牛丼
北新地への宅配が非常に多い日だった。
それも高級ホテルから入った注文ばかりだ。
最初は配車AIのアルゴリズムか何かで俺に北新地依頼が集中したのかと思っていた。
だが、どこのホテルでもデリバリーバッグを背負った同業者達が走り回っている。
何か大規模なパーティーでも催されているのだろうか?
いや、それなら普通は会場で食事をするものではないのか?
…分からん。
⑰曽根崎(鰻丼ピック)→⑱マリオット大阪に配達→⑲北浜(オードブル盛り合わせピック)→⑳リッツカールトンに配達→㉑茶屋町 (マクドピック)→㉒豊崎に配達→㉓角田町(たこ焼きピック)→㉔ホテルインターゲートに配達
小雨が降っているのでデリバリー単価は高い。
なので普段は敬遠している北新地への注文をガンガン請けた。
やはり、高級ホテルに人が集まっている。
それもインバウンドの外国人ではなく、身なりの良い日本人ばかりだ。
医師会でも開かれているのかと思ったが、それにしては言語が鈍い気がする。
そして一様にデリバリー慣れしていない。
何人かの客が「こういう出前は初めてなんだ。」と言っていた。
うん。
こっちも、こういう日は初めてである。
㉕芝田 (タコスピック)→㉖リッツカールトンに配達→㉗堂島(鰻重ピック)→㉘ヒルトン大阪に配達→㉙福島(海鮮丼ピック)→㉚中ノ島に配達→㉛北浜 (マクドWピック)→㉜今橋に配達→㉝カンデオホテルに配達→㉞曽根崎新地 (チョコレートピック)→㉟曽根崎新地(ラウンジ内)に配達
「おーう!
圭ちゃんやんけー♪」
配達が一段落したので、アプリで履歴を確認していると、背後から陽気な大声が聞こえた。
無遠慮なまでに真っ赤なドレスすら霞む屈託のない笑顔。
『ネキか!?
珍しいな、ホステスは辞めたって言ってたのに。』
「うん、ウチもドカタ手伝っとる方が性に合うねんけとな。
いま、こういう時期やろ?
デカい会合がここらのホテルやら料亭やらで開かれとるねん。
だから助っ人。」
『時期?』
「いや、もうすぐ選挙やん。」
言われてから、自分の鈍感さ加減に腹が立った。
確かにそうだ。
次は衆院選と府知事選が同時に行われるんだったか…
「大阪中のホステスが動員されとるわw
そらそうや(笑)
掻き入れ時やもんなw」
ネキ曰く、今回のW選挙はいつも以上のカネが飛び交っているとのこと。
どうやら、大阪の選挙結果が中央政局にかなりの影響を及ぼすらしい。
なので、今の北新地には関西外からも政財界人が押し寄せているそうだ。
そして関西の経済団体と密に折衝を行っている。
「東京弁のカンリョーもいっぱい来てるで(笑)
《ボクタチがニホンをササエテルんだよー》
とかドヤ顔で言っとったし(笑)
フクシュトは大阪になるねんて。
あ、この話したらアカンかったんや(笑)」
…選挙に政財界。
そんな大切な話をホステスの前でペラペラ話す連中か。
心底、穢らわしいな。
「あっはっは!
圭ちゃんが怖い顔になっとるー(笑)」
ネキから聞いた話を総合すると、今回の衆院選はかなりの拮抗状態。
特に大阪が空前の大混戦。
中央ですら票読みが困難極まりない状況とのこと。
更には極左系の候補が出所不明の資金を派手にバラ撒いて大々的にマスコミ工作を行っているらしい。
これに危機感を持った中央政財界の大物が一斉に大阪入りして、関西の経済人グループの機嫌取りを始めたそうだ。
『いや、別に怒ってないですよ。』
「ふふふっ。
オトコが怒る時は大抵そう言うな(笑)」
『ただ、社会を窮乏させているのは、明らかにそういった金権政治であり…』
言い掛けてやめる。
馬鹿か俺は。
女に当たってどうする。
「ふふっ。
圭ちゃんが来てくれたら店の子喜ぶのになー。
経費で呑むアホは接待してるこっちが居た堪れんのや。
なぁ、ウチが奢ったるから呑みに来ぃや。
新地で1番の店やでー♪」
『ゴメン、俺は差別とホステスが嫌いだから。』
「ワッハッハ!
夜職女が惚れるタイプに限って夜の街が嫌いやねんw
ままならんもんや(笑)」
俺は誘いを断った詫びを述べ、埋め合わせに他に呑みに行く事を約束してネキと別れた。
見事に誘導されている気もするが、それを楽しんでしまっているのだから仕方ない。
㊱曽根崎新地 (うどんピック)→㊲太融寺に配達→㊳太融寺(牛丼Wピック)→㊴西天満に配達→㊵天神西町に配達→㊶天神橋(王将Wピック)→㊷野崎町に配達→㊸西天満に配達→㊹曽根崎(寿司ピック)→㊺ホテルモントレ ル・フレールに配達
最高のリフレッシュに恵まれたので、心機一転で更に配達を続けた。
いつの間にかフォーマルな会合が終わる時間帯になっていた。
辺りは2次会・3次会のノリに包まれている。
「先生w! 先生w!」
「今日は巨乳の子多いなぁ。」
「次は弊社が持ちますから!」
「全然寂れてないじゃなーい(笑)」
「もう一軒! もう1軒!」
「あそこのママとは色々あってねぇ。」
「銀座よりレベル高いですなー。」
「ガイジン増えたねー、台無しだよ!」
「ボクの父がカネ出したんですわ(笑)」
「ヤラせてくれるってホントー?」
「やだよ、ボトルボトルってさぁ。」
「え? ホテルには呼べないんですか?」
「百万以上は税理士に怒られるんだよー(笑)」
いつの間にか、通りが酔客で埋め尽くされていたので、自転車を降りて押す。
皆、恐ろしく身なりが良い。
俺にはさっぱり理解出来ないのだが、彼らにとっては楽しい空間なのだろう。
前後左右から「ドワッハッハ」という品の無い笑い声が響いていた。
極稀に目が合うと露骨に蔑まれた態度を取られる。
まぁ、いつもの事だ。
誰かが俺の背中に「ウーバー!」と叫んで、その周囲で哄笑が沸き起こった。
なあ、久井長閑。
だから駄目なんだぞ?
嫌でも聞こえて来る内容は、カネカネ選挙選挙カネカネ女女。
やれやれ、浄化せざる得ないな。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
どうして皆、こんなに酒が好きなのだろう?
いや、違うな。
何故、酩酊して国事を語れるのか、その神経が理解出来ない。
大体、ガキじゃないんだから、酒くらい綺麗に飲めんものかね。
これなら俺が勤めていた西淀の工務店の方がまだ品格があったぞ。
「あー、しんど。」
不意に目の前の群れから、フラフラと老人が歩道に向かって屈んだ。
同じグループの連中も酔っているのか、気付きすらしない。
そして、最悪のタイミングでUberタクシーが突っ込んで来る。
あ!
多分、老人が倒れ込もうとしてるのが見えてない。
『クッ!!』
誰がどう考えても、新地で飲んでる金持ちなんて全員死んだ方が国益である。
だって死んだら相続税が国庫に入るもの。
相続人が居なければ丸々接収出来るもの。
大体、ジジーの癖に倒れるまで泥酔とか自業自得じゃん。
馬鹿じゃねーの?
『ッ!!』
だが、1番の馬鹿は俺だったらしく、気が付いたら国益を害していた。
自転車を放り出して、道路側に倒れかけていた老人に飛び込んで、力技で歩道に押し戻す。
街路樹に肩を強くぶつけた上に、水溜りに身体ごと突っ込んだ。
激痛、確認、群衆、傍観、老人、無事、汚水、全身、自転車、横転、激痛、スマホ、路上、後続車、激痛、スマホ!
呻く間も惜しく路上に転がったスマホに届かない手を伸ばす。
そして後続はド派手な黒塗りアルファード。
減速の気配すらない。
ちょ!オマっ!
進路上、俺のスマホッ!
『ちょ!』
潰れると思った瞬間、誰かが敏捷にスマホを拾い上げてくれた。
周囲に指示を出しながら老人を保護させていると言うことは、あのグループのリーダーなのだろうか?
『グッ…』
立ち上がろうとするも、肩の痛みで力が入らない。
「キミ!
怪我はありませんか!?」
丁寧な所作で俺のスマホを持って、こちらに屈み込む。
『す、すみません。』
「礼を述べるのはこちらです!
アレは本当に危なかった。
貴方のお陰で大事に至らず済みました。」
どうやら、グループの中で状況を把握しているのはリーダーだけらしく、呆然と眺めている周囲を一喝して、老人をバイヤーに乗せさせた。
「さあ、立てますか?」
しかもリーダーは、何と濡れた地面に躊躇いなく片膝をつき、両腕で俺を抱き起こしてくれた。
何故か懐かしい感触だった。
その力強くも温かい手を握ると、不意に父親に抱き抱えられた幼き日々が思い出された。
嗚呼、男子たるものかくありたいものだ。
『ありがとうございます。
もう大丈夫です。』
「そうですか、無理をしてはなりませんよ。」
何とか立ち上がったタイミングで別の後続車のハイビームが俺達を煌々と照らした。
互いの顔がくっきりと照らされる。
信じ難い事だが、俺の手を握っていたのは…
久井公正!
相手も今俺に気付いたらしく、目を見開いている。
「円蹴… 圭介… なのか…」
後続車が次々に通り過ぎて行く。
『…。』
「…。」
何を急いでいるのか、一様に速度が早い。
殆どの車両が無遠慮なハイビーム。
『…。』
「…。」
俺と久井公正は一言も発する事もなく、ただ互いの居る空間を見据え続けていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
無論、肩のダメージは残っている。
恐らくは軽い打撲。
だが、痛みは殆ど感じていない。
きっと全身が命じているのだ、思考と反応のみにリソースを回せと。
「長閑がキミの話ばかりをしてね。
毎日妻と喧嘩になっている。」
『他に話すことなど幾らでもあるでしょうに。』
「女にはそれしかないそうだよ。」
…因果な生き物だな。
「すまないね。
食べ歩きに付き合ってくれているんだって?
この前は鍋物だったか?」
しゃぶ葉でいきなり通話させられたよな。
あれは気まずかった。
「金銭的な負担になっていると推測している。
代金を支払わせて貰えないだろうか?」
『…流石に女性1人を食べさせるくらいの甲斐性はあります。』
「2人だろう?
確か、ネキと言うお名前の御婦人。」
『猛獣を満足させる域には達していないので苦労してます。』
「キミなら来年はクリアしてるさ。」
…そうだな、既に色々と軌道に載っている。
来年は、宅配を半分くらいに減らせてるかもな。
「食事代は受け取って貰えない?」
『ええ、申し訳ありませんが。
その謂れがありません。』
「…分かった。
では、せめてさっきの御礼として食事でもご一緒させて貰えないだろうか?」
『礼と言われましても、私は当然の事をしただけですよ。』
「あの人は船岡会長と言ってね。
私の父と非常に懇意だった。
葬儀で1番泣いてくれた人だ。」
『…。』
「あの人と親しむ事も父への供養だと思ってね。
一緒に行動させて貰う事が多いんだよ。」
『…ご一緒します。』
「ありがとう。」
自転車を駐輪し、久井公正と共に北新地を歩く。
喧騒、クラクション、嬌声、ハイビーム、小雨、爆笑、ネオン、渋滞。
「私も、この街はあまり好きじゃない。」
真横で久井公正が呟いた。
タクシーのハイビームでその表情は見えない。
『私は、酒席が苦手なんです。
昔から笑う事が苦手で…』
「…笑顔だけが得意な者より余程信用出来るよ。」
間違いない。
娘の事だ。
『素敵なお嬢さんだと思いますよ。』
「腹を割ってくれて構わないよ。」
『…。』
「じゃあ、酒の上の話と言うことにしよう。」
『…普通の子です。』
「特別ではない?」
『本人の自己認識は知りませんが、至って普通の平凡な女性です。』
「ふふっ、女が1番ムキになる答えだ。」
『ご安心下さい。
酒の上の話です。』
久井公正はそれには何も答えず僅かに肩を揺らした。
「この辺りなら…
懇意にしている鰻割烹とステーキハウスがある。
ご馳走させて貰えないだろうか?」
『私が選べるんですか?』
「当然だよ、御礼なのだから。
食べたい物があれば、何でも言って欲しい。」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
【吉野家 桜橋店】
道路を挟んで北新地の向かい側に桜橋店はある。
渡った途端、思わず安堵の溜息が漏れていた。
ここは24時間営業。
深夜稼働の補給地として、何度か世話になっている。
『こんな所で申し訳ありません。』
「いや、学生時代にラグビーをやっていてね。
何度か食べたよ。」
『お召し物が汚れてしまうのが心配です。』
「キミは身体を泥に汚して船岡会長を助けてくれた。」
『…。』
「この店には、何か思い入れがあるの?」
『ご存知かも知れませんが、吉野家は魚河岸で創業された企業です。
座る暇さえ無い労働者が手早く食べられるように工夫されたのが、この牛丼です。
…我々の為の食事処なんです。
だから、私にはここで食べる資格がある。』
「…私なんかが同席して構わないかな?」
『ええ、問題ありません。
随分、お疲れのようですし、きっとご精勤なされたのでしょう。』
「キミにとっては仕事ですらないかも知れないよ。」
そりゃあね。
今日は散々ヒントが出されていたからね。
『…でも、娘さんよりは大変な日々を過ごされておられると思います。』
「娘に言わせれば、アレが女の仕事との事だそうだ。」
…勤勉な女だなぁ。
「円蹴君は大食漢と聞いている。
好きなだけ食べて欲しい。」
アンタの娘ほど食べる訳でも厚かましい訳でもないがな。
『では、特盛を1杯だけ。』
「本当に遠慮しなくて良いのだよ?」
『折角の会食ですので。
歩調を合わせさせて下さい。』
「…どこぞの馬鹿娘に聞かせてやりたい台詞だな。」
流石に久井公正は特盛を選ばなかったが、彼の性格なら普段は絶対に選ばないであろう大盛りを頼んだ。
「私の両親は食事作法に厳しくてね。
出された以上の量を欲しがるのは卑しい事だと躾けられた。
母方が禅宗だったから、その影響もあったんだろうなぁ。
おかげで胃袋の小さな体質になってしまって、ラグビー時代は苦労したよ。
体重を増やさなきゃならないのに、全然食べれなくてね。
円蹴君、スポーツは?」
『柔道です。
当時から幾らでも食べれたのですが、生憎の生まれでして。』
「ままならんものだなぁ。」
『ええ、本当に。』
俺が久井公正に心から敬意を感じたのは、恐らくは食べたくもないであろう牛丼を完食したことだ。
新地での会合には当然食事も出されたであろうにも関わらずである。
「流石の食べっぷりだね。
大阪で1番食べるんじゃないか?」
『いえ、そう思っていた時期もありましたが。
井の中の蛙です。』
なので、この店で【わんこ蕎麦】のように牛丼10杯を飲み干したバケモノホステスが居る事を教えた。
久井は一頻り笑ってから天井を眺める。
「そうか、娘はとんでもない恋仇を見つけたものだなぁ。」
成程、勘まで良い。
それとも俺の説明に感情が乗ってしまっていたか。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺達は牛丼を平らげると、速やかに上着を持って会計を済ませた。
腹を減らした労働者達が席が空くのを待っていたからな。
そして俺達はしっかりとした足取りで、それぞれの居場所に帰る。
肩が、再び疼いた。
㊻福島(マクドWピック)→to be next dish ⇒
【名前】
円蹴圭介
【所持品】
ジェッター BE-ELHC 2022年モデル 27インチ・サンゴールド (Panasonic)
丸型七輪 (富士見産業)
業務用フライヤー10リットル (DIY HOME)
業務用寸胴8.3リットル (赤川器物製作所)
1升炊き炊飯器 (象印マホービン)
ドカベン (ドカベンより寄贈)
2斤ホームベーカリーSD-BMT2000 (Panasonic)




