料理組合
怪しいとは思っていた。
いつもは理由をつけて帰宅を遅らせようとする久井が今夜に限って妙に素直だったからだ。
今思えばネキが何も言わずに隣でニコニコしていたのも不自然だった。
ただ、帰ってくれるなら助かるので、その日も阪急中津駅まで入場券で見送り、神戸線へ乗車させ、車内から手を振る久井を撮影した。
そして、いつものように久井公正に添付画像付きの確認メールを送信。
『苦楽園口駅には21時22分に到着の見込みです。
傘をお預けしておりますが、雨足の強まりも予想されますのでご注意下さいませ、と。
さぁ、俺も仕事に戻るか。』
㉟茶屋町 (バーキンピック)→㊱芝田(牛丼ピック)→㊲豊崎に配達→㊳本庄西に配達→㊴中崎 (ローソンピック)→㊵西天満に配達
アプリからの通知が途切れたので、小休止も兼ねてメールチェック。
『ん?
公正さんだ。
何だろう?
御礼のメールはさっきも受け取ったが…
ニ重送信か?』
【今通話させて頂いて宜しいでしょうか?】
その件名を見て嫌な予感がする。
事件?事故?またネキがやらした?
いずれにせよ、緊急性を感じる文面だ。
『夜分恐れ入ります、円蹴です。
勝手に通話してしまいましたが時間を改めましょうか?』
「おお!
圭介君!
いや、こちらこそ申し訳ありません!
助かります!」
『いえ、お気遣いなく。
何か問題がありましたか?』
「実は今しがた長閑からメールが届きまして…
共有しても構いませんか?」
『はい、すぐに手元で確認します。』
【お友達のお家に泊めて貰います。
*女性の方です。】
文頭を見ただけで、全てを理解した。
恐らく久井公正も同様であろう。
曰く、久井は両親に対して執拗に外泊許可を求め続けていた。
勿論、宿泊希望地は俺の自宅である。
当然、俺や久井公正は却下していた。
「女子が異性の家に外泊するなど言語道断。」
その言葉を逆手に取ったつもりなのか、久井はネキの住処に向かった。
『あ、公正さん!
今、お嬢様から画像が送られてきました。
そちらに転送します。』
「申し訳ない。
お願いします。」
屋内で撮られた画像だろう。
ベロア生地、豹柄、キティちゃん人形、転がるハイボール缶。
紛うことなきネキルーム。
そして、お揃いのDQNスウェットで裏ピースしている2人。
同じタイミングで、久井公正にも似たような画像が届いたとのこと。
但し、父親に送られたものではワンピース姿。
ネキも落ち着いたジャケットを羽織って、2人で小さく手を振るポーズ。
画像背景も無難にマンションの扉の前。
如何にも女が使いそうな小賢しい手口である。
「…。」
通話口の向こうから久井公正の呻きが漏れてくる。
「えっと、ネギさんのお住まいは…
圭介君のご近所でしたか?」
『いえ、残念ながら…
私も訪問した事はないのですが…』
俺も雑談で断片的に聞いただけだが、確かネキはこう言っていた。
「あいりんとか飛田らへんや。
商店街の中やから便利やで♪」
しばらく通話口の向こうからは何も聞こえ無かったのだが、久井公正がソファーか何かにドサッともたれる音が聞こえた。
「…圭介君。
いつもありがとうございます。
迷惑ばかり掛けてしまって申し訳ありません。
娘は…、こちらで迎えに行きます。
地域差別には断固反対ですが、娘には治安の宜しく無いとされている場所で寝泊まりさせる訳には行きませんので…」
『いやいや!
あんな場所に赴かれる事には反対です。
地域差別は許されざる行為だと考えておりますが、公正さんに万が一があったらどうするのですか。』
押し問答の末、俺が様子を見に行く事になった。
もっとも、治安面についてはそこまで心配していない。
タフガイでも何でもない俺は不安だが、久井の側にはネキが居る。
従って久井には如何なる脅威も問題も生じない。
何故なら、ネキ自身が誰かにとっての脅威であるからだ。
ちなみに久井こそが俺にとっての問題だとは薄々気付いているが、今は忙しいのでノーコメント。
問題は、久井家の娘が夜中に色街に立ち入るという愚挙。
万が一、世間に知られれば久井家に必ずやネガティブな作用を及ぼすだろう。
名家の人間に自由などない。
例えあったとしても、そんなものはない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自転車と電車…
着いた頃には終電か…
隠していた現金を補充し、久井を自宅までタクシーで送還する手順を考える。
御堂筋線中津駅
↓
御堂筋線梅田駅
↓
谷町線東梅田駅
↓
谷町線阿倍野駅
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
工務店時代、この辺りに仕事で来た事がある。
到着した社長の第一声は未だに覚えている。
「アホ!
早くスマホしまえ!
アカンアカン!
この辺のドヤは指名手配犯が
泊まっとる事もあるんや。
勝手に撮って刺された奴も
おるんやで!」
最初は大袈裟に言ってるのかと思ったが、通行人の入れ墨率やヨタヨタ具合を見て、雇い主の警告が的外れではないと感じた。
以来、自分から近寄った事はない。
『公正さん。
現地に到着しました。
お嬢様と落ち合えた場合、ご自宅までタクシーで帰らせて宜しいですね?
いえ、終電ですし。』
「いやいや。圭介君の話だよ。」
『え?
私ですか?
いや、まぁ、私は男ですし何とでもしますけど。』
「そ、そうか。
本当に申し訳ないと思っている。」
他に何も言いようがないので、『イエイエ。』とだけ連呼しておく。
父親になるって大変だよな…
俺も父さんにこんな想いをさせてしまっていたのだろうか…
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ネキにメッセージを送る。
言いたい事は山程あったが、文面は思い付かなかったので、無難に【こんばんは。】とだけ送る。
10秒ほど経過して返信。
またしても画像。
…これは居酒屋か?
その後、久井からテキストメッセージが届く。
【シンデレラ姫は深夜0時に…】
頭の痛くなる長文だったので、そのまま久井公正に転送。
続きは父娘で話し合って欲しい。
埒が明かないのでネキに通話。
『もしもし、ネキか?』
「はーい、しゃぶネキやでー♪」
返って来た声真似は俺同様に関西弁のイントネーションが全くない。
恐らく婚姻相手が関西地方に限定されてしまわないよう、そう育てられたのだろう。
『久井さんでしょー。』
「えー、どうして分かったんですかー?」
何か言おうとして、アホらしくなり止める。
だって、今のコイツの声が楽しそうだもん。
初めて玩具を与えられた子供みたいな反応だもん。
『今、どこに居るの?』
「うふふ♪」
コイツもぶぶ漬け成分強めだよな…
『ヒントが欲しいな。』
「えー、ヒントですかー?
どうしましょう♪」
背後からはカラオケらしき歌声。
昭和歌謡?
音楽に疎い俺だが、流れている曲がかなり昔のものであることは理解出来た。
『…。』
「シンデレラ♥」
『え?』
聞き返そうとした時には通話は切れていた。
コメカミが訴えてくる偏頭痛に気付かないフリをしながら、新開筋商店街を進む。
『あー、これがネキの言ってた門か…』
「ん?
圭介君、何かあった?
門?
境内か何処かに居るのかね?」
昔、ネキが言っていたのだ。
近所に巨大な門があると。
きっとこれのことだ。
『いえ、神社の前を通ってます。』
「そ、そうか。」
流石に父親に対して『娘さんは飛田新地付近で遊んでます。』とは言えないからな。
ややぼかしておこう。
【飛田新地料理組合】
門の向こうにはそんな文字列が並んでいた。
昔、純真だった俺はレストランの同業会みたいなものを想像していたなぁ。
【料理】という文言を見逃すはずのない久井はどんな感想を持ったのだろう…
頭を振って意識を現実に戻す。
門の先には無数に広がる灯篭。
ああ、これが噂に聞く「ちょんの間」か…
新地を一周しようと思って断念する。
広すぎるからだ。
似たような置屋が際限なく並んでいる。
殆どの置屋には若い娼婦と客引きオバサンがセットで並んでいた。
膨大な男性グループが談笑しながら歩いている。
皆、数名で小洒落た格好で遊びに来ている。
ああ、ここは多分陽キャの遊び場なんだろうなあ。
良かった、安心して立ち去れる。
久井は今のところ、ここには居ない。
あのシンデレラにとっては並ぶ置屋の灯りこそが楽しい舞踏会会場であるからだ。
溜息をついて、遊郭区画を後にする。
そして飛田北門にもたれ掛かり、Googleマップを開く。
…。
久井達は、この商店街沿いに居る。
それも新開筋商店街から、あいりん地区の間。
上記の範囲外には居ないと踏む。
何故なら、あの女はあからさまに俺に探させたがっていたからだ。
なので見つかりにくい場所には居ない。
まあいい、歩こう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
しばらく進むと、飛田新地とは異なる猥雑な地帯が開けて来る。
【カラオケ居酒屋】
商店街の両側をカラオケ居酒屋なる珍妙なテナント群がビッシリ占めている。
飛田では置屋を料亭と呼んでいたように、このエリアでは置屋をカラオケと呼ぶのだろうか?
よく分からない。
あちこちの店頭で聞こえる客引きとオジサンの談笑を背に久井を探す。
「お姉さん、どこの国の人~?」
「Vietnam♪」
「可愛いねー。」
「1曲100円デース。」
注意深く左右を観察しながら、巨大な玉出の脇を通る。
流石にこの辺には居ないかな、と思いながら高架を潜ろうとすると、コインロッカーの前に転がっているサンダルが視界に入った。
一瞬、足を止めてから視線を感じる。
それも複数のだ。
『…。』
俺がしばらく考え込んでいると真横から女達の下品な笑い声が響いた。
「王子様きおったやーーーんwww」
振り返ると、スナックのママさんみたいな恰好をしたオバサンが俺を指さして笑っていた。
そこには水商売風のオバサン達が鉄板のような物を囲んで立ち飲みしていた。
屋台?
鉄板焼きの屋台?
いや、そこじゃない。
オバサン達の輪に混じって笑っていたのは…
豹柄ジャージの久井…
「王子ww 王子ww
シンデレラww
シンデレラやでww」
一番端に居たオバサンが爆笑しながらサンダルを指さした。
全員が腹を抱えて笑う。
久井が見せつける様に、片方だけ裸足になった足をヒョコヒョコと動かす。
『…。』
言いたいことは山ほどあったが、時短の為に茶番に付き合う。
俺は溜息を吐きサンダルを拾い上げた。
このサイズ、かなりデカい。
恐らくはネキのサンダルを借りたのだろう。
「ニーチャン♪
シンデレラはウチやでー♪」
「アンタ、歳考えーやww」
「「「ドワハハハハww」」」
御伽噺のシンデレラを模しているのか、オバサン達が一斉に足を突き出してくる。
「ウチウチ♪」
「可愛い王子様やーんww」
「幾つ? ニイチャン幾つ?」
「オニイチャン
オバチャンが姫やでーww」
「ウチの足にハメテぇ♪
足の間でもええでww」
「「「ギャハハハwww」」」
しばらくオバサン達に学芸会をサービスしてやってから、久井の足にガラスの靴を嵌めてやる。
「「「「「キャーーーーーッ♥」」」」」
酒の勢いもあるのか、オバサン達が一斉に歓声を上げた。
「お待ちしておりました王子様♪
ワタクシ、ペロー版シンデレラです♥」
『えっと、終電の鐘(by 南海電鉄)はもう鳴り終わったと思うけど。』
「魔法のおかげで舞踏会が続いてるんです♥
『いやあ、それはアルコールの作用だとは思うけどねえ。
で?
その魔法はいつ解けるの?』
「王子様のキスで解けます♪」
『…ネキとしなよ。』
「もう何度もしました♥」
何故か勝ち誇ったドヤ顔。
コイツ絶対キャノン版だろ。
『お、おう。
色々言いたいことはあるけど、最近はLGBTが猛威を振るっているから一旦ノーコメントで。』
オバチャン達がホルモン串(90円)を奢ってくれたので、何本か頂戴し飢えを凌ぐ。
その間、久井はネキに通話。
「おーう、阿倍野方面から来おったか。
てっきり新今宮から
来ると思うとってんけどな。」
「さっきの店に圭介さんは居ますよー。
お腹空いてるみたいです。」
「食わしたれw食わしたれw
そっちまで歩いて行くわ。」
「いえいえ!
ワタクシがお姉さまの方へ向かいます!」
「ほしたら、途中で会うまで歩こうか。」
「はい♥」
通話を切った久井は「お姉様は圭介さんが阿倍野回りで来るって知ってたんですよ。」と感情の分からない目で言う。
要は久井へのサービスとして俺と2人きりになれるように取り計らったらしい。
なあネキ、俺へのサービスは?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
途切れていた久井公正との通話を再開。
勿論、久井が今着ている豹柄ジャージ画像も送付済。
「長閑、オマエは一体何がしたいのだ?」
通話口から久井公正の疲れ果てた声。
そりゃあ疲れるよな。
「お父様!
圭介さんとの結婚を許可して下さい!」
「…駄目だ、残念ながらな。」
「圭介さん!
圭介さんとの結婚を許可して下さい!」」
『え?
普通に駄目だよ?』
「ファ!?」
なーんで、そこで驚けるかな。
どういう神経してるんだか。
「圭介君、聞こえていますか?」
『はい!
明瞭に。』
「誤解して欲しくないのだが…
私はキミを非常に高く評価している。
率先して迎えたい程に。
この件に関しては珍しく
私と孝行の意見が一致している。」
『光栄です。』
「だが、君も御存知の通り…
…婿として迎えるのは非常に難しい。」
『ええ、ご安心下さい。
公正さんのご判断に私も賛成です。』
久井が拗ねたように、俺の裾を引っ張る。
『久井さん、邪魔しないで。
今、お父さんと大事な話をしているから。』
「圭介君。
重ね重ね申し訳ありません。」
『お気付かいなく。
それに、私もお父さんとご縁を持てて光栄に思っております。』
「ありがとう。
君と出会えた事はまさしく僥倖。
これからも宜しくお願いします。」
通話口越しにペコペコと頭を下げあった。
久井公正が、あくまで例外として現地への宿泊を許可したので、付き添いを約束。
かなり疲れた様子だったので、今夜は休んで貰う。
そんな俺達の遣り取りを久井だけがつまらなさそうに見ていた。
「男の人って、いつも楽しそうですね。」
『楽しくはないさ。
俺もお父さんも、全部仕事だよ。
辛く苦しいだけ。』
「ワタクシ、その苦しみを癒して差し上げたいです(瞳キラキラエフェクト)」
『あ、うん。
ちゃんとお父さんのご指示に従うようにね。』
久井は行儀の良い笑顔で華麗にスルー。
良い性格をしているよな、コイツ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
さて、商店街のアーケードの下でネキと落ち合う。
にこやかに周囲のオッチャン・オバチャンと談笑しながら、ノシノシと近寄ってきた。
「おーう、圭ちゃーん。
お疲れー。」
『疲れたー!
お腹もすいたー!』
2人が俺の表情を覗き見てケタケタ笑う。
楽しそうで何よりだ。
「圭介さんはいつもワタクシにご飯を食べさせてくれていますから、今日はワタクシが御馳走してあげます♥」
『あ、うん。
反論する根気が尽きたから頂戴するわ。』
久井は得意気な笑顔でカラオケ居酒屋の店先に並んだテイクアウト弁当を指さす。
白米にソーセージが乗ったもの、色の濃い焼きそば、食パンで作ったサンドイッチ、そしてお好み焼き物っぽい物体。
全品200円。
「好きなものを選んで下さっていいですよ♪
ワタクシからの感謝のしるしです♥」
コイツも徐々にぶぶ漬け成分を醸し出すよな。
俺は久井の邪悪さを好んでいるのだが、そういう感慨を悟られてしまっているのかもな。
『じゃあ、お好み焼き。
一番、火が通ってそうだから。』
「チョイスの理由が圭ちゃんっぽいなw」
ネキとカラオケ居酒屋の店員は面識があるらしく、景気の是非について軽妙に応答していた。
カタコトの店員曰く、この商売がレッドオーシャン過ぎて辛いらしい。
だろうな。
飛田新地に膨大な数の料亭(料亭とは言っていない)があり、その裏側にこれだけのカラオケ喫茶があるのだから。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ネキに連れられ大きな公園に。
3人で湿ったベンチに座り、お好み焼きのような物体を分け合った。
テントのような物が張られており、誰かが住んでいる気配があったのだが、それはスルー。
オッサンとオバサンが集まって酒盛りしていたが、それもスルー。
パトカーが徐行しながら公園を周っていたので、スルーしてくれることを祈っていた。
「ワタクシ、中津に住もうか西成に住もうか迷ってるんです♪」
『…苦楽園に帰りなさい。』
「あそこには苦しか無いんです。
何度、苦井への改名を考えたことか♪」
…だろうな。
だが一番苦しんでおられるのは君のお父様なんだが。
『なあ、久井さん。』
「はい♥
圭介さんのお説教ならちゃんと聞きます♪」
コイツ、ほーんとに継母成分強いな。
『腹は膨れたかい?』
久井は良い笑顔で首を横に振る。
「だから、圭介さんと行ってみたいお店があるんです。」
『組合以外なら御一緒するよ。』
久井が目を丸くしてネキを振り返る。
「だから言うたやん。
圭ちゃんは良くも悪くも
ちゃんとドカちゃんを見てくれとるんや。」
何が嬉しいのか久井は俺の背中をパンパン叩きながらずっと笑っていた。
可哀そうな女であることは認める。
to be next dish ⇒
【名前】
円蹴圭介
【所持品】
ジェッター BE-ELHC 2022年モデル 27インチ・サンゴールド (Panasonic)
丸型七輪 (富士見産業)
業務用フライヤー10リットル (DIY HOME)
業務用寸胴8.3リットル (赤川器物製作所)
1升炊き炊飯器 (象印マホービン)
ドカベン (ドカベンより寄贈)
2斤ホームベーカリーSD-BMT2000 (Panasonic)
足付きスモーカーグリル (SUNLIFER)
5段型プランターセット×2 (GARDENA)
ノンフライオーブン14リットル (EPEIOS)
【贔屓力士】
阿倍野嵐 笑太郎




