はラヴィンたちと出会ってから一貫して、二郎の事を『ヨメ』と呼び続けている。おそらく、ラヴィン達と出会う前からそうだったのだろう。
『嫁』の対義語は、当然の事ながら『婿』となる。ラヴィン達は異国、あるいは異種族特有の言い回しと思っていたのだが、どうやら違うらしい。
サラールが「にししし」と歯を見せる、『悪い笑顔』をして一同を見渡していた。
「ウチら魔人族は、まあだいたい日陰者やったンよ。暗闇の中でコロシの技術を磨いて、痕も残さず消えるワケや。けど、ジロウはんが、おとんとウチの一族を日向に引っ張り出して、生計の立て方まで整えてくれはった。せやから最初、おとんはウチをジロウはんのヨメとか妾にしよう思うたんや。んで、もちろん下調べしたワケやな。そしたら、なんか妙な事してるやろ? せやからおとんはタイチローの兄ぃやジロウはんに、一族をあげてこっそり張り付いたンや。そしたら、おとんがどこかで気づいたワケや。『今代の漂来王は、漂来王を必要としない世界を作ろうとしている』ってな」
そこまで言って、サラールの目が伏せられる。
「ウチらみたいなコロシしか出来ないような連中は、ダナン以外にもようさんおる。けどジロウはんは、皆が堂々とお天道様の下を歩けるような道を作って、自分たちだけはババ引くつもりやったんよ。それがおとんもウチも、どうしても許せんかったんや。せやからおとんはジロウはんの嫁取りの話をした時に、『部族の慣習に従い、漂来王陛下を我が部族の『嫁』としてもらい受ける』言うて、押し切ったんや」
「そんな慣習が実は過去に存在せず、サラール嬢の父君に『魔皇陛下を嵌めるために興した、新たな慣習だ』と言われたときは、一本取られたと思ったがね。こちらでは夫唱婦随が主流。おかげで我が弟は、『夫君』であるサラール嬢に、家庭内における主導権を一部握られてしまった上に、魔人族の主筋の一人に組み込まれてしまった」
ダナン地方では、漂来王が慣習として王権を持つ。しかしサラールらの画策により、その上に魔人族の一部族が立つ形になった。そして魔人族は、世間に出てきたばかりの新参者である。
まるで、何もかも曖昧になってしまった、『枯れ野の平原』の一幕のようだった。
「だが——」
グロースが声をあげた。
「だが、理解できん。まるで自分が阿呆になってしまったかのようだ。そのような——そう、『敗北』だ。敗北の上に二人は何を築き上げ、どのような未来を描こうと言うのだ」
「拙者も同感だ。敗者の上に栄光が輝く事は無い。貴様らが『王』であるのならば、いや、今現在王である以上——」
バ・ドムが、そこまで言って言葉に詰まった。そう——
「バ・ドムさん。我々は今、『王』ではありません」
——なのだ。
二郎の言の通り、彼ら魔皇兄弟が持っていた権威は全て、神託騎士であるラヴィン・ケイマンに委譲されている。
「そうか……そういうことだったのか!」
バ・ドムの表情に、唐突に理解の色が広がった。
「貴様ら、『神』を謀ったのか!」
そう言うとバ・ドムは、腹の底からおかしそうに笑い出した。周囲がその様子に、不審の表情を見せる。
「バ・ドム卿、どうしたのだ? 何が分かったんだ?」
グロースの問いに、バ・ドムは図書館の椅子にどっかと座り、バシンと膝を叩いた。
「グロース卿、今次聖戦の発端は何だ?」
「ケイマン卿の死報を、ヴォータン教皇が利用したのが始まりのはずだが?」
「違うな。最初の始まりは『神託』、正しくは『神託の奇跡』だ」
グリフ王国人達が皆、「あっ!」という表情をする。
そう、『魔法』や『奇跡』に例えられる不明瞭な能力の一つである『神託の奇跡』。魔術師の世界で言うなら『予知の魔法』。教会が、あるいは魔術協会がその予言を担保し、ラヴィンが登場して今回の大騒ぎにまで事態が発展した。
バ・ドムが言葉を続ける。
「『神託』を下せるのは『神』だけのはずだ。いや、今となっては本当に神なのかも怪しいが、とにかくケイマン卿の出現によって、事態が大きく動いた。そして魔皇兄弟は、貴様ら『討伐隊』か『三国同盟軍』に討ち取られるはずだった。それが、『神託を発した神の計画』だったのだろうよ。だが、貴様ら魔皇兄弟はそんな神の計画を手玉に取り、『軍事的敗北、政治的勝利』という逆撃に転じた。違うか?」
「バ・ドム氏が言うとまるで大した成果を挙げたように聞こえるが、俺たちが目指したのはもっと俗っぽい結末だ」
「それは?」
「神の目的を達成させないように、邪魔をすることさ。単なる『嫌がらせ』とも言うな」
皇兄殿下の言葉に、バ・ドムが豪快に笑い出した。よほど気に入ったらしい。
一通り笑い倒すと、バ・ドムは皇兄殿下に問いを発した。
「それで貴様ら魔皇兄弟は、これからどうするつもりなのだ?」
「状況を整理し直して、目標の達成を目指すさ。ケイマン卿がダナンの地を治めてくれているから、我々は漂来王である必要も無いし、自滅覚悟の極端な作戦に出る必要も薄れた。非効率的で効果的でも無いとなれば、方針や作戦だって見直さなければならない。そういう意味では、実のところ完勝にはほど遠いな」
「だが」と、皇兄殿下は不敵な笑みを浮かべる。
「俺もそうだが、うちの愚弟は俺以上に頑固で、なおかつ『この世界』の在りように怒りを感じている。特に、異世界から人身を拉致して使い潰す『漂来王』という仕組みについては、大変ご立腹だ。どこのどいつか知らないが俺は弟に怒られたくないので、ひどい目にはそいつに遭ってもらうつもりだ」
『神』を『そいつ』呼ばわりし「それより弟が恐い」という皇兄殿下の言葉に、なんとも言えない雰囲気が満ちた。常識的には『四十人の婚約者に関する後始末』一つ取ってもよほど大変そうな気がするのだが、皇兄殿下にとっては論ずるに値しないような程度の問題らしい。
「あー、ところでですな」
と、ほとんど存在を忘れられかけていたブリンクが、声を発した。
「そろそろこの拘束を解いていただけませんでしょうかねぇ……足とかかなり大変な事になっているんですが……」
長時間床に強制正座させられていたブリンクは、かなり苦しい様子だった。
さざ波のような苦笑が、室内に満ちた。
▲▽▲▽▲▽
後年、ダナン神託騎士領で魔術師の教鞭を執ることになったクロウこと、ウイリアム・ヘムワーズは、回顧録にこう記している。『かくてこの世界から漂来王は去り、ダナンの地には『図書室の魔皇様』が残された』と。
なお、『図書室の魔皇様』よりのち、ダナンの地に『漂来王』が現れたという記録は無い。
つづく
次はエピローグになります。主にラヴィン嬢の恋をフィーチャーする予定です。




