96話「第十二層、水没湿原」
第十二層の先行調査依頼を受けた翌日。
俺たちは第一層から第十一層までを通過し、階層守護群がいた部屋へ戻ってきた。
守護部屋の奥では、第十二層へ続く蒼銀色の転移門が揺らいでいる。
今回も、髙橋さんと護衛職員の二人が第十一層で待機する予定だ。
因みにさりなさんは特別に十一層を単独で探索する許可を得たようで、朝から探索していると言っていた。
「通信中継端末の動作を確認しました」
髙橋さんが、転移門の手前へ設置した端末を確認する。
「第十二層へ入ってから、最大六十分です。五百メートルは調査範囲の上限であり、必ず到達しなければならない距離ではありません」
「危険があれば、その手前でも引き返します」
「お願いします。第十二層の環境も、出現する魔物も分かっていません。階層守護個体の捜索は行わないでください」
「分かりました」
俺たちの頭上には、二機のドローン型探索レコーダーが浮かんでいた。
一機は、クラン『蒼雪の宝珠』が所有する動画撮影用の機体。
もう一機は、調査課が用意した正式調査用の機体だ。
クラン用の機体は、俺たちの戦闘やシズクとユキの動きを外側から撮影する。
調査課の機体には、地形や水深、周囲の魔力反応を測定する機能が搭載されていた。
撮影した映像は、第十一層で待機する髙橋さんの携帯端末へリアルタイムで送られる。
「調査用探索レコーダーとの通信も正常です」
髙橋さんが、携帯端末に映る映像を確認する。
「機体の操作はこちらで行います。一城さんたちは、周囲の警戒に集中してください」
「お願いします」
「シズクとユキの状態も問題ありません」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクは美咲さんの肩で身体を伸ばし、ユキは白銀鎧を左右へ浮かべている。
「それでは、行ってきます」
「お気を付けて」
俺たちは蒼銀色の転移門へ触れた。
淡い光が広がり、俺たちに続いて二機の探索レコーダーも第十二層へ入った。
◇
「ここが、第十二層……」
足元には、くるぶしほどの深さまで濁った水が広がっていた。
泥と水草の匂い。
湿気を含んだ生暖かい空気。
灰色の霧に覆われた湿原には、背丈よりも高い葦が生い茂っている。
所々に太い樹木が立っているが、その根元は半分近く泥水へ沈んでいた。
遠くには巨大な睡蓮の葉や、赤紫色の花も見える。
クラン用の探索レコーダーは、シズクとユキまで画面へ収めるように斜め後方を飛んでいる。
調査課の機体は少し高い位置へ移動し、周囲の地形と水深を測定し始めた。
「地面の境目が分かりにくいですね」
美咲さんが、足元の水面を軽盾で確かめる。
「少し待って。安全に歩ける場所を調べてみる」
第十二層全体へ意識を向け、『解析鑑定』を発動させた。
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『スライム帝王の迷宮』
『現在地:第12層』
『階層環境』
・水没湿原
『転移門周辺』
・水深:8~26センチ
・地盤:一部軟化
・敵対反応:なし
『環境上の注意』
・泥濘による移動阻害
・水草に覆われた深み
・毒性植物
・水中に潜伏する魔物
・視界を遮る濃霧
『先行調査範囲』
・転移門から半径500メートル以内
『残り調査時間』
・59分41秒
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「水草の下に、急に深くなっている場所がある。俺が歩いた場所を通って」
「はい」
「シズクは、私の肩から降りないでくださいね」
「ぷるっ」
「ユキも、深い場所へ入らないようにしような」
「ぴるっ!」
ユキが身体を伸ばし、俺の頭上から反応する。
足を踏み出すたび、泥水へ小さな波紋が広がる。
岸のように見える場所も、地面が柔らかければ足首まで沈んでしまう。
「一般探索者へ開放する場合は、安全な経路を表示する必要がありそうですね」
「うん。目印がないと、深みへ入ってしまう人が出ると思う」
『映像と音声は、問題なく届いています』
通信機から、髙橋さんの声が聞こえた。
『調査用探索レコーダーでも複数の深みを確認しました。無理に直線で進まず、安全な経路を優先してください』
「分かりました」
水深の浅い場所を選びながら、湿原の奥へ進む。
百メートルほど進んだところで、美咲さんの耳飾りが淡い赤色に光った。
「何か来ます!」
美咲さんが足を止め、軽盾を構える。
その直後。
右側の泥水から、赤黒い物が勢いよく伸びてきた。
美咲さんが盾を斜めに動かす。
盾へぶつかったのは、太く長い舌だった。
「水の中に魔物がいる!」
舌の先端が軽盾へ巻き付き、美咲さんの身体を泥水へ引き込もうとする。
「美咲さん、そのまま盾を維持できますか!」
「はい! 大丈夫です!」
魔物の反応へ『解析鑑定』を向ける。
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『沼跳蛙』
『危険度:C』
『特性』
・泥水擬態
・湿地適応
・強靱な後肢
『技能』
・捕縛舌
・水中跳躍
・泥弾
・圧縮体当たり
『弱点』
・氷属性
・腹部
・跳躍直後の着地硬直
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「シズク、舌の根元を凍らせて!」
「ぷるっ!」
シズクの前へ青白い魔力が集まる。
放たれた氷槍が泥水へ突き刺さり、その周囲を凍らせた。
水中に隠れていた巨大なカエルが、氷を砕きながら跳び上がる。
牛よりも大きな身体。
泥に覆われた背中。
長い舌は、美咲さんの軽盾へ巻き付いたままだ。
「今です!」
美咲さんが黄金短剣を振るい、舌を切り払う。
舌を失った沼跳蛙が身体を震わせた。
だが、切断面へ淡い緑色の光が集まり、傷が少しずつ塞がっていく。
「後ろから回復されてる!」
葦の間に、いくつもの黄緑色の光が浮かんでいた。
一つ一つは小さな蛍に見える。
しかし、群れの中央には魔核が浮かび、全ての光が一体の魔物として動いている。
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『癒光蛍』
『危険度:C-』
『特性』
・群体飛行
・光属性耐性
・湿地適応
『技能』
・治癒光
・強化燐粉
・閃光
・魔力共有
『支援対象』
・沼跳蛙
『階層群・総合危険度:C+』
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「俺が癒光蛍を倒す。美咲さんは、沼跳蛙を引き付けてもらえる?」
「任せてください!」
「ユキは、美咲さんを守って!」
「ぴるっ!」
沼跳蛙が大きく身体を沈めた。
後ろ足へ力を溜め、一気に跳び上がる。
「こちらです!」
美咲さんが横へ動く。
沼跳蛙の体当たりを盾で受け流し、黄金短剣を腹部へ突き立てた。
刃が触れた場所へ『裂傷』が付与される。
傷を治そうと、癒光蛍の光が再び沼跳蛙へ伸びた。
「シズク、風弾で光を散らして!」
「ぷるるっ!」
圧縮された風が、癒光蛍の群れへ放たれる。
蛍たちが作っていた陣形が崩れ、沼跳蛙へ伸びていた治癒光が途切れた。
羽靴へ魔力を流し、水面を蹴る。
泥へ足を取られることなく、癒光蛍との距離を一気に縮めた。
調査課の探索レコーダーが上空から戦場全体を撮影し、クラン用の機体が俺の動きを追うように向きを変える。
群れの中央にある魔核へ、白銀短剣を振るう。
「『加速』!」
白銀の刃が速度を上げる。
癒光蛍が強い光を放ち、俺の視界を奪おうとした。
「ぴるっ!」
ユキの白銀鎧が移動し、光を遮るように俺の正面へ広がる。
完全には防げない。
それでも、魔核の位置は『解析鑑定』へ表示され続けている。
「そこだ!」
白銀短剣が、群れの中央にある魔核を貫いた。
魔核へ亀裂が走る。
周囲を飛んでいた蛍が光の粒子へ変わり、湿原へ降り注いだ。
支援を失った沼跳蛙が、泥弾を何発も吐き出す。
「美咲さん、左へ!」
「はい!」
美咲さんが泥弾を避け、沼跳蛙の側面へ回り込む。
その動きに合わせて、俺も反対側へ移動した。
黄金短剣と白銀短剣が近付いたことで、二本の刃が淡く輝く。
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『金銀共鳴:発動中』
『連携補助:有効』
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沼跳蛙が、俺へ向かって身体を沈めた。
跳躍する直前、美咲さんが盾を横から叩き付ける。
狙いを逸らされた沼跳蛙が、俺の隣へ落下した。
泥水が大きく跳ねる。
「はぁー!」
白銀短剣を沼跳蛙の腹部へ突き込み、『貫通』を付与する。
「これで終わりです!」
同じ場所へ、美咲さんの黄金短剣が突き立てられた。
腹部の内側にある魔核が砕ける。
沼跳蛙の巨大な身体が光の粒子へ変わり、泥水の上から消えていった。
「怪我はありませんか?」
「俺は大丈夫だよ。美咲さんは?」
「私も大丈夫です」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクとユキも無事だった。
「ユキ、さっきは助かったよ。ありがとう」
「ぴるるっ!」
ユキが白銀鎧を嬉しそうに揺らす。
残されたドロップ品を確認する。
沼跳蛙からは、良質な魔核と弾力のある舌が残されていた。
癒光蛍が消えた場所には、良質な魔核と淡く輝く粉。
その隣に、小さな緑色の欠片が落ちている。
「回復結晶の欠片だ」
欠片へ『解析鑑定』を発動させた。
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『回復結晶の欠片』
『品質:B』
『希少度:B』
『ドロップ元』
・癒光蛍
『用途』
・回復系魔導具の素材
・一定数を集めることで回復結晶へ復元可能
・適性を持つ従魔の技能習得を補助
『適性反応』
・ユキ:適性あり
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「第十二層でも手に入るんですね」
「うん。癒光蛍からも、低い確率で落ちるみたいだ」
「ぴるっ!」
ユキが、欠片を覗き込むように身体を伸ばす。
「まだ直接取り込ませることはできないよ。協会で、安全な使い方を調べてもらおう」
「ぴるっ」
欠片を魔力遮断用の小箱へ入れ、魔法鞄へ収める。
『戦闘記録を確認しました』
髙橋さんの声が、通信機から聞こえた。
『調査用探索レコーダーの映像でも、沼跳蛙が飛び出す直前まで姿を確認できませんでした。佐伯さんの危険感知装備がなければ、初撃を受けていた可能性があります』
「俺も、美咲さんの耳飾りが反応してから気付きました」
『一般探索者へ開放する場合、危険感知装備の推奨も必要になりそうですね』
泥水の中に隠れる魔物。
足元の深み。
視界を遮る霧。
第十一層とは、まったく異なる危険がある。
「残り時間は四十二分です。先へ進みます」
『無理はしないでください』
◇
転移門から二百八十メートルほど進んだ場所で、樹木の根元へ青い苔が生えているのを見つけた。
周囲の水を弾き、表面だけが乾いている。
「見たことのない苔ですね」
「新しい素材かもしれない。調べてみる」
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『水膜苔』
『品質:B』
『希少度:C』
『推定買取価格:未設定』
『用途』
・防水処理剤の原料
・薬液保存容器の密閉素材
・水属性魔導具の緩衝材
『採取方法』
・根を残し、表層部のみを切り取る
・採取上限:全体量の三分の一
『推定再生期間』
・七日
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「防水処理剤へ使えるみたいだ」
「探索装備にも利用できそうですね」
「うん。調査用に少しだけ持ち帰ろう」
採取用のナイフを使い、表面の苔だけを切り取る。
全ては採らない。
解析結果で表示された上限よりも少ない量を、保存容器へ収めた。
調査課の探索レコーダーが樹木の周囲を回り、採取前後の状態を記録する。
クラン用の機体は、俺が表層部だけを切り取る様子を正面から撮影していた。
「採取場所を記録しました」
『こちらでも確認しました。地上へ戻り次第、素材研究課へ引き渡してください』
髙橋さんへ返事をし、再び湿原の奥へ進む。
三百メートルを越えると、水深が少しずつ深くなっていった。
葦の陰には、泥の甲羅を持つ大きな亀。
水面の下には、細長い蛇型の魔物も潜んでいる。
どちらも俺たちには気付いていない。
「残り時間を考えると、戦わない方がよさそうですね」
「そうだね。少し遠回りになるけど、右側から避けよう」
魔物との戦闘は、調査の目的ではない。
安全に進める経路を選び、反応のない場所を通過する。
転移門から四百五十メートル。
前方の霧が薄くなり、広い水場が見えてきた。
「急に深くなっています」
美咲さんが、足元で止まる。
浅かった泥水が途切れ、その先には底の見えない沼が広がっている。
睡蓮の葉がいくつも浮かび、中央には小さな島があった。
その手前の泥へ、大きな跡が残されている。
「これは……足跡でしょうか?」
一つだけで、美咲さんの盾よりも大きい。
左右には、何か巨大な物を引きずったような跡も続いていた。
「調べてみる」
足跡と、泥の上へ残された魔力へ意識を向ける。
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『大型魔物・移動痕跡』
『分類』
・ワニ型魔物
『推定全長』
・10メートル以上
『推定個体区分』
・第12層階層守護個体
『痕跡経過時間』
・約19分
『現在位置』
・解析範囲外
『進行方向』
・階層中央部
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「階層守護個体の痕跡みたいだ」
「この大きさで、ワニ型……」
美咲さんが、底の見えない沼へ視線を向ける。
調査課の探索レコーダーが足跡の上へ移動し、大きさと深さを測定する。
クラン用の機体は少し離れた場所から、巨大な足跡と、その前に立つ俺たちを一つの画面へ収めていた。
人間と比較して撮影されたことで、足跡の異常な大きさがよく分かる。
今のところ、水中から魔物の反応はない。
だが、全長十メートルを超える身体が泥水へ潜んでいたとしても、目で見つけるのは難しいだろう。
『一城さん。守護個体の捜索は行わず、その地点で調査を終了してください』
髙橋さんの声が、僅かに強くなる。
「分かりました。痕跡だけ記録して戻ります」
調査用の目印を、地盤の硬い場所へ設置する。
到達距離は、四百六十八メートル。
五百メートルには届いていない。
それでも、これ以上進む必要はなかった。
「引き返そう」
「はい」
「ぷるっ」
「ぴるっ」
シズクとユキも、沼を警戒するように身体を低くしている。
来た時と同じ経路を通り、第十二層の転移門へ向かう。
二機の探索レコーダーも向きを変え、俺たちのあとへ続いた。
背後に広がる水面は、風もないのにゆっくりと揺れていた。
◇
転移門へ戻った時、残り調査時間は八分を切っていた。
俺たちが蒼銀色の転移門を抜ける。
クラン用の探索レコーダーが続き、最後に調査課の機体が第十一層へ戻ってきた。
待っていた髙橋さんが、すぐに駆け寄ってくる。
「お帰りなさい。怪我はありませんか?」
「全員、無事です」
「ぷるっ!」
「ぴるっ!」
シズクとユキの返事を聞き、髙橋さんが安心したように息を吐く。
「初回調査としては、十分過ぎる成果です」
髙橋さんが、携帯端末へ記録された情報を確認する。
「水没湿原という階層環境。複数の新種魔物。新素材の水膜苔。そして、階層守護個体と思われるワニ型魔物の痕跡」
「一般探索者へ開放するには、足場の確認も必要だと思います」
「はい。第十一層以上に、経路整備が重要になるでしょう」
持ち帰った水膜苔とドロップ品を、専用の保管箱へ移す。
「次の調査では、今回設置した目印より先を確認することになります。ただし、守護個体についての情報を整理してからです」
「分かりました」
「正式な調査計画が決まり次第、ご連絡します」
髙橋さんが記録を保存すると、俺の『解析鑑定』へ新しい表示が現れた。
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『第12層・先行調査』
『入口周辺調査:完了』
『最大到達距離』
・468メートル
『確認済み』
・階層環境
・出現魔物
・採取可能素材
・安全経路
・階層守護個体の移動痕跡
『第12層踏破』
・未達成
『入場制限』
・継続中
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第十二層で確認したのは、まだ入口から五百メートルにも満たない範囲だけ。
その先には、さらに深い沼が広がっている。
そして泥水の中には、全長十メートルを超えるワニ型の階層守護個体が潜んでいた。
次に第十二層へ入る時は、あの足跡の持ち主と遭遇する可能性がある。
俺たちは湿原での戦い方を考えながら、地上へ戻ることにした。




